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経済・企業 地方で働く

「アフターコロナ」で大注目!「ゆるい移住」で活躍する若者たち=藻谷ゆかり(巴創業塾主宰)

 かつての地方移住は「定年後、地方でのんびり暮らす」ことであった。ところが近年、子育て世代の移住希望者が増えている。移住希望者が相談に訪れる東京・有楽町の「ふるさと回帰支援センター」では年々20~40代の利用者の比率が高くなり、今では約7割を占める。都会で働くストレスや保育園の待機児童問題に加え、高度成長やバブル経済を経験していない子育て世代は、物質的な豊かさより心の豊かさを重視する価値観を持っているからだ。

 筆者夫婦は「子供3人を自然豊かな地方で育てたい」と、2002年に長野県東御(とうみ)市に移住した経験者である。また筆者の周りでは11年の東日本大震災をきっかけに、家族で移住した30代や40代も多い。

 今回の新型コロナウイルスの感染拡大は若い世代の人生設計に大きく影響する可能性がある。人口が集中する都市部を中心に感染が深刻化し、都市部に住むリスクが浮き彫りになった。テレワークやオンライン会議の活用が進み、地方に住みながら都会の仕事を継続できる可能性も高まっている。

 では、実際に地方移住した子育て世代はどのように働いているのか。地方での新しい働き方を、「仕事」と「拠点」を軸に、表のようなマトリックスに整理し、事例を紹介する。

 これから紹介する4人の移住者たちは、自身の経済活動が地域の活性化につながっていることも特徴だ。思想家で詩人の谷川雁は1950年代に発表した詩の一節で「東京へゆくな ふるさとを創れ」とうたい、当時の若者に大きな影響を与えた。今後は、出身地に帰るUターン組とともに、移住者のIターン組が「新しいふるさとを創る」ことを期待したい。

 なお、事例の取材は2月24日までに終了している。

◆2拠点×違う仕事 岩手・花巻の木材店四代目は東京と「パラレル経営」

小友木材店と東京nIT企業を「パラレル経営」する小友康弘さん(岩手県花巻市)(筆者撮影)
小友木材店と東京nIT企業を「パラレル経営」する小友康弘さん(岩手県花巻市)(筆者撮影)

 小友康広さん(37歳)は東京のIT企業の取締役を務めながら、岩手県花巻市にある家業の小友木材店を継いで社長をしている「パラレル経営者」である。岩手県花巻東高校出身でメジャーリーガーの大谷翔平選手は「投打の二刀流」だが、小友さんは「経営の二刀流」を実践する。

 小友木材店は1905年創業で、2代目である小友さんの祖父が戦後、鉄道の発展を見込んで進出した枕木製造業で事業を大幅に伸ばした。3代目である小友さんの父親は日本の林業が衰退していくなか、花巻市内の製材工場跡地をショッピングセンターとして開発し、不動産賃貸業で安定した収益を確保した。

 4代目の小友さんは家業の木材会社を継ぐことに迷いはなく、明治大学政治経済学部に進学したのも、卒業後に東京のITベンチャーに入社したのも、将来花巻に戻り、東京で学んだ知識や経験で家業を時代に合わせて変革し、発展させたいという思いからだった。

 2005年に入社したIT企業スターティアで、電子ブックソフトの営業や開発プロジェクトで実績を上げる。09年には子会社であるスターティアラボの執行役員となり、11年に取締役に就任した。

 ところが12年に父親のがんが発覚。いずれ花巻に帰ることを考えていた小友さんが会社に辞表を提出したところ、創業者でスターティアホールディングス最高経営責任者である本郷秀之氏から「月の3分の1くらい、スターティアラボの仕事もできないか?」と提案された。いったんは固辞したものの本郷氏の熱い説得を意気に感じて、結局、二つの事業をパラレル経営することを決心する。

林業をカッコよく

 小友さんは今、月の半分を花巻で、3分の1を東京で過ごし、残りの6分の1は世界や日本のどこかにいる。

 小友木材店の木材事業は先代の時に赤字だったが、今は黒字化している。山から切り出した木材を主に製紙会社に丸太のまま販売する一方、銘木となるような木材はオークション経由で高く売り、まきストーブの燃料に向いている樹種は燃料として販売している。また木材を使ったスタンディングデスクなどの新製品開発にも取り組む。「しっかり経営すれば、林業はもうかるビジネス。小友木材店を世界一カッコいい木材会社にしたい」と小友さん。

 地域で木に親しみ木の文化を学ぶ「木育」にも力を入れる。花巻市の幼稚園児の父母から「木製のイスを幼稚園に寄付したいから作ってほしい」という要望を受けた際には、「親子で木のイスを作るワークショップ」を開催。今年夏には、岩手県産木材をふんだんに使った体験型木育施設「花巻おもちゃ美術館」をオープン予定である。

 東京でIT企業の取締役をしながら、家業の経営を進化させつつ地域にも貢献する小友さんは、地方企業の後継ぎのロールモデル(手本)である。

◆移住×違う仕事 老舗旅館を購入し、再生「渋温泉」の集客や人材紹介も

「小石屋旅館」の石坂大輔さん(長野県山ノ内町)(筆者撮影)
「小石屋旅館」の石坂大輔さん(長野県山ノ内町)(筆者撮影)

 長野県山ノ内町の渋温泉に移住し、「小石屋旅館」を経営する石坂大輔さん(39歳)は、保守的な温泉街にさまざまな化学反応を起こしている。

 東京で証券会社のトレーダーをしていた石坂さんは14年の冬、趣味でネットの競売情報を見ていると、築90年近い小石屋旅館が400万円弱で競売にかけられているのに気が付いた。石坂さんは渋温泉に行ったことはなかったが、近くに生息する「スノーモンキー」(温泉につかるニホンザル)を目当てに外国人旅行客が訪れることを知っていた。大学時代に1年間休学して欧州やアジアをバックパッカーとして回ったほどの旅行好きで、「いつかは旅館を経営したい」と考えていた石坂さんにとっては、またとないチャンスだった。

 小石屋旅館を落札し、昭和の木造旅館の風情を残しながら、カフェを中心に2000万円でリノベーションを行った。外国人旅行客向けに素泊まりで宿泊費を抑え、カフェで好きな食事や飲み物を注文する「泊食分離」のスタイルにしたところ、15年8月の開業時からオンライン旅行サイトAirbnb(エアビーアンドビー)を通じて集客し、順調なスタートを切ることができた。

貢献認められ、組合加入

 温泉街にありながら、小石屋旅館には温泉がない。旅館の所有権が移る時に、温泉の権利は引き継がれないからだ。石坂さんは、外国人旅行客にはシャワーだけでよく、渋温泉の旅館組合に加入すれば宿泊客は九つの外湯巡りができると考えていたが、開業当初は「新規加入の条項がない」という理由で組合に加入できなかった。

 石坂さんは持ち前の明るい性格で近隣の旅館とも積極的にコミュニケーションし集客の相談に乗っているうちに、オンライン旅行サイトでの集客があまり得意ではない旅館に代わってサイトの登録作業を行うなどサポートし始めた。

 また渋温泉の旅館や同じ山ノ内町にある志賀高原のホテルの人材不足対策として、開業初年度から学生インターンの人材紹介も手掛けてきた。年々増え、19年には14大学から約100人が参加した。

 こうした貢献が徐々に認められて、19年4月には渋温泉の旅館組合に加入できるようになった。さらに、19年から長野県栄村の秘境・秋山郷にある宿泊施設の運営を受託し、活動領域を広げている。

◆移住×同じ仕事 震災を機にパン屋を長野へ なりわいと暮らしが結びつく

「石窯パン ハル」の春野里美さん(右)と仁宣さん夫妻(長野県上田市)(筆者撮影)
「石窯パン ハル」の春野里美さん(右)と仁宣さん夫妻(長野県上田市)(筆者撮影)

 長野県上田市の海野町商店街の一角にある「石窯パン ハル」。パン職人の春野里美さん(43歳)と販売を担当する春野仁宣さん(54歳)夫妻は12年6月に移住する以前、東京・高田馬場でベーカリーカフェを9年間経営していた。学生アルバイトを5人雇い、04年の開業初年度から年商2000万円以上と経営は順調だった。しかし、08年のリーマン・ショック後から売り上げが下がり始め、さらに東日本大震災があった11年以降、最盛期の半分ほどまで売り上げが落ち込んでしまう。

 移住に踏み切ったきっかけは、08年から毎月のように出店していた代々木公園のアースデイ・マーケットだった。農家や食品の生産者が出店するこのマーケットで、地方移住して有機野菜を作る人々と出会い、「自分たちも自然豊かな地方でパン屋を『なりわい』として暮らしたい」と思うようになった。長野県などを回り、「街に清潔感があり、自然が身近にある」上田市への移住を決めた。

小麦の生産者と連携

 12年6月、夫婦2人で運営するスタイルで「ベーグル屋ハル」をオープン。年商は1000万円前後と東京時代に及ばないが、高田馬場では月約30万円だった店舗賃料が約3分の1と大幅に少なくなったため、経営に余裕ができた。

 日々の暮らしも都会とは一変した。店舗から自転車で通える距離に家を借りて、隣の畑で家庭菜園を楽しんでいる。移住後に一男一女に恵まれたが、東京と違い、上田では保育園に入るのも容易だった。子供たちが通う保育園にも畑があり、園児たちは野菜を作って給食で食べている。

 パン屋としても、地元の長野県産小麦を購入して使うだけでなく、上田市に隣接する青木村を中心に有機小麦を栽培・加工・消費する活動に加わり、生産者や消費者と連携している。都会では分断している「ワーク」と「ライフ」だが、地方移住によって「有機小麦でパンを作る『なりわい』」と「畑がある自然豊かな『くらし』」がつながった。

 そして昨年秋、「なりわい」のスタイルをさらに変えた。パンの種類を減らし、製造方法を変えることで労働時間を短くしたのだ。

 ヒントになったのは、広島市のパン屋店主が書いた本『捨てないパン屋』(田村陽至著、清流出版)だ。有機小麦と塩と水のみを使い、まき窯で焼き上げると深みのある味わいのパンになり、冷蔵庫で2週間ほど日持ちがする。

 春野夫妻は広島市まで研修に行き、19年10月に富士山溶岩を使った石窯を導入して「石窯パン ハル」としてリニューアルした。以前は多種類のパンを作るため、里美さんは早朝から12時間働いていたが、カンパーニュなど数種類のパンを焼く今は6〜7時間で終わる。暮らしにも余裕ができ、平日午前中の保育園行事にも参加できるようになった。今後はパンの全国通販にも力を入れる予定だ。

◆2拠点×同じ仕事 「よそ者視線」で福井を発信 体験移住が人生を変えた

ライターの江戸しおりさん(福井県鯖江市のめがねミュージアムにて)(筆者撮影)
ライターの江戸しおりさん(福井県鯖江市のめがねミュージアムにて)(筆者撮影)

 東京でライターをしていた江戸しおりさん(28歳)にとって、福井県鯖江市はまったく知らない土地だった。縁ができたきっかけは、15年に「ゆるい移住」(囲み参照)に参加したことだ。

 千葉県銚子市で生まれ育った江戸さんは、高校卒業後に憧れのパティシエの仕事に就いたが想像以上に激務で、もともと書くことが得意であったので15年にフリーライターに転向した。パティシエ時代よりも稼げるようになったものの、自宅にこもり一人で記事を書き続ける生活に疑問を持っていた頃、たまたま鯖江市の「ゆるい移住」の募集を知る。東京で開かれた説明会に出かけ、「人生が変わる予感がして」参加を決意する。

結婚後も行き来

 半年間、鯖江市に住む間、「よそ者視線」で街を歩いてネタ探しをし、鯖江の魅力を毎日ブログで発信した。「ゆるい移住」が終わると、再び東京でのライター生活に戻ったが、月に一度は福井を自費で訪れるようになり、16年には「Dearふくい」という福井県の良さを伝えるローカルメディアを立ち上げる。その発信力が着目され、行政や観光協会から執筆の依頼が増えていった。

 福井県勝山市をPRする仕事をきっかけに勝山市役所の担当者であった男性と知り合い、18年8月に結婚。県都福井市からローカル線で1時間弱かかる豪雪地帯の勝山市に移住した。引き続き東京にも月1週間ほど滞在するほか、各地に出張し、ライターとして活躍する。

 江戸さんは将来子供ができても、「月に1週間は東京に滞在して仕事をしたい」と希望する。その理由は「田舎出身者にとっては、東京への憧れはどうあっても消えることがない」と言う。

「書く」ことを武器に、場所にこだわらずにしなやかに働く江戸さん。「地方の人と結婚したら、その地方に骨をうずめる」という枠にはまらない、2拠点での新しいスタイルを確立している。

(本誌初出「脱・東京一極集中 「新しいふるさとを創る」 子育て世代が地方へ移住=藻谷ゆかり」)


筆者夫妻も地方移住組

 筆者(56歳)は1997年に千葉市でインド紅茶の輸入・ネット通販会社を起業し、移住にともない2002年にオフィスを長野県東御市に移転した。表では「地方移住×都会と同じ仕事」に該当する。18年に会社を地元の若い女性に事業譲渡し、現在は「起業×事業承継×地方移住」をテーマに執筆し、全国で講演を行っている。

 また、筆者の夫で本誌「独眼経眼」の執筆者の一人、藻谷俊介(58歳、スフィンクス・インベストメント・リサーチ代表)は、長野県に住んで経済分析の仕事をしている。移住後も会社は東京都千代田区にあり、顧客に会うなどの用件があれば上京している。つまり、東京と長野との2拠点で、18年前からテレワークを実践するエコノミストである。


イノベーション起こす「第三者事業承継」

 地方経済では特に後継者不足が深刻であり、後継者が見つからずに廃業を選ぶ経営者が多い。廃業を避ける方法が、親族や社員ではない人が継ぐ第三者事業承継である。

 小石屋旅館の事例のように「都会の30代や40代が地方移住し、事業承継する」と、そのビジネスが地域に残るばかりでなく、地域にはない価値観でイノベーションを起こし、外から人を呼び込むことにつながるので、地方にとって一挙両得の有効な手段となる。

 筆者は『衰退産業でも稼げます ―「代替わりイノベーション」のセオリー』(新潮社刊)で、衰退産業の代替わり時に、イノベーションを起こして業績をV字回復した16事例を研究し、「ビギナーズマインド・増価主義・地産外招」という三つのキーコンセプトを導き出した。

 その一つ「ビギナーズマインド」は「初心者の心」という意味だ。専門家が持つような「癖」がなく全ての可能性について開かれている。移住者は新鮮な目で地域を見るので、隠れた魅力を発見できる。

 小石屋旅館の石坂さんは、ビギナーズマインドで地域資源を活用し、新風を吹き込んだ好例だ。

 事業承継は新規起業よりも経営効率が高い。小石屋旅館の事例では、約2400万円で物件取得とリノベーションが可能になった。


拘束なしに、まずお試し 福井発「ゆるい移住」

 福井県鯖江市の「ゆるい移住」は、就業などの条件がなく半年間、家賃無料で体験移住してもらう事業である。市営住宅の3LDKを男女1室ずつ用意し、参加者は共同生活をして、市が月1回開くワークショップに出席することが参加条件だった。福井県出身の若新雄純(わかしんゆうじゅん)・慶応義塾大学特任准教授の発案で、鯖江市の牧野百男市長のトップダウンで実施された。

 対象は福井県外に住む20歳から35歳くらいまでの若者で、2015年度に男性10人と女性5人が参加し、そのうち5人が「ゆるい移住」の期間が終わった現在も鯖江市や福井県内に住んでいる。

 残念ながら翌年度から市営住宅が使えなくなり、15年度だけで終了した。しかし参加者で18年から鯖江市の地域おこし協力隊員になった森一貴さん(28歳)が「全国版ゆるい移住」を企画している。

 19年度の「全国版ゆるい移住」は、5カ所(鹿児島県薩摩川内市、長野県木曽町、東京都奥多摩町、鹿児島県南九州市、福井県鯖江市)のいずれかで「半年間、家賃無料で自由に住む」企画になった。

「ゆるい移住」の成功要因は、ハードルが高い「移住」に「ゆるい」というキーワードを掛け合わせたことであろう。「この地に骨をうずめる覚悟で移住してほしい」というのが地方自治体の本音だが、今の若者たちは「ゆるい関係性」を望んでいる。実際に説明会後のアンケートでは、「ゆるい移住」に求めるものは「人とのかかわり(61.9%)、ゆるい時間(57.1%)」であった。

 自治体は、「人とかかわりながらゆるく過ごせるなら、移住もOK」という若者の希望を考慮することが重要だ。

(藻谷ゆかり)

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