映画 運び屋 快楽主義と人生の深みの共存 イーストウッドさすがの洞察力=芝山幹郎
最初は、よくぞこんな話があったものだと思った。だが、すぐに思い直した。この題材は、クリント・イーストウッドに映画化されるためにあったのではないか。
「運び屋」は、実話をもとにしている。1924年に生まれたレオ・シャープという花の栽培家が、2009年にコカインの運び屋として麻薬密売組織に雇われ、11年に87歳で逮捕されたのだ。懲役刑を言い渡されたときが90歳。事件は大きな話題となり、同年6月、〈ニューヨーク・タイムズ・マガジン〉に長篇記事が掲載された。
この記事を脚色したのが、イーストウッド監督・主演の「グラン・トリノ」(08)で脚本を書いたニック・シェンクだ。イーストウッドは、話に惹かれた。レオ・シャープという人物を面白いと感じた。花の栽培に心血を注ぎ、本業が傾いてからはコカインの運び屋という仕事に奇怪な情熱を燃やす。イーストウッド自身、「この役は他人に譲りたくなかった」と記者会見で述べている。
映画の主人公は、アール・ストーンという名に変えられている。アールは「グラン・トリノ」の主人公と同様、朝鮮戦争の退役軍人だ。
アールには金が必要だった。麻薬密売組織は運び屋を探していた。高齢で、国中の道路に精通し、安全運転に徹するアールは、捜査当局の眼につきにくい。スカウトされた彼は、事情をよく呑み込めぬまま、指令に従う。だが、報酬の大きさを知り、その金で義賊ロビン・フッドの気分を味わえると知ってからは……。
このあたりになると、イーストウッドは水を得た魚だ。長距離ドライヴを楽しみ、カーラジオから流れるウィリー・ネルソンやディーン・マーティンの歌に合わせて声を張り、ふたりの娼婦をモーテルに呼んで機嫌よく頬をゆるめる。
そう、「運び屋」の魅力を支える第一のポイントは、この図太い楽しさにある。レオ・シャープ自身、「花もコカインも人を幸せにする」などと能天気なことをテレビの取材で語っていたが、アールも不敵な快楽主義者の血を隠そうとしない。
その一方で、アールは家族を顧みなかった人生を悔みつづけている。自身を責め、「俺は許されるに値しない人間だ」とつぶやく。矛盾するように見えるが、この重層性がイーストウッドの持ち味だ。不敵で上機嫌な快楽主義者が、ふとしたはずみに人生の深みを覗かせることはべつに不思議ではない。「運び屋」は、その両面をさらりと共存させる。イーストウッドの洞察力、恐るべし。この超人は、威張ったり恨んだりという情動に無縁なのだろう。
(芝山幹郎、翻訳家・評論家)
監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシア
原題 THE MULE
2018年 米国
TOHOシネマズ日比谷ほかで公開中