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小泉今日子の心意気 最終回 「いき」とは、色気と仁義と諦めのこと 松尾潔

 人権意識と義理人情「私の場所から社会と繋がっていたい」

 小泉今日子という存在に、その「心意気」を見つめながら、俊英作家が迫る好評連載。リベラルな社会的発言に注目が集まる小泉だが、彼女があわせ持つ「芸能の魂」と「仁義の心」こそが、魅力の源泉ではないかと作家は言う。戦後サブカルチャー史のなかに特異な芸能人を描き出す野心作が、ここに完結――。

 元朝日新聞記者の尾形聡彦(としひこ)(1969年生)が2022年7月に創業、YouTubeに動画配信チャンネルを開設したリベラル系デジタルメディア「Arc Times(アークタイムズ)」。尾形と東京新聞記者の望月衣塑子(いそこ)(75年生)の2人キャスター体制で番組進行するスタイルでほぼ毎日配信を続け、開設後2年でチャンネル登録者数13万人突破と順調な動きを見せている。22年7月と聞けば安倍晋三元首相殺害(8日)を連想するが、尾形が29年間勤務した朝日新聞を辞めたのはその前月の6月末。さすがにその時点で殺害事件を予想していたわけではないだろう。では尾形には社会の変換点を敏感に察知する〈炭鉱のカナリア〉としての勘が備わっているのか、どうか。

 以前から交流のある望月からゲスト出演を打診されたぼくは、今年4月末に初めて同チャンネルに出演した。その理由は、アークタイムズのジャニーズ性加害問題に対しての取り組みは大手メディアとは一線を画し、十分に信用に足るものだったこと、そして同世代のジャーナリスト尾形への人間的興味だった。

 実際に出演して何よりも体感したのは、誰かのおなかがグーと鳴る音まで拾ってしまいそうなコンパクトなスタジオで、キャスター2名とゲストが2時間超をともに過ごすことで生まれる緊密さ、濃密さ。その条件下では、キャスターはもちろん、ゲスト出演者も緊張感を保ちつづけるのはきわめて至難である。いやむしろ、ゲストの素顔を見せることやリラックスしたトークを引きだすのに長(た)けたところに、アークタイムズの強みがあるといえる。

 先月7月26日、同チャンネルで小泉今日子の話題が上がったと聞き、すぐにぼくも観た。ゲストは市民運動家の菱山南帆子(なほこ)(市民連合・89年生)。同月7日に投開票が行われた東京都知事選の「候補者選定委員会」計5名の呼びかけ人のひとりである。同委員会は都知事選に市民と野党の共闘候補を擁立しようと設立されたもので、ほかに宇都宮健児(20年都知事選候補者)、前川喜平(元文部科学事務次官)、浜矩子(都政転換呼びかけ人会議・同志社大名誉教授)、福山真劫(しんごう)(総がかり行動実行委員会)が名を連ねる。 

 その日の大きなテーマは「リーダーを目指す女性を叩く日本社会」。自らの経験を含む様々な事例を引き合いに出し、その後進性を論じる菱山はスキルフルな語り手である。ぼくも説得力を感じながらその語りに聞き入った。ただ……望月キャスターが途中からゲストを「菱山ちゃん」と呼びだしたあたりから、キャスターとゲストとの馴(な)れ合い寸前の親密なやりとりに、どこか白けた違和感を覚えてしまってもいた。

 違和感がピークに達するのは、両キャスターの問いに答える形で菱山が実際の選考過程を開陳したときだ。最終的に蓮舫に決まるまでに多数の擁立候補に断られたことに端的にふれて終わりかと思いきや、やりとりはさらに続いた。

「リベラル系」と「芸能」は理解し合えるか

望月 あれ、言っちゃいけないんだっけ?

菱山 ん?

望月 けっこう著名人のところにも行ってますよね。誰のところに行ったとも言えない?

菱山 ちょっとそれは言えない。

尾形 言っちゃいけない?

望月 記事出てますよね。

尾形 いろいろ出てますよね。

菱山 出てました(笑)。

尾形 小泉今日子さんに頼んでダメだったという話、出てますよね。

菱山 あ、それはいいんですけど。私、キョンキョンがいいって最初言って。もう絶対小泉さんが勝てる!みたいなことを言ったんですけど、早速断られて。

望月 直談判に行ったわけですか。

菱山 黒猫同盟という小泉さんがやってるバンドにつながりがあって、ちょっとお願いしてきてくれって話をしたんですけど。まあ断られましたよねー、みたいな感じでもう全然……。

望月 即答でした? やっぱり。

菱山 即答でしたね。

望月 即答? フフフフ(爆笑)。

菱山 ダメでした。みんな、「だよねー」っていう(笑)。

望月 「だよねー」って(笑)。

菱山 でもまずは夢は高く持たなきゃいけないかなとか言って(笑)。

望月 でも大切ですよね。応援……最後は彼女が蓮舫さんの……。

菱山 そうなんですよ。すごい嬉しかったです。

尾形 そうでしたよね。

菱山 あれは大きかったですね。

 耳を疑った。これでは蓮舫も小泉も浮かばれないだろう。統一候補の蓮舫はまるでドラフトの〈外れ1位〉のようで、「絶対勝てる!」と絶大な期待を寄せられながらもプロ入りを拒否した小泉こそ〈1巡目1位〉扱いだ。こんな経緯を屈託なく暴露されるとは、蓮舫と小泉の2人にはもらい事故のようなもので、お気の毒と言うしかない。

 そう思ってしまうのは、長年ぼくが芸能の世界(エンターテインメント)に従事してきたからだろうか。政治と芸能は通じる、とよく言われる。人や土地、社会を統治する行為である「政(まつりごと)」と「祭りごと」が、いずれも「奉(まつ)る」に由来することに依拠するのだろう。だがこの日のアークタイムズを観て痛感したのは、政治と芸能はやはり違う、ということだ。いや、この場合、〈政治〉は〈リベラル系〉と置き換えるべきかもしれないが。

 芸能の世界において、スターになれなかった演者について公の場で語るとき、ポテンシャルを認められながらもデビューしなかった者を引き合いに出して「彼/彼女だったら勝てた、スターになれた」と言うのはご法度。これが芸能界の〈仁義〉である。敗者や弱者に寄り添うことを止(や)めたとき、芸能は存在意義の根底を失いかねない。小泉今日子が40年以上も身を置いてきた芸能界はそんな世界であるし、小泉もまた義理人情を重んじる人。そのことと真っ当な人権意識を併せ持つからこそ貴重な存在だということを、〈リベラル系〉もいま一度つよく認識する必要がある。

 小泉独特のスタンスが育まれるにあたり両親と姉たちが抗しがたい影響を与えていることは、すでに述べた通り。ではそれをずっと守ることができたのはなぜかといえば、言わずと知れた芸能事務所最大手の一つバーニングプロダクション、そしてその総帥・周防郁雄(すほういくお)(41年1月11日生)の存在がある。

◇周防郁雄の動物みたいな「第六感」

小泉 (デビュー映画の)『十階のモスキート』は崔洋一さんが監督だったとは覚えていないんです。誰が監督かという認識もあまりなくて、現場に行って、渡された台詞(せりふ)を言って、それで終わったという感じしかなくて。あとから「あの映画、崔さんだったんだ」と知ったぐらいです。映画を観て、ビートたけしさんやアン・ルイスさんも出演されているじゃないですか。その時は思わなかったけど、崔さんの映画にしても、久世光彦(てるひこ)さんのドラマにしても、メジャーと同時に、もう一つの方向性も始まっていたんだなと、あとになって気づきますよね。ここに来るために、あの時はそこにいたんだなって。

人生最期の歌をめぐる久世光彦のエッセイを、小泉の朗読、浜田真理子のピアノで表現する舞台『マイ・ラスト・ソング』
人生最期の歌をめぐる久世光彦のエッセイを、小泉の朗読、浜田真理子のピアノで表現する舞台『マイ・ラスト・ソング』

松尾 小泉さんのカルチャーシーンでの独特の立ち位置は、デビューの時点ですでに始まっていたという。

小泉 「仕込まれていた」という感じもしますね。映画にしても、『十階のモスキート』の後、『生徒諸君!』のような作品もあれば、中原俊監督の『ボクの女に手を出すな』もあって、いろいろな方と組ませていただきました。

松尾 当時の事務所バーニングプロダクションが、「うちの小泉は素材として面白いから、内田裕也さんの映画もアリだ」と戦略的に考えたのでしょうか?

小泉 いいえ。周防郁雄さんは動物みたいな人でしたから、第六感でピンとくるんですよね。裕也さんから「映画を撮るんだけど」と言われて、「うちの今日子は合うと思います」という感じだったと思います。

松尾 深い戦略ではなくて、直観(ひらめき)。

小泉 「明日、代官山で評論家の吉見佑子(48年生)とお昼を食べてきてくれない?」といきなり指示を出されて戸惑ったこともありました。でも、実際に吉見さんに出会ったことで、私の中で言葉の世界が広がったんですよね。周防さんは「この人と会わせたら、面白いだろう」と勘でわかるんでしょうね。だから私は、吉見さんのご自宅に原付バイクで行きました。彼女と話しながら「ものの見方はいろいろあって、例えば底から持ち上げて見てもいいんだ」と気づいたことを、いま思い出しました。出会いによってそういう感覚を得ることができた。人と人を引き合わせる、動物的なセンスが周防さんにはありました。

松尾 それはすごい。「このタイミングでこの人と会わせてみよう」という勘。僕は周防さんとは数えるほどしかお会いしていないんですけど、ご自身からはそういうサブカルチャー的な匂いは全然しませんよね。

小泉 不思議なぐらい、そういうことに興味がないんですけど、人と人を会わせる才能が抜群にある。ある人からすれば怖いイメージだろうけれど、やはり人情に厚くて、困っている人を助けようとする人です。そして動物的なセンスも兼ね備えているんですね。

松尾 強面(こわもて)という世評の一方で、自由度の高い小泉今日子作品を送りだす社長でもある。もともと洋楽業界にいた僕は、小泉さんと仕事を続ける川勝正幸さんたちが「キョンキョンが」と話しているのを聞いても「そのキョンキョンって、あのコワモテの事務所にいるんでしょう」と懐疑的でした(笑)。小泉さんは事務所の中でも特別な存在だったんですかね。

小泉 私は〈治外法権〉と言うんですが、周防さんは「こいつは野放しにした方が面白い」と最初から見抜いていたんだと思います。大人っぽくもあったので、縛らない方がいいだろうと判断したんじゃないかな。いろいろなタレントが所属していたけど、育て方はそれぞれ違っていました。

松尾 テレビ局の中には及び腰になっていた人もいると聞きますが、僕の周囲には「あれほどクリエイターを信頼してくれる事務所は他にない」と言うクリエイターが少なくなかった。

小泉 マネージャーも優秀だったと思います。私に付いてくれていた歴代のマネージャーさんたちも含めて。

◇「小泉は好き嫌いがハッキリしている」

 メディアへの露出が極端に乏しいのもバーニング周防郁雄が〈生きる伝説(リビングレジェンド)〉化している要因の一つだが、めずらしく小泉について饒舌(じょうぜつ)に語ったことがある。その場となったのは、広告キャスティング大手ギャンビットの出版部が出していたカルチャーマガジン『MEKURU』。小泉50歳の誕生日である16年2月4日に出版された同誌第7号は、なんと90ページにわたって小泉今日子大特集を組んだ。松田聖子、糸井重里、吉本ばなな、田村充義、崔洋一といった彼女ゆかりの人物27名による「わたしの中の小泉今日子」なる証言集は読ませる。そこで母親の由美と並んでひときわ異彩を放っているのが周防のインタビューだった。その一部を以下引用する(テキストはBJ笹井和也と上田智子による)。

「(小泉と)どこでどんな形で会ったのかは、よく覚えてないなぁ(笑)。でも、会った瞬間に『ああ、すごいな』と思ったんですよ。アゴがとがってるところがすごく良いし、目力と言うのかな……目が違ったの。僕はいつもね、タレントさんを自分の事務所でマネージメントするかどうかって、初めて会った瞬間にポーンと決めちゃうんだよ。僕にとっては、今日子は本当に言うことがなかったです。『やった〜』っていう気持ちだったね」「(デビュー早々に久世光彦に引き合わせたのは)頭の弱い人に久世を会わせても意味がないわけだから。久世の奴(やつ)はね、やっぱり東大出ただけあって、頭は良いわ、弁は立つわ、けた違いにすごい人なんですよ。僕に言わせたら天才ですよね。ただね、何回か僕は久世と揉(も)めたんです。僕を通さずに今日子と仕事を進めるから、『おまえ、いい加減にしろ、コノヤロー』って大喧嘩(おおげんか)したこともあって(笑)。先輩の田邊さん(田邊昭知(しょうち)/田辺エージェンシー代表取締役会長)が間に入って僕の前で久世のことを怒ってくれたから、丸く収まったんだけど」「(小泉は)まず、好き嫌いがハッキリしているよね。あと、物言いもハッキリしてる。性格もいいんでしょうね」

◇芸能に魅入られた二つの魂の交歓

 忘れられないことがある。あれは新宿区だったか、たしかホームページの内容の打ち合わせで、小泉が舞台稽古(げいこ)をしているスタジオに足をはこんだ。舞台に初挑戦しているころだと記憶しているので、1997年だろうか。適当な区切りが訪れるまで、ぼくはレコード会社スタッフ数名とスタジオの端で待機することになった。多少待たされようが、むしろ役得の気分で稽古を見学していたのだから、まあ呑気(のんき)なものだ。

 するとそこに、大量の手土産を持参した周防が事務所のスタッフを従えて登場したではないか。レコード会社のスタッフはもちろん、演劇人たちにも緊張が走った。誰もが壁一面の鏡ごしに周防をちらちらと見ているのがわかる。ただひとり、小泉今日子を除いて。小泉だけは周防がそこにいないかのように、彼が来る前からの流れを止めることなく動きつづけ、声を出しつづけた。

 演出家が役者陣に小休止をとるよう告げたときには、周防が来てもう数十分経(た)っていたように思う。あるいは、ぼくにはそう感じられただけかもしれない。そして小泉はようやく周防に向かって、ニコリともせずに言った。「何しに来たの?」

「彼女の素晴らしいところはね、デビューして人気が出始めた頃に彼女を認めてくれたアシスタント・プロデューサーとかディレクターからの、『私が、僕が、一本立ちしたときは、小泉さん協力してね』なんていう約束を、今でもちゃ〜んと守ってるところ。だから、事務所も知らないところで1シーンだけ出てる作品がいっぱいあるんだよ(笑)。その義理堅さは半端じゃないよね。すごく分け隔てがない人なんだと思う」「良いにつけ悪いにつけ、長年つきあってきたからこその〝何か〟はあるのかもしれない。きっとね、そんな子には、これからもう二度と出会えないんだと思う」

 これはもう、世代も立場も超えた、不器用なほどに純粋な恋文ではないか。周防が思慕を寄せる小泉は、あらかた「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」(『古事記』や『日本書紀』に登場する芸能の女神)の姿をしている。芸能に魅入られた二人の魂の交歓が可視化されたようでもある。

◇日本的「いき」と欧米サブカルチャーの融合

ライターの和田靜香とともに
ライターの和田靜香とともに

 じつは小泉は昨年末の時点で都知事選への出馬について明快なコメントを出している。『週刊文春WOMAN Vol.20』でのライター和田靜香との対談だ。

小泉 社会や政治に関する発言って、普通のことだと思うんだけど、私のような者がやると今でもネットニュースになったりする。でも、もうどうでもいいの。

和田 私のまわりでは、「小泉今日子さんが東京都知事に立候補してくれたらいいのに」って、無責任ですが、みんな言っていますよ。

小泉 いや、私は私の場所から社会と繋がっていたいんです。だって今の私にできることは、他の人にはできないもん。都知事さんは他の人ができるから。なんつって(笑)私は孤立したいわけじゃないけれど、やっぱりひとりでいるのが好きなんですよね。

 和田との対話を読んでぼくが思いだしたのは、はるか昔の92年10月、米カリフォルニア州オークランドまで追いかけて、ようやく対面インタビューがかなったソウルミュージックのパイオニア、ジェイムス・ブラウン(通称JB。33年5月3日生、06年12月25日没。享年73)の言葉だった。自他ともに認める「ファンキー大統領(プレジデント)」のJBに、そう呼ばれることについてどう思うか訊(たず)ねたのだ。ちなみに当時のJBは59歳。来年には小泉もその歳(とし)になる。

松尾 ご自身のヒット曲のタイトルから「ファンキー大統領(プレジデント)」と呼ばれることがありますね。JB ファンキー大統領というフレーズは15年前、いや18年前(74年)でしたか。そのころの苦い時代(悪政とされたニクソン〜フォードの共和党政権を指す)に大統領から届くのは悪いニュースばかりでした。落ち込んでばかりじゃいけない、現状から逃げるわけにはいかないが前向きでいこう、と言ったのです。困難を克服して人びとを先導していく、それがファンキー大統領です。

 敗れし者や弱き者に寄り添い、その声に耳を傾ける。困難を克服し、人びとを先導していく。これこそが芸能者のあらまほしき姿だろう。その営みに終わりはない。あるはずがない。

 ヨーロッパ留学が長く、ハイデッガーとの交流などで知られた哲学者の九鬼周造は、日本固有の美意識を分析した名著『「いき」の構造』(30年)で、「いき」とは三つの要素が統合されたものと喝破した。

 まず「媚態(びたい)」。これは〈色気〉と言い換えてもいい。次に「意気地(いきじ)」。これは〈仁義〉つまり不義を為(な)さず誇り高く忠義を尽くす態度。そして「諦め」。世俗への執着から脱した先にあるものだ。九鬼は母国の美を古典的ヨーロッパ哲学の論法で語ったのである。

 色気と仁義と諦めと。ぼくはその相似形を小泉今日子に見る。自ら血肉化したこの国の芸能のエッセンスを、欧米のサブカルチャーの影響を多分に受けたまなざしで具現化する、小泉今日子の心意気。

 米国大統領に代わりはいても、ファンキー大統領の代わりはいない。東京都知事に代わりはいても、小泉今日子の代わりはいない。<サンデー毎日9月1日号(8月20日発売)より>

松尾潔とともに
松尾潔とともに

◇こいずみ・きょうこ 歌手。俳優。1982年「私の16才」で芸能界デビュー。以降、テレビ、映画、舞台などで活躍。既成のアイドルを超えて、サブカルチャーの象徴的存在に。2015年から代表を務める「株式会社明後日」では舞台制作も手がけ、自前のエンターテインメントを探る。また文筆家として『黄色いマンション  黒い猫』(スイッチ・パブリッシング、第33回講談社エッセイ賞)、『小泉今日子書評集』(中央公論新社)などの著書がある

◇まつお・きよし 1968年生まれ。作家・作詞家・作曲家・音楽プロデューサー。平井堅、CHEMISTRY、JUJUらを成功に導き、提供楽曲の累計セールス枚数は3000万枚を超す。日本レコード大賞「大賞」(EXILE「Ti Amo」)など受賞歴多数。著書に、長編小説『永遠の仮眠』、エッセイ集『おれの歌を止めるな―ジャニーズ問題とエンターテインメントの未来』ほか

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