教養・歴史ワイドインタビュー問答有用

回り道の人生=今泉健司・将棋プロ棋士四段/790

「将棋を離れたら笑顔でいたいけれど、将棋は盤上がエグいでしょ(笑)」
「将棋を離れたら笑顔でいたいけれど、将棋は盤上がエグいでしょ(笑)」

 「三度目の正直」という言葉は、将棋の今泉健司四段にこそふさわしい。プロへの狭き門を、3度目の挑戦でようやく突破。将棋への情熱は今なお尽きることなく、「周囲を笑顔に」をモットーに新たな勝負に挑む。

(聞き手=元川悦子・ライター)

「失敗の経験を伝え、プロになる子を育てたい」

「同じ編入試験でプロになった折田四段には一度、負けている。対局では全力でリベンジしたい」

── 将棋ユーチューバーのアマチュア、折田翔吾さん(30)が今年2月、プロ編入試験で合格したことが大きな話題となりました(4月からプロ四段)。今泉さんは2015年4月、同じ編入試験を経て41歳でプロになっています。

今泉 プロ棋士は皆、自分の勝負に忙しいんですが、合格したことにはおめでとうと言いたい。プロ編入試験は自分との戦いでもあり、よく頑張ったなと思います。私は折田四段がアマ時代の18年12月、銀河戦の本戦トーナメントで負かされています。折田四段とは今度の加古川青流戦で対局することが決まっているので、全力でリベンジしたいですね。

── 最近は棋士活動と並行してゲーム会社に就職した星野良生四段、奨励会三段リーグ戦を突破して今年4月にプロになった東京大学大学院在籍の谷合廣紀四段のように、ユニークな棋士も増えています。

今泉 棋士はみんな個人事業主なので、対局だけで稼ぐことに固執しなくてもいいという考えもあるし、活動の幅を広げるのはいいことだと感じますね。僕自身もありがたいことに講演や将棋教室に呼んでもらって忙しくしています。ただ、僕らの世代は「盤上で魅(み)せるのが棋士」という感覚がまだまだ強いのかな。やっぱり自分もそうありたい。将棋を通して周りの人たちを笑顔にし、喜んでもらえたら最高にうれしいですね。「みなさんに笑ってもらいたい」というのが僕のモットーなんです。

── 今泉さんは18年7月、NHK杯将棋トーナメント1回戦で15歳だった藤井聡太七段に勝利し、脚光を浴びました。

今泉 藤井七段とは3度対戦して勝ったのはあの1度だけ。かなりの実力差があります。野球で言えば、メジャーリーグのサイ・ヤング賞を取る投手に日本の2軍選手が最初の1打席目だけたまたま打てたようなもの(笑)。今年1月の棋王戦予選で敗れた時、ツイッターに「今回が最後の対局かもしれません」と書き込んだのも、藤井七段がこの先、どのレベルに到達するか分からないと感じたから。もちろん再び対戦したいですけど、そのためには自分が勝って上位に進まないとダメですからね。また戦える日が来るのを願って頑張ります。

「完璧」な藤井七段

── 藤井七段は何が違う?

今泉 棋士にはいろんな特徴があり、序盤に強い人も終盤にたけた人もいる。藤井七段は「終盤に強い」と言われていますが、僕から見ると完璧なオールラウンダー。16~17歳であれだけ完成度の高い棋士は見たことがありません。仮に17歳の羽生善治先生(九段)と今の藤井七段が戦ったら、藤井七段の圧勝でしょう。まさに「孤高」という言葉がふさわしい。それほど突き抜けた棋士だと思います。

── 彼に勝った対局が会心の一局ですか?

今泉 藤井七段に勝利した後のNHK杯2回戦、深浦康市九段との対局ですね。僕は積極的に前へ出ていくタイプで、序盤から強く踏み込んで流れに乗ることができ、最後まで丁寧に指してノーミスで勝ち切れました。もともと自分はメンタル面が課題だったけど、終始、落ち着いて自分らしい将棋ができた。プロ5年目になりますけど、会心の将棋はその一局。滅多に指せるものではないんです。

 転勤族の一家に生まれた今泉さんが将棋と出会ったのは、岡山市に住んでいた6歳の時。小学4年で広島県福山市に引っ越してから将棋道場に通い、14歳で棋士を養成する奨励会に入会。小林健二九段に弟子入りして単身大阪へ赴き、修業生活に入った。しかし、マージャン、カラオケ、ボウリング……。さまざまな遊びも覚えて修業に身が入らず、現実の厳しさをまざまざと知ることになる。

── 奨励会では14歳から12年を過ごしました。

今泉 中学を卒業して大阪で1人暮らしをし、小林先生の家で朝8時に朝食を取ることから始まりました。日本将棋連盟大阪支部で記録係や雑用をすればアルバイト代をもらえる。親からの仕送りにそれを足して生活していました。でも遊びたい盛りの僕は規律が足りなくて、小林先生から「広島に帰ってやり直せ」と命じられてしまいました。結局、奨励会の三段リーグを勝ち上がれず、年齢制限の規定で26歳での退会が決まりました。今、考えると甘かったですね。

── 地元に戻って働いたんですか?

今泉 はい。大阪を離れる時、NHKの村上信夫アナウンサーが僕に向けて「人生にムダなことなど一つもない」と書いてくれた著書を小林先生から贈られたんです。運転免許を取り、大学入学検定試験を受けるための勉強から始めました。書店でアルバイトをした後、飲食店の社員として働き始めたのですが、精神的にきつくて体重が20キロくらい落ちたんです。4年間勤めながら、どこかで「何で俺は奨励会の時に、もっと一生懸命やらなかったのか」と後悔の念にかられていました。

── そんな最中の06年、三段リーグ編入試験が作られます。

今泉 それまでは年齢制限で奨励会を退会したら二度とプロ棋士になれませんでした。新たな道を切り開いてくれたのは瀬川晶司六段。彼は奨励会を退会後、アマチュアでプロを次々に破る活躍を見せ、特例の試験を受けて05年にプロになりました。彼の話を聞いて僕はすぐ会社をやめ、編入試験を目指すことにしたんです。試験を受けるには師匠の推薦が必要で、小林先生に今一度、お願いに行きましたが、いろんな経緯から断られてしまった。でも、桐谷広人先生(七段)を紹介され、07年2月からの編入試験に挑みました。

「3度目」のチャンス

── その編入試験を6勝1敗で突破し、33歳で再び奨励会員になります。

今泉 09年に2度目の退会となり、チャンスを生かしきれませんでした。特に、07年の1期目(4~9月)は9勝2敗で途中まで首位に立っていたのに、「このままうまくいっていいのかな」と急に立ち止まってしまい、その後はまさかの5連敗。35歳で再び大阪を離れる時、完全にプロ棋士の道が絶たれたと思いました。26歳の時は未練があったけれど、この時は「2度も挑戦させてくれてありがとう」という気持ちしかなかったですね。

 2度目の挫折後は東京・兜町で証券外務員になった。しかし、想像以上にシビアな世界だと痛感し、わずか3カ月で断念。福山市に戻って父の勧めで介護福祉士の資格を取得し、高齢者施設で働き始めた。それでも、インターネット将棋対局サイトなどで将棋は指し続ける。プロにはなれなくても、「単純に将棋が好きだから」だ。アマチュア棋戦にも出場すると、14年にはアマ竜王戦、アマ名人戦、朝日アマ名人戦のアマ三冠を達成。プロ相手にも次々と勝利し、気付けばプロ再々挑戦のチャンスが巡ってきていた。

── 介護士の仕事から得たものは?

今泉 最初にお世話をしたおじいちゃんにいきなり殴られたんです。その人は右側に立たれると不快に感じると知り、「人の気持ちを考えて動かないといけないんだ」と初めて気付きました。それまでは将棋盤と向き合う人生で、思いやりを持つ機会がほとんどなかった。新たな発見でした。その人はトイレ誘導の時にわめき散らすのが常。シベリア抑留経験から閉所恐怖症になっていると聞きました。

 でもある晩、「兄ちゃんの手、ぬくいな」と優しく声をかけてくれました。ご機嫌なんだなと思って「おやすみ」と声をかけ、翌朝行ってみると亡くなっていた。最後に会ったのが自分というのはショックだったし、つらかったですね。「人間はいつか死ぬ。日々、悔いを残さず、全力で生きよう」と強く思うようになったのと同時に「怒るよりも笑顔で人に喜んでもらえるようにしたい」という気持ちにもなりました。

奨励会の幹事に

プロ編入試験第4局で石井健太郎四段(当時)に勝利してプロ入りを決め、感想戦で対局を振り返る今泉さん(右)=2014年12月
プロ編入試験第4局で石井健太郎四段(当時)に勝利してプロ入りを決め、感想戦で対局を振り返る今泉さん(右)=2014年12月

── 14年にはプロ編入試験制度が作られ、プロ相手に10勝・勝率6割5分という条件をクリアして第1号の受験者となります。

今泉 プロ編入試験はプロ棋士との対局5局で3勝という相当に高いハードルでした。最初の2局は勝ったんですが、第3局を落としてしまった。それまでの自分だったらそこで「このままでいいのか」と考え込んでしまったと思うんです。でも、連れ合いが「人生、死ぬこと以外はかすり傷」と言ってくれて、ネガティブな感情が全て吹っ飛びました。14年12月の4局目で石井健太郎五段(当時四段)との対局に勝ち、とうとう高い壁を乗り越えることができました。なかなかプロになれる実感が湧かず、ふわふわした気持ちだったことを覚えています。

── プロ通算成績は97勝76敗、勝率0・5606(20年4月8日時点)。19年度は23勝18敗です。

今泉 もっと勝ちたいですね。19年度は終盤で大失速したことが悔しいですが、これが実力。通算成績は客観的に見れば横ばいを続けていますが、将棋の力は40代で下り坂になると言われます。私は今、46歳で、これから年齢とともに力も落ちていく。何とかしなければいけないと思っています。

── 将棋に人生を捧げていますが、将棋の魅力とは何でしょうか。

今泉 自己表現ができるゲームということでしょうか。ルールさえきちんと守れば、何をやっても自由なんです。勝った時は自己表現が受け入れられたということで、そこに喜びや感動があります。負けは確かにつらいですが、自分で背負っていくべきこと。奨励会を2度退会した後、アマチュア時代に将棋を指し続けていた時は、「プロにはなれなかったけれど、一生将棋を指し続けていこう」と思っていました。

第67回棋王将棋戦第4局の大盤解説会に登場した今泉さん(中央)=2018年2月
第67回棋王将棋戦第4局の大盤解説会に登場した今泉さん(中央)=2018年2月

── 将棋は今、AI(人工知能)がプロをしのぐ実力となり、プロの指し手がソフトで瞬時に分析されるようになりました。

今泉 私も指し手の研究でAIを使うことはあっても、AIの指し手は面白くないと思うようになりました。プロの力がAIに及ばないことははっきりしていますが、プロの将棋はあくまで人間同士の勝負。人間が指す悪手によって葛藤など複雑な感情が交錯し、ドラマが生まれるから将棋は面白い。私は人間の感情を大切にしたいと思うし、そうした要素が評価されなくなったら、プロが指す将棋の意味はなくなります。将棋に面白いという感覚がなくなったら、私は引退してもいいですよ。

── 今後の目標は?

今泉 プロをやっている以上、一局一局しっかり戦って上を目指したいというのが一番。ただ、タイトルを狙うとは言えないし、そんなに簡単なものじゃない。あの藤井七段だってまだタイトルには手が届いていないんですからね(苦笑)。今、こうしてインタビューを受けているのも、自分が回り道をしてきたから。将棋界での自分の役割も意識しながら、将棋界に貢献できたら理想的です。

 この4月からは奨励会の幹事にもなりました。月2回、大阪市の関西将棋会館に行って少年たちの保護や監督、指導をする役目です。数々の失敗をして、社会人経験も積み重ねてきた自分にできるアドバイスがあれば、ぜひしたい。奨励会の入会者は年々増えていますが、プロになるのは本当に狭き門。それを突破する子が1人でも多く出るように、微力ながら努めていこうと思います。


 ●プロフィール●

いまいずみ・けんじ

 1973年生まれ。広島県福山市出身。14歳で日本将棋連盟がプロ棋士を養成する奨励会に入るが、年齢制限により26歳で1度目の退会。33歳の時に三段リーグ編入試験に合格して奨励会に再入会。2年後に2度目の退会となり、介護士として働く。2014年に新設されたプロ編入試験制度で第1号の合格者となり、15年に41歳でプロ四段昇段。振り飛車党で、2度目の三段リーグ在籍時に「2手目3二飛戦法」を開発し、将棋大賞の升田幸三賞受賞(08年度)。

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