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追悼 『噂の真相』元編集長・岡留安則 「根っからの反権力」の人だった=小林剛

サングラスがよく似合った
サングラスがよく似合った

 タブーに切り込む雑誌の編集長・岡留安則さんって、どんな人物なんだろう──。1月31日に71歳で亡くなった月刊誌『噂の真相』元編集長の岡留さんに私が会いたいと思った素直な動機だった。

『週刊エコノミスト』の人物紹介欄に2度取り上げた。その縁で何度かお会いしただけなのだが、「自由でタフな人」というのが岡留さんの印象である。

 岡留さん率いる『噂の真相』は言いたいことを言う月刊誌だった。既成のマスコミが記事化をちゅうちょする政治家、芸能事務所のスキャンダルを取り上げ、皇室や同業のマスコミにまで遠慮なく踏み込んだ。広告がほとんど載っていないことが、逆に強みで企業に遠慮する必要もなかった。

右翼に襲われる

 四六時中、サングラス姿。外見はこわもてだが、会ってみると、偉そうなところは全くない。人を安心させるような太い声で語り、物腰も実にソフト。

 冗談好きで、「オレがピンサロで遊んでも(スキャンダル)記事にならない」と笑い飛ばした。岡留さんの人物論を書く時、周辺から得た「陽気なラテンおやじですよ」との評に妙に納得したものである。

 岡留編集部への抗議は日常茶飯事、訴訟も絶えなかった。しかし岡留さんにとっては、そうした抗議は覚悟のうえ、想定内のことだったろう。そもそも他メディアが掲載できないような記事を載せれば「読者がつく」との読みで創刊したのが、『噂の真相』だったから。

 狙いは的中。あまたの雑誌が苦戦する出版不況の中でも、発行部数20万部(公称)を維持してきた。2004年の休刊後に会った時には「黒字なのに休刊する雑誌なんてない」と、ちょっと自慢気に話していたのを思い出す。

 争いは法廷だけではなく、編集部の応接室でも起きた。皇室記事をめぐり右翼の2人に襲われ額と右足に9針のケガを負ったのだ。事件の詳細を尋ねると、「話し合いが落ち着いてきたところを、よせばいいのに(同席の編集幹部が)『歴史的には皇族は呼び捨てにしていたことがある』なんて余計なことを言い出すものだから、向こうがまた怒り出して」と深刻な話にもかかわらず面白がって話す。聞いていた私まで一緒に声を上げて笑ってしまった。悲壮という言葉には、無縁な人だったと思う。見習いたかった。

朝日新聞が1面で引用

 そんなタフな精神の持ち主だからこそ、権力に歯向かっての偉業を達成できたのだろう。「東京高検検事長スキャンダル」「森(喜朗)首相の買春疑惑」の記事で2年連続、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を獲得した。検事長スキャンダルでは、『朝日新聞』が1面トップで『噂の真相』の記事を引用、新聞各紙も追いかけた。

 雑誌づくりに携わる者にとって名誉ある勲章だが、岡留さんはおごることもなく、「この種のネタは、霞が関、永田町では騒ぐでしょうが、一般の読者の食いつきがどこまであるのか」と、経営に直結する読者目線を常に失わなかった。「反権力」を標榜(ひょうぼう)していたが、「正統派」マスコミの「反権力」とはひと味違っていた。マスコミが陥りがちな「上から目線」で読者を啓蒙(けいもう)するなんて気持ちは、さらさらなかったはずだ。

 根っから権力、権威は嫌いな気質だった。読者目線=市民目線を何よりも優先する「草の根反権力」だったのではないか。20万部という数字は、権力や大企業になびかない「草の根反権力」への共感だった。岡留さんは、ジャーナリストの立ち位置のひとつを語らずとも教えてくれた。

 権力、しかもその中枢に真っ向から挑む一方で、「リッチな熟女との交際」「(秘)人妻交際」なんて、ちょっと怪しげな広告を平気で載せるのも岡留流だった。

 休刊後は、沖縄に移住し、お会いする機会はなかったが、亡くなっても忘れることのできない人だ。ご冥福をお祈りします。

(小林剛・エコノミスト編集部元編集委員)

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