週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

東大アイドル・仮面女子から政治へ=橋本侑樹・渋谷区議会議員/783

    「今は大好きな歌もおあずけの生活で、さびしいです」 撮影=蘆田 剛
    「今は大好きな歌もおあずけの生活で、さびしいです」 撮影=蘆田 剛

     東京大学受験生・学生時代から続けてきたアイドル活動を卒業し、渋谷区議会議員として日々、課題を拾い上げようと街を歩き、政策・情報を発信する。

    (聞き手=種市房子・編集部)

    「私にしかできない社会を照らす仕事を」

    「受験や政治への挑戦も宣言した以上、やめる選択肢は私にはない」

    ── 2019年4月の統一地方選・渋谷区議選(定数34)で、「あたらしい党」から立候補し55人中4位で初当選しました。現在の活動状況は。

    橋本 議員としての任務である議会活動などの公務と、政治家として自ら行う集会、街頭活動、勉強会、区行事などの政務の2本柱です。政務は裁量に任されており、日によって仕事時間にはばらつきがあります。アイドル時代は政治的発言を周囲から止められていましたが、今は自己責任で政策を主張できます。

    ── 現在、議会での立場は。

    橋本 最大会派の自由民主党(9人)に次ぐ、「シブヤを笑顔にする会」で8人です。長谷部健区長と志を同じくする議員が集った会派で、主に無所属議員が所属します。あたらしい党所属は私だけです。会派とはいえ、党議拘束や「これを言ってはいけない」という縛りもなく、居心地がいいです。

    政策提言心がける

    ── 19年11月の定例議会では会派を代表して、本会議で代表質問に立ちました。

    橋本 代表質問は、会派を代表して区政全般に関する質問をすることです。「質問」という名前ですが、議員として問題意識が問われます。私は、子育て環境、防災、性的マイノリティーや障害者らへの支援体制、観光推進、街づくりなどボリュームいっぱいの質問をしました。

    ── 代表質問に当たって気を付けたことは?

    橋本 「この制度はどうなっていますか」「この政策の実績を数字で教えてください」と質問するのではなく、政策提言を盛り込み、その提言について区執行部の意見をただすという形式を取るようにしたことです。たとえば、福祉人材の確保策についての質問で、介護人材確保のためには、区内の宿舎借り上げや区営住宅提供も有力ではないかと質問しました。

    ── 政務では、街頭活動に立つことも多いですね。

    橋本 街頭活動で演説もしますが、マイクを握っていると通行人とコミュニケーションが取れません。むしろ、政策パンフレットを配りながら通行人の方々と話すと、「こんなことが問題なのですよ」などと、課題意識を聞けます。代表質問には、そうした街で拾った声も反映しました。

    ── 議員就任からまもなく1年。外から見ていたイメージと、中に入ってからの違いは何か感じますか。

    橋本 外部者の一人として国会中継を見ていた時は、政治は政党と政党の“試合”というイメージが強かったです。しかし、区議会の内部にいると、政党間の争いは感じません。区議会は、個々の議員レベルで掘り下げたい問題、地域の課題に向き合っています。この点にこそ地方議会の存在意義があるのではないでしょうか。

    ── 特に興味のある政策分野は?

    橋本 議員を目指したきっかけは障害者や性的マイノリティーの方々が生きやすい社会のために、おこがましいのですが、何らかの結果を残したいと志していました。しかし、議員として総務委員会に所属し、区行政の現場を実際に見ると、委員会の所掌である防災・行政、スタートアップ(起業や創業間もない企業)支援、区役所の働き方改革など、日々新しい情報に触れて問題意識が醸成されています。

    授業に舞台衣装で出席

    仮面女子時代も大学の講義に出ていた 橋本侑樹さん提供
    仮面女子時代も大学の講義に出ていた 橋本侑樹さん提供

     議員になる以前は、東京・秋葉原を中心に活動するアイドルユニット「仮面女子」のメンバー。時には仮面をかぶり、時には素顔を見せて歌い踊るアイドルグループで、常設劇場でのパフォーマンスのほか、CDも出す。9年半のアイドル活動中には、東大を受験し1浪後に合格、心理学を専攻して、16年に卒業した。── アイドル活動を始めたきっかけは。

    橋本 小さい頃から歌が好きでした。高校(東京学芸大学付属高校)時代、NHK東京児童合唱団に所属し、学校では男子バスケットボール部のマネジャーを務めていました。高校3年で合唱も部活も引退して、東大を受験しようと決めていたのですが、「歌がないと勉強に身に入らない」と喪失感を抱いていました。そんな時にSNS(交流サイト)で見つけたのが、後に仮面女子としてお世話になる事務所でした。

    ── なぜ、東大受験を目指したのですか。

    橋本 高校3年で行きたい大学や、やりたいことが見えない中、教師から「進学先を決めるには、入試問題を見るのも有効」と助言されました。東大の入試問題を見て「知識だけではなく、知識を使う理解力や柔軟な発想力が求められる。こんな問題が解けるようになりたい」と思ったのがきっかけです。

    ── 当時のアイドル活動は。

    橋本 東大受験生アイドルとして、勉強や模試の過程をつづるブログを書き、握手会や撮影会には出演していました。1浪して12年、東大に合格した後に振り付け練習にも参加できる状況になり、1年生の時にステージデビューしました。

    実家から出て行く

    ── 在学中はどのような生活を。

    橋本 授業の後、秋葉原の常設劇場に駆け込んで、カバンをマイクに握り替えて、ステージに立っていました。パフォーマンスの後は、夜は振り付け練習。東京の実家には帰れない日もあり、朝、ステージ近くの銭湯に入って、授業に行くということもありました。服の脱ぎ着の時間もないので、(カラフルで、ミニスカートにフリルがついている)ステージ衣装で授業に出ているうちに「変人」と言われるようになってしまいました。

    ── 大学卒業後もアイドルを続けました。

    橋本 親が「これだけ芸能活動をしてきたのだから」と大学卒業後は就職を勧めてきました。私も親孝行をしたい思いもあり、いったんは“シューカツ”もしていたんですが、面接で「今までしてきたこと」と聞かれると、どうしても「面接官を楽しませたい」「受ける話をしたい」と思ってしまうのです。さんざん「変人」と言われていたのに、今さら普通の道に行けるのかと疑問が湧き、アイドルを続けることにしました。

    ── 親は反対しなかった?

    橋本 親に「アイドルを続ける」と伝えると「自分の力で生きていけるのならばいい」と、実家から出て行くよう告げられました。そして「親が買った物は実家に置いていきなさい」とも言われましたね。私も意地になって、紙袋に事務所支給の衣装だけを入れて、その日の夜、実家を出て事務所の物置で過ごしました。スーツケースやバッグも親のお金で買ったもので、紙袋しかなかったんです。その後は1人暮らしをしながら、仮面女子の一員としてステージに立っていました。

    ── 卒業後のアイドル活動は。

    橋本 ステージでのパフォーマンス以外にも、「高学歴タレント」という枠で、ニュースや新聞でコメントを求められました。「若い人の代表者として、しっかり答えなければ」と予習をするのですが、新聞やインフルエンサー(社会的に影響力のある人)の意見を参考にしているだけです。自分が一から情報を得て考えているわけではないことにもんもんとしていました。そんな時、東京都の小池百合子知事が主宰する政治塾「希望の塾」のことを知り、応募しました。

    ── 希望の塾で得たことは。

    橋本 塾は計6回の一方通行での講義に参加しただけなので、胸を張れるほどのことはありませんが、政治のことを考える基礎体力が付きました。自分の意見を表明できるようになったのは、その後に都議の音喜多駿氏(現・参院議員)の政治塾に入ってからです。この塾では少人数でグループ討論と発表というゼミ方式に近いもので、政策提言という点で、今の議員活動の基礎を学べました。

    メンバーの事故転機に

    ── 政治の勉強とアイドル活動を両立する中で、政界転出を決めた理由は?

    橋本 18年4月に仮面女子メンバーの猪狩(ともか)ちゃんが車椅子生活になったことがきっかけです。猪狩ちゃんは、街を歩いていた時、強風に倒された看板の下敷きになり脊髄(せきずい)を損傷しました。自分は何も悪くないのに歩くことができなくなったのです。それでも、彼女は前向きにリハビリをして、車椅子に乗ってステージ復帰までしました。

     ただ、ハンディキャップのある方は猪狩ちゃんのように強い人だけではありません。声を出せないハンディキャップのある方が住みやすい社会を作りたい。猪狩ちゃんの姿を見て、社会を明るく照らす仕事、私にしかできない仕事があるのではないか、と人生設計を考え直すようになりました。

     当時住んでいた渋谷区の区議になることを決め、その年の12月にステージで翌年3月での引退と渋谷区議選への立候補を表明。翌日から街頭で選挙へ向けた活動を始めた。しかし、地盤も資金も何もなく、投開票日までわずか4カ月の短期決戦。まさに五里霧中の船出だった。

    ── 政界転出というと、それなりの準備も必要だったのでは。

    橋本 初日は、マイクも使わずに「おはようございます」とあいさつをしたのですが、本当に手応えがありませんでした。街頭での活動、通称「辻立ち」には、政策を書いたパンフレットや、演説用のマイク、候補者ののぼり旗などが必要だと後で知ったんですが、そんな知識もなく、いきなり街中で立っていたわけですから。その後は、通行人との会話のきっかけになるので、政策パンフレットを配布するようになりました。

    ── 有権者の反応は?

    橋本 街頭で政策パンフレットを配っていると、励ましの言葉もある一方で、「落ちろ」「チャラチャラしている」「若すぎる」と言われることも珍しくなかったですね。ただ、「出馬する」と言った以上、やるしかありません。アイドル時代も「東大を受験する」と言って合格し、卒業もしました。私には、宣言した以上、やめるという選択肢はありません。

    複数目標が性に合う

    ── 各選挙で投票率は低迷しており、国民の政治離れが進んでいると言われます。

    橋本 有権者には「自分が何か言っても何も変わらない」という無気力が蔓延(まんえん)しているのでしょう。私は、政治に参加すれば世の中が変わると実感してほしくて、「この提言はいいな」「これは課題だな」と感じたツイッターや意見には、なるべく反応します。最近も、区内の自転車レーンの整備をしてほしいという旨で、ツイッター上で問題提起があったので、発信者に直接連絡を取って意見を聞きました。

    ── 大学生とアイドルなど、時には二つの活動も同時並行しながら、さまざまな経験を積んでいます。これからの人生をどう描いていますか。

    橋本 振り返れば体力的には潰れてもおかしくなかったのですが、私には精神の支柱が何本かあった方が安定するのです。こちらでうまくいかなくても、あちらで頑張ろうと、集中力が向く先が何個かある状態がいいのです。5年後、10年後の自分がどうなっているか、予想も付きませんが、まずは4年間しっかりと区議の任期を全うして、政治に参加したいと思える人を増やしていきたいですね。


     ●プロフィール●

    はしもと・ゆき

     1992年、三重県出身、中学時代に東京に転居。東京学芸大学付属高校を経て、2016年3月東京大学文学部(心理学)卒業。高校3年時からアイドルユニット「仮面女子」の一員として活動を開始。18年12月までステージに立った。19年4月の渋谷区議選で55人中4位で初当選。現在1期目。区議会議員としては「橋本ゆき」の通称を使っている。27歳。

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