新興国通貨が「リブラ化」する ユーザー20億人のインパクト=山岡浩巳
米巨大SNS(交流サイト)企業のフェイスブックが中心となって今年6月、暗号資産(仮想通貨)「リブラ」の発行計画を公表した。ブロックチェーン・分散型台帳技術を使い、グローバルな規模で送金や決済を可能にするその構想に、主要国の当局からは警戒感も示されている。リブラの構想にはさまざまな論点が含まれているが、特に注目したいのは、リブラの登場が信認の低い通貨の存続や資本規制を難しくし、世界の通貨システムを一変させる可能性である。
リブラは、米ドルやユーロなど信認の高い通貨建てによる、短期国債や預金などの安全資産を100%裏付けとする「ステーブルコイン」として発行される計画である。このため、リブラの価値は実質的に、国際通貨基金(IMF)のSDR(特別引き出し権)同様、「複数の主要通貨のバスケット」に連動することになる。これまでの暗号資産は、法定通貨に対する価値の変動が激しく、決済や送金に使うことは難しかった。
すなわち、国際送金や決済に実際に使われる可能性が極めて高い暗号資産が、本当に登場しそうだということになる。リブラが通貨制度や金融政策に及ぼす影響は、リブラが各国内で法定通貨を凌駕(りょうが)して流通する可能性がどの程度あるかによる。この問題は、通貨の信認の低い国で米ドルが流通する「ドル化」のケースと同様で、実際にリブラが法定通貨を席巻する場合、その国の金融政策の有効性も低下せざるを得ない。
フェイスブックには全世界に20億人を超えるアクティブユーザーがいる。リブラはこれらのユーザーがスマートフォンのアプリを通じて容易に入手し、やり取りできる設計が目指されるだろう。そうなると通貨の「リブラ化」は「ドル化」以上に起こりやすいと予想される。また、2013年にキプロスで起きた金融危機の際には、ビットコインへの資金流出も生じており、政策への信認低下を契機として「リブラへの資金逃避」が起こることも考えられる。
1人3万円でIMF規模
リブラへの資金逃避は、実質的には国内の預金などから、リブラの裏付け資産を構成する外貨に資金が流出する形となる。こうしたリブラ化やリブラへの資金逃避を最も恐れるのは、政策への信認確保に問題を抱えている国の当局であろう。しかし「リブラ化」のリスクを直接の理由として、リブラの発行自体を禁じることはなかなか正当化されにくい。「リブラ化」は基本的には政策の信認低下の「結果」でしかないからだ。
リブラを禁じたところで政策が信認を失えば、外貨や他の暗号資産への資金逃避が起こり得る。それは、近年のジンバブエやベネズエラの例からも明らかだ。各国当局としては、リブラを新たな「規律付け」と捉え、政策の信認確保に努めることが求められる。
一方、リブラはその信用力を担保するため、裏付け資産として常に信認のある通貨を必要としている。そのため、米ドルやユーロなど信認の高い通貨については、よほど国際性や使い勝手が劣っていない限り、リブラに駆逐される可能性は低いだろう。しかし、リブラの規模が拡大すれば、その裏付け資産となる通貨の選択や構成比を変更することが、主要通貨の需給にも影響を及ぼす。
例えば、20億人超のフェイスブックユーザーがそれぞれ3万円程度のリブラ残高を持つだけで、IMFの出資合計額に匹敵することになる。さらに、20万円程度のリブラを持てば合計残高は日本のGDP(国内総生産)並みとなってしまう。このようにリブラの規模が拡大した場合、リブラが特定の通貨の裏付け資産への採用・不採用や構成比の変更をアナウンスしただけで為替市場に大きな影響が及び得る。
この意思決定はリブラ協会(現状ではフェイスブック子会社やビザ、マスターカードなど28社が参加)によって行われる計画で、さらに、リブラ協会は将来的には誰でもリブラの意思決定に参画できる形を目指している。しかし当局にとっては、このような決定が実質的に民間で行われてしまうことは懸念材料となろう。政治圧力などによって恣意(しい)的に決められれば、さらに問題が大きくなる。
規制で封じるより両立を
現在でも、エクアドルは米ドルを法定通貨としている。また、国際金融センターである香港は従来からカレンシーボード制(流通する自国通貨に見合う量の米ドルを中央銀行が保有する制度)を採用している。今後、政策への信認が低下した国や小国の中には、リブラの法定通貨化に踏み切る先が現れるかもしれない。リブラの登場は国内で自国通貨以外の決済手段にアクセスするコストを大きく引き下げ得る。この結果、信認の低い通貨はより淘汰(とうた)されやすくなり、世界の通貨制度が主要通貨とリブラなどの実質的なバスケット通貨に二極化していく可能性も考えられないわけではない。ただ、リブラをめぐる論点は、規制監督のあり方やデータの取り扱いなど広範に及んでおり、国際的議論が慎重に行われることを考えれば、実際の発行までにはある程度時間がかかり、その発行の仕組みも調整が行われることが予想される。
もっとも、インターネット環境下で不正送金やシステムダウンを防ぐブロックチェーンや、取引を自動的に執行する「スマートコントラクト」といった新技術を活用しながら、決済の効率性向上やリスク削減、あらゆる階層への金融サービスの提供などを進めること自体は、望ましいと言える。
新技術の開発や利用自体を規制で封じるのではなく、規制のイコールフッティング(公平な規制条件)の確保と健全なイノベーション競争を通じて、これらの地球的解決の課題と通貨・金融制度の安定を両立させていく必要がある。そのためには、各国が政策の信認確保に努めるとともに、フェイスブックのような非金融企業だけでなく、銀行や、さらには中央銀行も、新技術の活用も含め、預金や法定通貨など決済インフラのイノベーションに努めていくことが大事であろう。
(山岡浩巳 フューチャー経済・金融研究所所長、前日銀決済機構局長)