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イラン問題 米英の歴史的責務と、日本の独自外交=伊藤芳明

    (出所)編集部作成
    (出所)編集部作成

     前後左右5個のナビゲーション・ランプ以外の明かりを落とし、タンカーの真っ暗なブリッジではレーダーだけが青白い光を投げる。漆黒の海をイランの高速艇部隊の明かりが横切り、ブリッジに一瞬、緊張が走る──。1980年に始まったイラン・イラク戦争終盤、双方がペルシャ湾を航行するタンカーを攻撃する「タンカー戦争」に発展した1987年8月。ペルシャ湾内のUAE(アラブ首長国連邦)沖でタンカーに乗り込み、深夜のホルムズ海峡を抜けてオマーン湾まで、緊迫の18時間をルポしたことがある。高速で接近するイランの艦艇に対してタンカーがいかに無防備か、皮膚感覚で痛感させられた取材だった。

     あれから30年以上の時を経て、再びホルムズ海峡に軍事衝突の危険が高まっている。英国とイランがお互いに相手国のタンカーを拿捕(だほ)し、イランと対峙(たいじ)する「有志連合」への参加を、米政府は日本などホルムズ海峡ルートの恩恵を受ける諸国に呼び掛けている。

     そもそもはオバマ前政権時代の2015年に、米英独仏露中の6カ国が核開発を制限するためイランと結んだ核合意について、昨年になってトランプ政権が離脱を表明したことが発端だ。対イラン制裁を再開する米国に対してイランは反発を強め、欧州の英独仏3カ国が何とかイランを核合意につなぎとめようと画策する構図が報じられてきた。

    第一次大戦の生命線

     しかし「英独仏」とひとくくりで報じることで大切なことが見落とされているのではないか。イラン側から見れば、英国に対して独仏と違う特別な感情を抱かざるを得ない歴史がある。

     イランの石油は1908年、英政府の要請を受けたオーストラリアの鉱山技師、ウィリアム・ノックス・ダーシーによって発見され、1909年にBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)の前身、アングロ・ペルシャン石油が設立され、ダーシーの利権を引き継いだ。

     1913年には英海軍が艦船の燃料を石炭から石油に切り替え、翌年には第一次世界大戦が勃発する時期と重なったため、イラン産原油は英国にとって戦争遂行に死活的な重要性を持つようになった。英政府はアングロ・ペルシャン石油の株の51%を保有し、アバダンに大規模な製油所を建設するなど、生産、精製から流通までを一手に握り、イランには会社の年間純益の16%を渡すだけだった。

     第二次世界大戦の頃から英国に加えてソ連、米国もイランの石油利権獲得の動きを強め、イランのモサデク首相は1951年、石油の国有化を宣言した。これに対して英国はペルシャ湾に海軍を派遣して圧力をかけ、イランに対して経済制裁を科すなど、トランプ政権の「お手本」となるような対抗措置を講じ、1952年にイランは英国と断交するに至った。

     米国は当初、英国によるイラン内政への干渉やイラン産原油独占の動きに反対を表明し、イラン国民はイランの独立を保障してくれる唯一の大国と期待を寄せていた。しかし米英両国間で「モサデク後」の石油利権の分配で合意が成立したのを受け、CIA(米中央情報局)は1953年、当時のパーレビ国王と協力してモサデク政権を崩壊に追い込み、期待が大きかった分だけ、イラン国民の対米感情は一気に悪化した。

     1979年のイラン・イスラム革命後の米大使館人質事件によって、米国民の対イラン感情が悪化したのは間違いない。しかしイラン国民の対米感情はそれより以前、1953年に「裏切られた」時から悪化している。さらに石油発見から半世紀以上にわたって原油収入を搾取され、国際的孤立にまで追い込まれた歴史から、英国に対しても「信用できない国」との感情を根強く抱いている。6月に来日したイランのエブテカール副大統領も講演の中で、「1953年を忘れてはいけない」と、米英両国への不信の原点を強調している。

    親日国の原点

     その一方で、イランは「親日国」と言われる。6月に安倍首相が訪問すると、ロウハニ大統領だけでなく最高指導者ハメネイ師が会談しているのにも歴史的な理由がある。

     モサデク首相による石油国有化に対し、英国が対イラン包囲網を構築した際、石油メジャー各社は他の湾岸諸国に国有化の流れが波及し、既得権益が損なわれるのを恐れ、結束してイラン原油を国際市場から排除する挙に出た。石油の国有化を成し遂げたものの、イランは輸出の道を閉ざされてしまった。この時、英国や石油メジャーの意向に逆らって唯一イラン産原油の買い付けを行ったのが日本で、「親日国」イランの出発点はここにある。

     サンフランシスコ講和条約を締結し、主権国家としての機能を取り戻したばかりの日本は、米国頼りだった原油の購入先を中東地域にまで広げるのが願いだった。出光興産のタンカー、日章丸が1953年に英国の封鎖網をかいくぐってイランに到着、イラン国民の熱狂的な歓迎を受けたのだ。

    イランが親日国となった原点(イランの石油を積んで川崎港に着いた日章丸=1953年)
    イランが親日国となった原点(イランの石油を積んで川崎港に着いた日章丸=1953年)

     その後も1970年代に入って三井物産などが大型石油プラントのプロジェクト「IJPC」(イラン・ジャパン石油化学)を立ち上げ、米大使館人質事件をきっかけとした米国の対イラン制裁、イラン・イラク戦争の戦禍などの中でも、プロジェクト推進に努力を重ねた歴史がある。プロジェクト自体は完成を見ないまま多額の損失を計上して終了したが、日本、イランともに経済、外交分野で人的ネットワークが培われ、日本にとって欧米諸国にはない外交的財産となってきた。

     英国は米国主導の有志連合とは別に、欧州主導によるホルムズ海峡のタンカーの安全確保を提唱している。イランの石油利権獲得を画策し、イラン国民を翻弄(ほんろう)してきた歴史を振り返れば、米英両国ともに軍事的対決ではなく、イランの核問題の平和的解決に対する歴史的責務がある。そしてイランと独特な絆を培ってきた歴史を有する日本も、米国の有志連合構想に安易に乗るのではなく、かつてのように独自の外交を模索すべきだろう。

    (伊藤芳明・毎日新聞論説特別顧問)

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