小説 高橋是清 第10話 森有礼=板谷敏彦
有料記事
幕末の幕府直轄教育機関には、国学と漢学を学ぶ昌平坂学問所、洋学の開成所、医学の医学所の三つがあった。
これらは慶応4(1868)年5月頃に新政府によって接収された後、6月から9月にかけて昌平学校(本校)、開成学校、医学校として順次再開されたが、翌明治2(1869)年1月、制度を改めて頭取・教授が置かれ、仕切り直して新政府の教育機関として開校された。
明治2年の12月に入ると再び制度が改正されて本校は大学に、開成所は大学の南にあったので大学南校となり、東にあった医学所は大学東校となった。
残り2397文字(全文2643文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める