小説 高橋是清 第75話 米国金融事情=板谷敏彦
(前号まで)
日露開戦が迫る中、日本政府は戦費調達を画策するが、ロンドン市場ではロシア優勢と判断され、日本公債の下落が止まらない。渡米した是清にニューヨークで起債せよとの命が下る。
明治37(1904)年3月17日、ニューヨークに到着した是清たちが宿泊したのはセントラルパーク・ウエスト、72丁目にあったマジェスティック・ホテル。11階建ての当時としては高層のホテルである。
ニューヨークの建築物の高層化は1889年に米国オーチス社が電動のエレベーターを開発して以降のことだ。それまではホテルの高層階の部屋の値段は安く2階3階の低層階が高かったものだが、エレベーターの発明がその順序を逆にした。
この頃米国の大都市では高層ビルの建設ラッシュが始まろうとしていた。
当時のマンハッタンの交通機関は高架鉄道が主役でホテルの近くでは9番街をダウンタウンまで走る列車があった。この鉄道は1903年まで蒸気機関車が列車を牽引(けんいん)していたから、是清たちが渡米した時はちょうど電化した直後だった。
またブロードウェーには路面電車があったが、実はこれは電車ではなく、ケーブルカーのように地中に埋まったロープにつかまって駆動するもので、従って架線はなかった。
街は時折自動車も走っていたが、まだほとんどが馬車だった。
マンハッタンの中心、グランド・セントラル駅からパーク街を北に走る鉄道はちょうどこの時に地中化工事を行っており、最初の地下鉄や、ハドソン川の対岸、ニュージャージーとトンネルで結ぶパストレインもこの時まさに工事中だった。
こうしてマンハッタンは街全体が工事中みたいなもので、そうした資金の出所は社債や株式によって調達されたものだった。
ニューヨーク・タイムズが直撃
横浜正金銀行ロンドン支店長、山川勇木から是清に届いた電報は、ロンドンではロシアと戦う日本の信用は全くなし。誰もロシアに勝てるとは思っていない。公債の発行は無理だから、是非ニューヨークで資金調達してくれとの内容だった。
「まったく、クギの一本も打たねば、どんなものができるのかわからぬだろうに」と是清は深井にこぼして、この電報を黙殺した。
しかし当時、米国はすでに経済規模では英国を抜き始めてはいたが、国際金融市場の規模という点ではウォール街(ニューヨークの金融街)はまだまだシティー(ロンドンの金融街)の足元にもおよばなかった。大きくなったとはいえ、米国はいまだ発展途上にあり、工事中のマンハッタンのように国内での資金需要が旺盛だったのである。
ロンドンでは世界各国の公債が上場されて日々取引されているが、ニューヨークでは、外国が発行する債券は、この時点ではわずか2銘柄の実績があるだけだった。従って山川が言うニューヨークで資金調達せよという話はしょせん無理な話だったのである。
この当時の米国の2大金融グループと言えばモルガン商会とクーン・ローブ商会である。両社は当時の最大の産業である鉄道会社の支配を通じて競い合っていた。
モルガンはWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の代表だ。WASPとは建国以来の英語を話す白人のアメリカ人たちで、米国の産業の多くを支配していた。
一方でクーン・ローブ商会は、19世紀に入ってからのドイツ系ユダヤ人の移民で、日常会話はドイツ語、国際的に強固なユダヤ人ネットワークとその勤勉さによって、米国国内でも急速にその経済的な勢力を伸ばしつつあった。
両社は欧州で資金を集めて、米国に投資するという業務フローが基本だったが、20世紀に入ったこの時期には、米国の資金を海外に投資するという業務にも興味を持ち始めていたのである。
であれば日本への投資も考えられなくもないのだが、まだ米国から日本に本格的に進出している金融業者はなかった。米国を訪れた是清たちにしても訪問先はスパイヤーズ商会など是清の個人的な知り合いに限られ、2大金融グループからのアプローチもなければ、つてもまだなかったのだ。
それでも日露戦争はメディアにとっては貴重なコンテンツ、米国でも注目の的だった。是清たちが到着した翌日、ニューヨーク・タイムズの記者が訪問してきた。
「今回のあなたのニューヨーク訪問は、戦争のための資金調達だとうわさが立っていますがいかがか?」
是清は、今回の資金調達のための海外出張について、足元を見られぬように強気な態度を崩すまいと決めていた。
「我が国は外国公債発行の必要はありません」
是清はそう断言した。
「今回の出張は日本銀行の代理店である横浜正金銀行海外支店の監査のためです」
「外国公債の発行はないということでしょうか?」
「はい、我が国の場合、戦費は国内発行の債券だけで十分に賄えると考えています」
「もうすでに発行されたのですか?」
「ええ、今月の10日に、クーポン5%で5年債を1億円募集いたしましたが、5倍の応募がありました。日本国内に資金は潤沢にございます」
この後で深井が記者に日本国債の歴史などを説明した。この様子は3月20日の同紙の記事になっている。
21日、この日英国の金融業者ベアリング商会のニューヨーク駐在員が是清を訪ねてきた。
「ロンドンに着いたら、香港上海銀行のキャメロン卿に会ってください。彼から高橋さんに是非お会いしたいという伝言をことづかっております」
是清たちが出発の際に香港上海銀行から提示された条件は、日本公債の価格が下落した今となっては難しいだろうが、彼らはまだビジネスをあきらめたわけではなかった。山川が言うように「鐚(びた)一文の信用もなし」というわけでもなかったのだ。とにかく事はロンドンに行ってからである。
前途は多難
この日ニューヨーク在留邦人による歓迎会が開催され、金子堅太郎とともに是清も深井も主賓として招待された。
その時の写真が残されている。食後の大きな丸テーブルを囲んでの記念写真である。壁には大きな日米の国旗、テーブルの中央は大きな花で飾られ、その横には戦艦三笠を模した2本煙突2本マスト、主砲4門のケーキがある。フランス料理フルコースの後、数多くのワイングラスに、レギュラー珈琲のカップが人数分置かれている。
そのテーブルの後ろに2列に並んだ参加者は総勢14名、前列の中央には金子堅太郎が座し、その後ろに立った高橋是清が巨体を顕示している、2列目左端には遠慮がちな深井英五の姿も見える。
主催者は在ニューヨークの生糸商の新井領一郎、薬業とあるがタカジアスターゼ、アドレナリンを発明した高峰譲吉、三井の岩原謙三らである、これに日銀、横浜正金銀行関係者らが集まった。
日本の将来を信じる者は歓喜で開戦を迎え、日本財政の内実を知る者は暗澹(あんたん)とした気持ちであっただろう。この写真の中の人たちは皆深刻な面持ちである。
(挿絵・菊池倫之)
(題字・今泉岐葉)