小説 高橋是清 第2話 運の良い子=板谷敏彦
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嘉永7(1854)年はペリーが浦賀に来航した翌年である。当時の日本は黒船の来航や内裏の炎上、東海地震に南海地震と、これでもかとばかりに災厄に見舞われた。そのため嘉永7年は、11月に入ると打ち続く凶事の影響を断ち切るために改元されて安政元年となった。
この年のはじめ、芝の露月町(ろげつちょう)、現在の新橋5丁目住友金属鉱山の本社辺り、ここに幕府お抱え絵師の狩野探昇、俗名を川村庄右衛門守房という人物が住んでいた。この付近は昭和のバブルの時代に、通り沿いのペンシルビルで話題になった地域で、京町屋のような狭い間口に奥深い敷地の商人用の建物が多かった。
絵師、庄右衛門は男盛りの47歳である。体格も立派なら性格も豪放、社交的で面倒見もよく、家に人を呼んでは盛んに宴が催された。三日に一度は4斗樽の正宗(上等な酒)が運び込まれていたそうだ。そのくせ大酒を飲んだ日にも欠かさず日誌をつけたという、そんな几帳面さもあわせ持っていた。
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