小説 高橋是清 第3話 横浜大火=板谷敏彦
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元治元(1864)年秋、是清は英語学習の国内留学のために横浜へと向かった。10歳である。
この2年前には生麦事件が起きている。薩摩藩主の父である島津久光の大名行列の前を馬上のまま横断したイギリス人に対し、護衛の藩士が切りつけて、1名を殺傷、2名に重傷を負わせた。イギリスは艦隊を連ねて直接薩摩に談判に赴き、結果として薩英戦争に進展した。
また長州藩は下関海峡を封鎖、まさに是清が横浜に出立しようとしている頃、列強との間で馬関戦争が起こっていた。この薩摩・長州両藩は、これらの事件をきっかけに、攘夷(じょうい)とは正反対の行動をとることになるが、まだまだ江戸では開国と攘夷の空気が入り交じり、これから横浜の外国人居留区に出入りして英語を学ぶなど非常に危険な行為だった。
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週刊エコノミスト
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