追悼 「イノベーションの伝道師」 クリステンセン氏逝く=田中道昭
世界的ベストセラー『イノベーションのジレンマ』の著者で米ハーバード・ビジネス・スクール教授のクレイトン・クリステンセン氏が1月23日に亡くなった。「世界で最も影響力のある経営学者」としてだけではなく、経営コンサルタントとしても多大な実績を上げてきたクリステンセン氏は、実業と学問の相乗効果を図る「実学一体教育」の観点から、アカデミアと経済界双方にとって偉大な人物だった。近年では職業選択における内発的動機の重要性を説いた『イノベーション・オブ・ライフ』などの著作を通じて、思想家としても影響力を発揮していた。
代表作の『イノベーションのジレンマ』では、豊富な経営資源を持つ大企業が、なぜ破壊的な革新を導入する新興企業の台頭によって市場での主導権を失うのかという理論体系を豊富な実例とともに提示してきた。近年刊行した『ジョブ理論』では、経営戦略のみならず、マーケティングの領域で具体的にどのような仕組みを整えたらいいかを多彩な事例とともに紹介している。
筆者が同書で注目したのは、「ジョブ理論」を実践して成果を上げている事例の1社として、経営学においても最も注目すべき企業である米アマゾンが登場していることだ。同社をEC(電子商取引)の王者に押し上げた創業者のジェフ・ベゾス最高経営責任者は、クリステンセン氏を崇拝していると公言。同書ではベゾス氏についての記述も多く、イノベーションを継続的に生み出すアマゾンについて、「学問的普遍性と実践的応用性」の観点からどのように貢献してきたかを知ることもできる一冊となっている。
『イノベーションのジレンマ』では革新の好事例として日本企業が登場した一方で、2冊目の『イノベーションへの解』では閉塞(へいそく)感が支配する経営状況が観察される実例としても日本企業が取り上げられている。筆者は同書にはクリステンセン氏の日本企業復活への期待が込められているものと理解してきた。
クリステンセン氏は、『イノベーションへの解』の中で、将来を見通すことが困難で何が正しい戦略かはっきりしないような状況においては、全社を巻き込む形で、試行錯誤的に事業を進めていくという「創発的戦略策定プロセス」を推奨している。リーンスタートアップ(むだのない効率的な起業)やアジャイル(俊敏な)といった開発手法とも相通じるものだ。クリステンセン氏の訃報に接して、筆者は今こそ日本企業に最も求められている経営手法ではないかと痛感している。
(田中道昭・立教大学ビジネススクール教授)