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週刊エコノミスト Online 書評

アメリカで新型コロナ対策を指揮した感染症学者の自伝が持つ深い意義 冷泉彰彦

 アンソニー・ファウチ博士といえば、2020年初頭から全世界を揺るがせた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対するアメリカ政府の政策を主導した感染症学者として極めて有名な存在だ。そのファウチ博士の自伝『オン・コール(「常に待機」) 公共政策に参加したある医師の軌跡』が出版された。

 その内容は極めて重要と評価できる。ブルックリンのイタリア系一家に生まれたファウチ博士は、保守的なカトリックの信仰と最新の自然科学の葛藤を抱えながら育ち、やがてコーネル大学を経て医師となる。専門分野として感染症を選択したファウチ博士は、まず人類とエイズの闘いの最前線に駆り出される。ここでは、長い苦闘の末に感染死をほぼ抑え込むまでの過程が、偏見との闘い、格差との闘いも含めて丁寧に描かれる。

 その次には、テロとの闘いの時代における炭疽菌(たんそきん)など生物兵器の抑止という、別の意味で難しい苦労の日々が来る。新たな感染症、例えばジカウイルスやエボラ出血熱への対応もあった。その上で、人類にとって全く経験したことのない疾病として、COVID-19との複雑な闘いについて、博士ならではの総括がされている。

 ファウチ博士に関しては、アメリカの多数派の人々はコロナ対策の司令塔として見事に職責を果たしたとして高い評価と尊敬を寄せている。

 トランプ政権では、コロナ対策のタスクフォースを主導、引き続きバイデン政権でも同じくホワイトハウスのCOVID-19対策チームのリーダーを務めた。感染対策だけでなく、ワクチン開発のスピードアップに成功したのも博士の功績である。

 その一方で、コロナという疾病の存在やそのワクチンの効能を否定する陰謀論者は、博士のことを目の敵としている。また、保守派の多くも感染対策を強制した張本人として、ファウチ博士への憎悪を平気で口にしている。本書を通じて、ファウチ博士はこうした批判に対して反論する代わりに、自身の経験を丹念に伝えることで、読者に対して最新の感染症学への信頼を改めて訴えている。その重厚なアプローチは、コロナの時代を生きた我々にとっては深い意義がある。

(冷泉彰彦・在米作家)


 この欄は「永江朗の出版業界事情」と隔週で掲載します。


週刊エコノミスト2024年7月30日号掲載

海外出版事情 アメリカ コロナ専門家の自伝、その貴重な闘いの歴史=冷泉彰彦

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