NEWS ボルカーFRB元議長死去 困った時に名前挙がる「行動の人」=吉脇丈志
政府に屈しないインフレファイター 困った時に名前挙がる「行動の人」
ポール・ボルカー元米連邦準備制度理事会(FRB)議長が12月8日死去した。92歳だった。
1979年からの8年間、FRB議長を務めたボルカー氏は、第2次石油危機を引き金とする激しいインフレを抑え込むため、短期金利を20%台まで引き上げる金融引き締めを断行。一時的に失業者の増加を招いたが、当時「米国の持病」と言われたインフレ抑制に成功したことで「インフレファイター」の異名を取った。
ボルカー氏はFRBの「独立性」を重視し、米政府と度々対立したことでも知られる。為替アナリストとしてFRBの政策を注視していた三木広行氏(FHマーケット・ストラテジー)は、「ボルカー氏は、景気優先でFRBに利上げ停止を要請する政府に対して毅然(きぜん)とした態度を貫いた。結果的にベーカー財務長官(当時)から疎んじられた」と話す。
ベイカー氏は当時、ボルカー氏を除くFRB理事らを金融緩和派に転向させ、86年2月にボルカー氏の反対を押し切って利下げを決定した。FRBで主導権を失い、辞任に追い込まれたボルカー氏は「過度な金融緩和は禍根を残す」と警鐘を鳴らした。
日銀の米州統括役兼ニューヨーク事務所長としてボルカー氏と交流を持った山本謙三・元日銀理事は、「米経済が困った時は、常にボルカー氏の名前が挙がった」と振り返る。
金融危機後に再登場
08年のリーマン・ショック後、政府の経済再生諮問会議の議長を務めたボルカー氏は、金融危機の再発を防ぐために金融機関への規制強化に乗り出した。銀行のヘッジファンドへの投資を厳しく制限する新たな規制は「ボルカー・ルール」と呼ばれた。
「ボルカー氏は後世まで続く遺産を残した」と哀悼の意を表したパウエル現FRB議長はいま、トランプ大統領から強い金融緩和圧力をかけられている。今年7月の利下げも「政治圧力に屈した」と市場は見ている。
いまの中央銀行にこそ、毅然と正論をぶつけ“行動で示す”ボルカー氏のような人物が求められる。
(吉脇丈志・編集部)