映画 天才作家の妻 秘密を骨抜きにする夫は許せない G・クロースの芝居に息を呑む=芝山幹郎
グレン・クロースは巧い。まだ30代だった彼女を、「ガープの世界」(1982)や「危険な関係」(88)で見たときも驚いたが、70代のいまも、衰えはまったく見られない。いや、以前よりもさらに味わい深く、さらに凄みのある芝居をするようになったというべきか。
新作「天才作家の妻」でも、その技量は遺憾なく発揮される。心の奥で凝り固まった怒りと愛情の深さが骨絡みになり、単色の感情などまったく見当たらない。彼女が演じるのは、ノーベル賞受賞が決まった作家ジョー・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)の妻ジョーンだ。
映画は、92年のコネティカットからはじまる。ある夜、60代後半の夫婦に国際電話がかかり、ジョーのノーベル文学賞受賞を伝える。ふたりはベッドの上で飛び跳ねて喜び合う。
だが、そこから先はすんなりとは進まない。内輪の祝賀会、ストックホルムへ向かうコンコルドの機内、さらには式典での晩餐会……お約束のプロセスが進むに従って、ジョーンの不機嫌と屈折はどんどん募りはじめる。なぜだろうか。
監督のビヨン・ルンゲは、回想場面をときおり挟みつつ、過去の彼らを炙り出していく。娘時代のジョーンを演じるのは、クロースの実の娘アニー・スタークだ。
ふたりの出会いは1958年だった。スミス大学の文芸科教師がジョーで、有能な学生がジョーン。ふたりはたがいに求め合い、ジョーは妻子と別れてジョーンと結婚する。だが彼らはこの先、長きにわたってある秘密を分かち合うことになる。
そんなふたりの、危うくておかしな関係を、監督のルンゲは薄皮を剥ぐように見せていく。笑える場面も多いが、ひやりとする陰険さもそこここに潜んでいる。そもそも、ノーベル賞騒ぎで夫婦の間柄がぐらつくという設定が喜劇的なのだが、問題の根はもっと深そうだ。
そのきわどさを、さまざまな形で体現するのがグレン・クロースだ。無責任で甘ったれで、依存心の強い夫を演じるプライスもなかなかの巧者だが、夫と秘密を分かち合い、なおかつその秘密に心を食い荒らされていく妻の複雑な変化を形にするのは、けっして容易な業ではない。
とりわけ記憶に残るのは、「秘密に関する秘密協定」を夫が破ったときのクロースの反応だ。秘密を墓場まで持っていくならともかく、きれいごとを装って秘密を骨抜きにし、同時に自身の免責を図ろうとする態度を彼女は許せない。厄介だがリアルなこの心理を、クロースは鮮やかな説得力で見せる。その一挙一動から眼を離さないでほしい。
(芝山幹郎・翻訳家、評論家)
監督 ビヨン・ルンゲ
出演 グレン・クロース、ジョナサン・プライス、クリスチャン・スレーター、マックス・アイアンズ
2017年 スウェーデン、米国、英国
原題 The Wife
1月26日(土)~新宿ピカデリーほか全国順次公開