歴史書の棚 「天下人」をめぐる痕跡 今日に残る東西分派=今谷明
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一向宗(浄土真宗)の本山・本願寺はなぜ東西に分かれているのか。京都では誰怪しむ者なく、“お東さん”“お西さん”の愛称で呼びならわしている。
JR京都駅で下車して驚かされるのは東本願寺の巨大な伽藍(がらん)であるが、お東の建物のほとんどは明治以降の造営で、文化財は圧倒的にお西のほうに軍配が上がる。国宝の飛雲閣(ひうんかく)、北能舞台、唐門、対面の間以下、桃山時代にさかのぼる豪華な建築は、みなすべてお西(本派本願寺)に属する。
創価学会を別として仏教の最大宗派である本願寺が東西に分立していることについては、戦国桃山期における複雑かつ政治的な背景があり、あたかも鎌倉後期に皇統が時明院統と大覚寺統で争っていた事例に比較さるべきものといえよう。
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