マルコス家復権のフィリピンを舞台にアジアに広がる“権威主義のドミノ”を描く 評者・近藤伸二
『ルポ フィリピンの民主主義 ピープルパワー革命からの40年』
著者 柴田直治(ジャーナリスト) 岩波新書 1100円
しばた・なおじ
論説副主幹、アジア総局長、マニラ支局長など朝日新聞記者として活動後、近畿大学教授を経てフリーランスに。著書に『バンコク燃ゆ タックシンと「タイ式」民主主義』がある。
1986年、フィリピンで市民が結集し、マルコス(シニア)独裁政権を崩壊に追い込んだ「ピープルパワー革命」は世界に衝撃を与えた。特にアジアでは、韓国や台湾などで民主化を誘発する起爆剤となった。
36年後の2022年、マルコス・ジュニア(長男)が大統領に就任した。フィリピンで何が起こっているのか。元全国紙記者で、シニアのハワイ亡命時から取材を続ける著者が豊富な蓄積を生かして解き明かしたのが本書だ。
ピープルパワーでは、夫を暗殺され大統領に担ぎ上げられたコラソン・アキノ氏がヒロインとなった。「悪しき政治家」を追放した「ピープルパワー神話」の神通力は衰えず、10年には長男ベニグノ氏が親子2代で大統領になった。
だが、その間、経済は伸び悩み、いまだ2000万人が貧困から抜け出せていない。人口の10分の1が出稼ぎなどで海外に在住し、インフラ整備も進んでいない。
国民が不満をため込んだところに登場したのが、ドゥテルテ前大統領だった。庶民的な振る舞いで、終始高い支持率を誇った。一方で、超法規的な手段で麻薬密売人を殺害し、批判的なメディアを弾圧するなど、強権的な手法を貫いた。
マルコス・ジュニアは大統領選で、前大統領の長女サラ氏を副大統領候補として戦い圧勝した。選挙戦ではSNS(ネット交流サービス)を駆使し、シニアの時代には人権侵害などはなく、経済も発展した黄金時代だったという幻想を広めた。
この経緯を、著者は「マルコス家対アキノ家を軸に据えた因縁話とすることも可能」とし、「民主的な手続きを経ないまま反乱軍と群衆によって理不尽に国外追放された一家が、祖国に舞い戻り、幾多の試練の末、再び民主的な手続きで復活を果たした。そんな物語だ」と指摘する。
しかし、これはピープルパワー神話の消失を意味し、「リベラル的なものから権威主義的なものへの再転換を象徴する物語」でもある。フィリピンだけでなく、ミャンマーでは軍がクーデターで文民政権をつぶし、カンボジアでは38年も権力を握っていたフン・セン氏が首相の座を長男に譲るなど、アジアでは民主化に逆行する動きが相次ぐ。
こうした状況を、著者は「インドシナ戦争時、自由主義陣営はアジアにおける『共産主義のドミノ』を恐れたが、近年、この地域は『権威主義のドミノ』の様相をみせている」と憂える。気がかりだが、アジアを知るうえで本書は必読である。
(近藤伸二・ジャーナリスト)
週刊エコノミスト2024年11月12・19日合併号掲載
『ルポ フィリピンの民主主義 ピープルパワー革命からの40年』 評者・近藤伸二