グローバル化がかえって“国境の壁”を厚くする、という逆説 評者・将基面貴巳
『流出する日本人 海外移住の光と影』
著者 大石奈々(メルボルン大学アジア研究所准教授)
中公新書 924円
英国留学のために日本を後にして32年になる評者にとって、日本人の海外移住は個人的に大きな関心事である。評者は今年2月に亡くなった世界的指揮者・小澤征爾氏の著書『ボクの音楽武者修行』などに啓発されて海外を目指した。そうした人生経験に照らしてみても、過去半世紀の日本人による海外移住は、金銭目当てというよりは「自己実現」や「生きづらい環境を逃れたい」という意思を反映する傾向が強いという本書の指摘には実感として納得がいく。
しかも、移住者には女性が目立って多いというのも至極当然なように思われる。ただし、最近では大地震などの災害リスクや台湾をめぐる安全保障リスク、さらに日本経済の長期的なリスクなども海外脱出のプッシュ要因になっているという。とはいえ、海外に出れば万事がバラ色というわけではないことは本書の指摘を待つまでもない。言語や文化、社会慣習の違いはもちろん、場合によっては人種差別の問題もありうる。
だが、それ以上に不可避な問題とは、日本国外では日本人は「外国人」の地位に甘んじなければならないという法的事実である。移民関連の法律は極めて頻繁に改正されるため、「外国人」という地位はその国の事情に翻弄(ほんろう)されがちである。永住権を取ったとしても文字通り「永住」できるとは限らないし、政治・経済的にその国の国民と同等扱いにならないことも多い。
本書の論述から浮かび上がるのは、グローバルな人口移動がますます増大する一方で、世界は「ボーダーレス」になるどころか国境という壁がいよいよ厚みを増しつつあるという逆説的な現実である。頭脳や富という資源を可能な限り自国にとどめておくために、ナショナリズムをあおる傾向も一部の国々で見られる。
しかし、これからの国家には、むしろグローバルな人的移動という現実を受け入れた上で、特殊技能や資産という資源を他国とシェアする懐の深さが求められるのではないか。その点で、日本と同様に複数国籍をこれまで認めなかったドイツが競争力強化を目指して方針転換し、今年に入って法改正を成立させたという事実は示唆的である。
ルネサンスで繁栄したイタリアのフィレンツェは、都市国家として自国民だけでなく国を追われた外国人にとっても「祖国」であろうとした。日本は外国人にとって「第二の祖国」たりうる条件をそろえているだろうか。「海外移住」というレンズを通して日本の問題を照らし出す好著である。
(将基面貴巳、ニュージーランド・オタゴ大学教授)
おおいし・なな 米ハーバード大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。移民政策学会理事。国際労働機関(ILO)政策分析官、国際基督教大学准教授等を経て2013年より現職。専門は移住研究、国際社会学、日本研究。
週刊エコノミスト2024年5月28日号掲載
『流出する日本人 海外移住の光と影』 評者・将基面貴巳