決まらない、決められない英国 EU離脱の果てしない迷走 アイルランド問題は蚊帳の外=石野なつみ
英国の欧州連合(EU)離脱期限となる3月29日を前にしても、英国内の混乱は収拾がつきそうもない。メイ英首相のたび重なる戦略・判断ミスもあり、英議会で離脱協定案の採決に大敗。「離脱延期」は何とか可決したものの、EU側と延期の期限を巡って見解の相違が続き、「合意なき離脱」のシナリオが高まっている。指導力の低下したメイ首相の辞任論まで浮上し、焦点のアイルランド島の国境問題を巡っては爆発事件も発生する事態に陥っている。
問題の根源となっているのが、英国とEUの間で離脱の条件を定めた離脱協定案だ。20年末までを「移行期間」とすることで英政府とEUの間で合意し、英国がEUに支払う清算金や市民の権利などを盛り込んだ。また、アイルランドの国境の扱いでは、アイルランドと英領北アイルランドの国境はモノの行き来を自由とするほか、移行期間中にアイルランド問題が解決しない場合、英国全土をEU関税同盟に残す「バックストップ」(安全策)を取ることも可能とした。
離脱協提案の下院での採決は当初、昨年12月に予定していたが、否決される可能性が高いと判断したメイ首相が突如、採決を延期。EU側からさらなる譲歩を引き出す綱渡りの戦略を採った。しかし、EU側から譲歩を引き出せないまま、今年1月15日に行われた採決では賛成202票、反対432票と、230票もの票差で政府が大敗。近代英国政治史の記録を塗り替える事態となった。
英下院は翌13日、「合意なき離脱は回避する」という政府案を可決し、14日には離脱期限を6月末まで延期するようEUに求める政府案も可決した。しかし、政府案の採決では、親EUのガーク司法相やラッド雇用・年金相、クラーク民間企業・エネルギー・産業戦略相らがメイ首相の方針に反して棄権し、メイ首相の求心力の低下を印象付けた。英下院では通常、投票結果の発表直後はやじや称賛の声が飛び交うが、14日の採決では異様な静寂に包まれていた。
3度目採決は「なし」
この時点では、21、22日にベルギー・ブリュッセルで開かれるEU首脳会議が、離脱延期の協議の場と目されていた。その前提とされたのが、EU首脳会議までに3度目となる離脱協定案の採決を実施し、可決されること。そこで、メイ首相は下院議員への説得を続けたが、3度目の採決実施に冷や水をかけたのはバーコウ下院議長だった。バーコウ下院議長は18日、首相官邸に事前の打診もなく、離脱協定案に大幅な変更がない限り3度目の採決はしないという見解を発表したのだ。
「4月12日」が期限
EU側には、できるだけ早い時期に欧州議会選挙への英国の参加・不参加を明確にし、ポピュリスト(大衆迎合主義)の躍進を食い止めてEU改革を推進したい意向が表れている。EU首脳会議では、3月29日までに英下院で離脱協定案が可決されれば5月22日までの離脱延期を認めるが、否決の場合は英政府が4月12日までに欧州理事会に対し、次のステップとして英政府の代替案を申請しなければならないとの方針が定められた。
英国とEUのさらなる交渉の余地はほとんどない。EUは一貫して再交渉の可能性を否定し、バックストップは共同文書を追加した2度目の採決の際の離脱協定案が最終版だと主張する。また、共同文書を巡って、法的拘束力があるとするEU側と、それを否定するコックス英法務長官とで見解も食い違っている。3月27日時点では3度目の採決を含めてすべてが流動的な情勢で、メイ首相の辞任論も半ば公然となっている。
「独立戦争の始まり」
バックストップに強硬に反対しているのが、北アイルランド地方政党で与党・保守党に閣外協力する民主統一党(DUP)だ。北アイルランドを英国の一部と考えるDUPは、グレートブリテン島との間にいかなる“国境の概念”が発生することも許さない。さらに、保守党内のEU離脱推進派で構成する「ユーロピアン・リサーチ・グループ」(ERG)も、国家主権を取り戻すことを最大の理念とし、バックストップを含む離脱協定には否決票を投じる姿勢を明確にする。
EU離脱問題のこじれによって緊張が高まっているのが北アイルランドだ。北アイルランドでは、プロテスタント系のDUPと、カトリック系のシン・フェイン党の対立が深まり、17年1月以降は自治政府が機能しない不安定な状況が続いている。今年1月19日夜には、裁判所前に停車していた盗難車が爆発。アイルランド統一を目指すカトリック過激派で、アイルランド共和軍(IRA)の分派である「新IRA」関係者とみられる2人が逮捕された。
また、新IRA系の新興政党シールーが、北アイルランドの「独立戦争の始まり」を宣言した。3月上旬にはスコットランドのグラスゴー大学やロンドンのウォータールー駅、ヒースロー空港、ロンドン・シティー空港そばのビルで相次いで不審な小包が発見され、新IRAが犯行声明を出した。現在は自由にヒト・モノ・カネが行き来できるアイルランド国境が、EU離脱に伴って管理されるようになれば、さらに過激化する懸念が高まっている。
離脱撤回の嘆願書も
北アイルランド問題は、宗教対立に端を発するため根が深い。1922年にカトリック系のアイルランド(当時アイルランド自由国)が英国から独立した際、プロテスタント系が多数を占めていた北アイルランドは英国に残留することを選択した。北アイルランドでは少数派のカトリック系は抑圧され、60年代末からシン・フェイン党の武装組織であるIRAがテロ活動を開始。英国各地で3400人を超す犠牲者を出した。
しかし、英国、アイルランドとも73年にEUの前身である欧州共同体(EC)に加盟し、93年のEU発足を経てヒト、モノ、カネの移動が自由化されたことも影響し、武装闘争は徐々に沈静化。英政府とアイルランド政府は98年、北アイルランドでの自治権確立などを条件に「ベルファスト合意」として和平に合意し、IRAも05年に武装闘争の終結を宣言した。だが、16年6月のEU離脱を問う英国民投票で離脱賛成が多数を占めて以降、北アイルランドは再び不安定化している。
アイルランドと北アイルランドの間でモノの自由な移動を認めれば、アイルランド国境を経由してグレートブリテン島にも自由にモノが流入することになり、EU離脱が事実上機能しなくなる。一方、アイルランド国境でモノの自由な移動は認めても、グレートブリテン島には流入させないことにすれば、同じ国の北アイルランドとグレートブリテン島の間に“国境”が生じてしまうことになる。かといって、アイルランド国境に税関を設ければ、北アイルランドが一層不安定化する。
アイルランド問題の解決策は容易には見いだせない。離脱協定案では混乱を避けるため、バックストップを盛り込んだほか、移行期間の延長も選択できるとした。しかし、これが離脱強硬派の反発を招き、なかなか可決に持ち込めない。その一方、3月20日に始まったEU離脱撤回を求める英政府への嘆願書には、1週間足らずで560万人以上の署名が集まった。23日には2度目の国民投票実施を訴え、ロンドンで100万人以上が参加するデモも開催。世論もまさに二分している。
「うんざり」なのは……
英国の混乱に収拾がつく見通しが立たず、欧州では英国が合意なき離脱に至る観測が高まっている。その場合、EU加盟27カ国への深刻な経済・社会的影響は避けらないため、欧州委員会は3月25日、合意なき離脱の際の準備が完了したと発表した。しかし、肝心のアイルランド国境問題に関しては、現在も欧州委員会とアイルランド共和国で協議が続いている。当然だが、英国は蚊帳の外に置かれている。
欧州議会裁判所は昨年12月、英国が一方的に離脱撤回をすることが可能という判断を下している。また、ユンケル欧州委員会委員長とトゥスク大統領は3月21日、現在英国に残されている道として、合意ありの離脱、合意なき離脱のほか、離脱撤回も選べると発言している。しかし、メイ首相やハント外相はじめ英閣僚は離脱撤回に前向きな発言をすることはない。国民投票の離脱という結果を尊重するのが民主主義という理屈だ。
メイ首相は3月20日の演説で、「EU離脱のプロセスそのものに対して国民がうんざりしている」と述べたが、決められない英国に対して世界中もうんざりしている。
(石野なつみ・住友商事グローバルリサーチシニアアナリスト)