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小泉今日子の心意気 第4回 「発言するスター」にして越境する表現者 松尾潔

 小泉今日子の表現者としての歴史は、戦後サブカルチャー史とも大胆に交錯している。その軌跡につらぬかれた「心意気」とは何だろうか。俊英作家が探る本連載も、残すところ2回。今回は「発言者にして越境者」である彼女の姿を、ドラマ『新聞記者』降板時に則して丁寧に描くところから始まる。

◇近田春夫、大瀧詠一、藤原ヒロシ、スカパラ…との共同作業

 2024年7月22日。気象庁が九州北部の梅雨明けを発表した月曜日、読売新聞は号外を出す。日本列島に本格的な夏が到来したことを告げるためではない。ジョー・バイデン米大統領が、11月の大統領選から撤退することを伝えたのだ。

 ほぼ全員投票権がないはずの日本の読者に向けて米大統領選前に号外を出すこの国の新聞メディアは、がしかし、自国首都の知事選前にどれほどの熱を感じさせただろうか。

 新聞だけではないし、選挙前だけでもない。投開票からすでに半月が経(た)つというのに、小池百合子知事の3期目の東京都政を監視することよりも、落選者の言動や去就を面白おかしく伝えるほうに重きを置くテレビ業界はどうだ。

 性被害に遭った女性が声を上げる〈#MeToo運動(ムーブメント)〉のきっかけとなった大物映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインのセクシャル・ハラスメント問題を取りあげたり、あるいは岸田首相など政治家の不透明な姿勢を批判するところまで踏み込んで社会的公正に自覚的であることをアピールしながらも、そういった対象とは比較にならぬほど自分と近い距離にあるジャニーズの問題については巧みに言及を避けるラジオの話し手はどうだ。

 ビジネスを優先した末の苦渋の決断という可能性を彼らに付与するのは、いささかお人好(よ)しに過ぎるだろう。〈世渡り〉と断じるほうがまだ自然な気がする。

◇私を降ろすか、雅子さんの了承を得るか

 国民の誰もが躊躇(ちゅうちょ)なくスターと呼ぶことができるレベルのエンターテイナーのなかで、小泉今日子ほど政治や社会に対して声を上げる存在は稀(まれ)である。だがエンタメ業界のインサイダーとして言うなら、小泉が本当にすごいのは、実際に自分と接点のある組織や人物まで俎上(そじょう)に載せることも厭(いと)わないところ。それが私怨(しえん)によるものではないことを十分に示す理由を言い添えるのも忘れない。 今年1月28日、小泉は音楽家の近田春夫(1951年2月25日生)と共演するレギュラー番組『TOKYO M.A.A.D SPIN』(J-WAVE)で、ぼくが上梓(じょうし)したばかりの社会時評エッセイ集『おれの歌を止めるな』をめぐって熱論を交わした。以下は同番組を聴いた直後のぼくのXポスト。

「小泉今日子、近田春夫両氏のトークほど本気の〈覚悟〉を感じさせるものはない。歯に衣着せぬ物言いを装いながら特定の固有名詞を避けることに余念のないラジオDJ諸氏とは別次元。『ジャニーズ』『達郎』『松本』さらに『電通』まで飛びだすからね。すごいや」

 公益を考えての通報。内部からの不正告発。こういった〈声を上げる〉行動は〈スピークアップ文化(カルチャー)〉と呼ばれるが、いざ声を上げれば肉体的にも社会的にも生命が危うくなるという現実を、ぼくたちは兵庫県庁や鹿児島県警の事件を通していま目の当たりにしている。残念ながら、公益通報者保護法が十分な実効性を発揮しているとはまだ言いがたい。対象が公的機関や企業でなくとも、声を上げれば「あいつは義理人情を欠いている」といった類(たぐい)の誹謗(ひぼう)中傷がついて回るのがこの国の実情だ。その背景にあるのが、スピークアップ文化とは対極の〈不処罰の文化(culture of impunity)〉。これは今年6月の国連人権理事会「ビジネスと人権」に関する作業部会でも、日本の「人権に関する構造的な課題」として指摘された。もっと砕けた言いかたをするなら〈なあなあで済ます〉か。〈不処罰の文化〉の前提には「声を上げるよりも黙って見送ることで得られるものや守られるもののほうが大きい」という仮定があるが、ぼくにはそれが正しいとは思えない。胡乱(うろん)な皮算用をよき伝統であるがごとく固持してきた滑稽(こっけい)さと痛々しさを感じるだけだ。

松尾 メディアでもエンターテインメントでも、いま真っ当な責任感をもった人がどれだけいるのか、訝(いぶか)しく思うことがあります。

小泉 今年に入って、ドラマの原作者である漫画家の方が自死されたじゃないですか。誰も悪気はなかったのかもしれないけど、やっぱりプロデューサーが大事にするものが変わってしまったという気がするんですよ。私も同じような理由でNetflixのドラマを降板したことがあります。

松尾 『新聞記者』(2022年1月配信。藤井道人監督)ですか。あくまで業界の噂(うわさ)話として、小泉さんがキャスティングされたことは聞いていましたが。

小泉 出演条件として「原作者である赤木雅子さんに了承を得ていること」を提示していました。衣装合わせまで進んでいましたが、その際「雅子さんとはお話はついているんですか?」と確認したところ、「まだです」という返事でした。私は「最初からそれが私の条件でしたよね。そういうことを軽視するなら、もうここまできてしまったけれど、あなたとは仕事できません。私を降ろすか、延期して雅子さんの了承を得るか、どちらしかないです」と言ったんです。すでに衣装合わせが始まっている段階でしたから、延期はもう無理で。私が降りた代わりは寺島しのぶさんが務められました。製作者の言い分としては、赤木雅子さんは原作者ではないとのことでしたが、台本を読むと明らかに彼女の著書を原作にしている。あれは実際の出来事ですしね。

 プロデューサーの河村光庸(かわむらみつのぶ)さんはとてもいい映画を作っておられましたけど、いろいろな事情が重なると、大切なものを見失ってしまうのかなと思いました。その後(2022年6月に)河村さんは亡くなられたので、もしも『新聞記者』に出演していれば、彼との最後の作品になっていたのかも。けれど、私はそうするしかありませんでした。

松尾 それでこそ小泉さんだと思います。

◇「やりたい仕事もさせてください」

 1982年にアイドルとして世に出たときから、小泉今日子は〈発言するスター〉だった。加えて〈越境する表現者〉であり続けてもいる。

 音楽、映画、ドラマ、バラエティ、CM、グラビア、そして97年からはそこに演劇も加わった。

松尾 小泉さんは下北沢のザ・スズナリのような「芝居小屋」の呼び名が似合う小規模劇場にも出演されるし、さまざまな場所を行き来されていますよね。

小泉 うーん、行き来してるという意識はないんですよね。ザ・スズナリのオファーも、シアターコクーン(都内屈指の高級住宅街である松濤エリアに位置する豪奢(ごうしゃ)な中規模劇場)のオファーも、同じように面白く感じる私にはそれほど変わりがないというか。去年の暮れ、下町の50席もないミニシアター(墨田区菊川の〈ストレンジャー〉)のトークイベントにも出演しました。「年末に相米慎二監督の特集を行います」と直接オファーをいただいたんです。スケジュールを確認すると、ちょうどクリスマスの日が空いていたので出ることに。仕事の規模は全く気になりません。

松尾 〈ストレンジャー〉のイベントに出演したことがある僕はリアルに想像できますが、あそこに小泉さんが現れたら驚きますよ!

小泉 特に2015年にバーニングプロダクションから独立してからはそういう感じです。マネージメントもきちんと離れたのは18年でした。所属していたときは、大きい規模の仕事は簡単にできるんだけど、小さい規模のものは逆になかなかやらせてもらえませんでした。だから、いつも交換条件を出していたんです。例えば、事務所から仕事をいただいた際に「自分のやりたい仕事も同時にさせてください」とお願いする、とか。音楽活動にしても、事務所にいながらインディーズの方とも作品を作ってきました。松尾さんが以前「音楽でここまで多岐にわたる人たちと活動しているのは、小泉さんぐらいだと思う」と言ってくれたのは、その成果だと思います。

◇作詞は新しい快感をもたらした

 デビュー以来、制作スタッフから与えられた楽曲を歌ってきた小泉。3枚目のアルバム『Breezing』(83年7月)のレコーディングで、自分の意見を形にするチャンスが初めて巡ってくる。異能の新任ディレクター田村充義から「誰か曲を書いてほしい人いる?」と問われて「シャネルズ」と答えたところ、シャネルズのメンバーが新曲を書き下ろしてくれたのだ。「Happy Birthday」である。作詞・田代マサシ、作曲・鈴木雅之。編曲はシュガー・ベイブ(メンバーに山下達郎、大貫妙子ら)の元リードギタリストにして、大瀧詠一のナイアガラ・レーベル作品の主要ミュージシャンでもあった村松邦男。 

 現在の小泉は作詞の才でも知られるが、それとて元は「本人発信でないものばかりだと歌手活動に飽きるのでは」と考えたディレクター田村の発案だった。彼は小泉に「曲の詞を書く人が急にいなくなった」と噓(うそ)をついたという。田村に誘導されながらひねり出した言葉をまとめた初めての作詞曲は、7枚目のアルバム『Flapper』(85年)収録の「Someday」。ちなみに作曲は、やはり田村が手がけていたコスミック・インベンション(結成当時メンバーが小中学生として話題になったテクノポップ・バンド)の元メンバー井上ヨシマサ(1966年7月18日生。後年AKB48にヒット曲を多数提供)。ただし、この曲の作詞は田村らスタッフのバックアップありきという自覚が強かった小泉は、クレジットには美夏夜(みかよ)なる別名義を使うのだが。

 初めての作詞経験は小泉に新しい快感をもたらし「制作好き」にしてしまう。ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの名作『モモ』に想を得て作られた87年の初海外レコーディング作品『Phantásien(ファンタァジェン)』からは、作詞クレジットも本名表記に。全10曲中5曲を作詞した88年の『BEAT POP』ではプロデュースも手がけるまでになる。

 88年公開の主演映画『怪盗ルビイ』(監督・和田誠。恋人役に真田広之)の同名主題歌では、大瀧詠一(1948年7月28日生、2013年12月30日没)との邂逅(かいこう)も果たしている。

『KOIZUMI IN HOUSE』を共作した近田春夫とともに
『KOIZUMI IN HOUSE』を共作した近田春夫とともに

◇近田春夫との共作で覚醒、いや爆発

松尾 96年に初めて小泉さんとお会いしたとき、「私は聖子さんや明菜さんの歌唱力とはちょっと違うんです」と言われていたけど、レトロなスタンダードナンバーの風格がある「快盗ルビイ」(作詞・和田誠、作曲・大瀧詠一)は、小泉さんが誰よりもうまく歌えるのでは。歌のハマり方がすごいんですよね。小泉さんを想定して作った「当て書き」の威力ということ?

小泉 それ、よく分かります。当て書きです。あと最近思うんですけど、歌手としての私が一番誇れるものはリズム感。ロックも歌えるし、ハウスとかクラブミュージックの音を捉えるのも上手(うま)いんじゃないかな。スタンダード的な楽曲は大好きだし、ノリやすくもあるんだけれど、田村さんはそういう曲を作ってくれないんですよね(笑)。いつもちょっと変化球だから難しい曲が多い。そんななかで大瀧詠一さんは細かくキーチェックをしてくださったんです。それまでに私が出したあらゆる歌を聴いて「この子の声が最も綺麗(きれい)に聴こえるのはどこか」と声域を研究されたそうです。無理なく発声できて、なおかつ声の艶が良いところを選んでメロディーラインを作ってくださいました。

松尾 彼ならではの細やかなお仕事ぶりですね。

小泉 それが大瀧さんのオタク度だと思います。聖子さんの楽曲はまさにそうじゃないですか。「風立ちぬ」は聖子さんの声が伸びやかで綺麗なところで作られている。薬師丸ひろ子さんも多分そうなのでしょうね。徹底的に研究を重ねて曲を作っている。

松尾 声ありきだと。加えて大瀧さんはフランクとナンシーのシナトラ父娘あたりを念頭に「快盗ルビイ」を作曲された気がします。

小泉 2002年に陽(ひ)の目(め)を見た大瀧さんとのデュエットバージョンは、本当にそういう感じになりました。

松尾 あれは素敵ですよね。大瀧さんはいろんな方と一緒に歌っていて、聖子さんとの「風立ちぬ」のデュエットバージョンも先日出ていましたけど、ぼくは小泉さんとの「怪盗ルビイ」の出来が一番だと思いました。

小泉 大瀧さんがご自身のボーカルをレコーディングされているなんて、私、その存在さえ当時は知らなかったんですけど。

松尾 もう財産ですよね。 

 そして89年。問題作にして名作『KOIZUMI IN THE HOUSE』が発表される。歌謡曲・ミーツ・ハウス。小泉本人からのラブコールに応えた近田春夫がメインプロデューサー兼ソングライターとして参画したこのアルバムで、彼女は覚醒、いや爆発する。ハウスとは、77年にシカゴのクラブ〈ウェアハウス〉で生まれ、ロンドン、ニューヨーク、そして東京のクラブシーンを席巻したダンスミュージック。同アルバムで宣伝ブレーンを務めた編集者の川勝正幸(1956年11月21日生、2012年1月31日没)は、その年の春に始まった小泉のラジオ番組「KOIZUMI IN MOTION」(TOKYO FM)の構成作家でもあった。

 その後、川勝を触媒として、藤原ヒロシ(1964年2月7日生)、屋敷豪太(1962年2月26日生)、朝本浩文(1963年11月20日生、2016年11月30日没)、東京スカパラダイスオーケストラといった、当時アイドルポップスとはおよそ無縁と思われたサブカルチャーシーンの若き才能たちとの共同作業を小泉は重ねていく。

 何を隠そう、川勝の高校の後輩であり同じ事務所に所属していたぼくもまた、彼の仲介で小泉に引き合わされた「サブカルあがりの若者」のひとりなのだった。<サンデー毎日8月18-25日合併号(8月6日発売)より。以下次号>


■まつお・きよし 1968年生まれ。作家・作詞家・作曲家・音楽プロデューサー。平井堅、CHEMISTRY、JUJUらを成功に導き、提供楽曲の累計セールス枚数は3000万枚を超す。日本レコード大賞「大賞」(EXILE「Ti Amo」)など受賞歴多数。著書に、長編小説『永遠の仮眠』、エッセイ集『おれの歌を止めるなージャニーズ問題とエンターテインメントの未来』ほか

サンデー毎日0818-25合併号
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