教養・歴史ワイドインタビュー問答有用

老舗くず餅屋の8代目=渡辺雅司・船橋屋社長/792

    船橋屋の「くず餅」。団量のある独特な触感のくず餅に、濃厚な黒蜜と粗くひいたきな粉が絶妙にからみ、古くからファンも多い 撮影=中村琢磨
    船橋屋の「くず餅」。団量のある独特な触感のくず餅に、濃厚な黒蜜と粗くひいたきな粉が絶妙にからみ、古くからファンも多い 撮影=中村琢磨

     東京・亀戸にある創業215年の老舗くず餅屋・船橋屋。渡辺雅司さんは8代目社長だ。2008年の就任後、ユニークな組織改革などによって、飛躍的な業績向上を達成した。コロナ禍に直面する今をどう乗り切るのか──。

    (聞き手=元川悦子・ライター)

    「ピンチこそチャンス。今こそ手腕が問われる時!」

    「スタッフを見下ろしていては会社は良くならない。 『ダメな経営者』と痛感した」

    撮影=中村琢磨
    撮影=中村琢磨

    ── 新型コロナウイルスの感染拡大が日本全体に影を落としています。

    渡辺 船橋屋も例外ではありません。東京など7都府県に緊急事態宣言が出された4月7日以降、喫茶室を閉じ、百貨店に出しているお店も臨時休業しています。それに伴い150人以上のスタッフに休業補償する形で一時帰休してもらっています。しかし、雇用維持は会社経営で最も重要。私は何かあった時に備えて内部留保を蓄えるなど、常にある程度のキャッシュフローを持つようにしています。

     今回は役員報酬のカットにも踏み切りました。社長の私は5割減、他の役員が2割減という形。今は手元にあるお金を少しでも社員に還元できればいい。それが経営者の使命だと考えています。

    ── 渡辺さんが社長に就任した2008年以降、増収増益が続いていたんですよね。

    渡辺 はい。私が入社した1993年当時、船橋屋の売上高は約9億円で、社員数は120~130人、店舗数も十数店でした。それが現在は年商21億円、社員はパートを含めて250人、25の店舗を持つまでに成長しました。19年3月期の決算では過去最高の経常利益を計上し、社長就任時の6倍となったのですが、コロナの影響が見え始めた今年3月の売り上げは前年同月比7割と、やはり目に見えてダウンしました。

     そんな状況ですから、21年3月期は大変な苦戦を強いられると覚悟しています。これは私が船橋屋に携わってから初めての大きなピンチ。けれども「22年3月期に売上高26億円」という中期経営計画はそのままです。船橋屋はあえて年5〜10%の継続的な売り上げ増を目指してコツコツやってきたし、地道に前進していく姿勢は変わりません。むしろ「アゲンストの時ほど新しいことができる」と私も社員も今、すごく前向きになっています。

    ── 具体的にはどんな策を?

    渡辺 一例ですが、4月9日から「出来立て“時間”お届け便」を始めました。東京・亀戸の本店から半径5キロ以内にくず餅などの商品を3時間以内で配達するサービスです。日本橋や神田、湯島くらいまでは範囲内。「外出自粛の今、自宅で和スイーツを食べたい」というお客さんのニーズに応えたいというのが始まりです。このお届け便だけでなく、お取り寄せ商品には「少しでも感染対策に役立ててほしい」という思いを込めて、マスクを同封しています。

     小さな心遣いを忘れないのが船橋屋のモットー。戦後の混乱期を乗り越えたメンタリティーを思い出すべく、復刻版の包装紙も使い始めました。コロナで大変な時だからこそ、気配りを大事にして、新たなチャレンジを続けていこうと考えています。

    常に「事前の一手」

    ── 経営多角化も図っているそうですね。

    渡辺 実は11年の東日本大震災の後、千葉県酒々井町の2000坪(約6600平方メートル)の所有地で太陽光発電を始めました。17年から20年間、売電収入を得られる形になっていて、本業が厳しい今は一つの助けになっています。常に「事前の一手」を打てるかどうか。それがいい経営者の絶対条件だと思います。大震災の後は、原料供給先の安定化を図るため、昔からあった岐阜工場に加え、沖縄にも工場を作り、陸上輸送に支障が出た場合でも海上・航空輸送で運べる態勢を整えました。

    ── 多くの飲食店はコロナ禍の中で、賃料負担に苦しんでいます。

    昭和初期に撮影された本店。建物は東京大空襲で焼失した(船橋屋提供)
    昭和初期に撮影された本店。建物は東京大空襲で焼失した(船橋屋提供)

    渡辺 我々が百貨店に出している店舗は売り上げに応じて賃料を支払う形になっていて、固定ではないんです。それ一つを取っても経営リスクは低いですよね。そうやって細部まで目を光らせつつ、働いてくれるスタッフを大事にし、革新的な商品を生み出せる素地を持っていれば、困難は必ず乗り切れる。船橋屋は明治維新、関東大震災、東京大空襲をくぐり抜けてきたんですから、何とかなるという確信があります。

     渡辺さんは立教大学卒業後、バブル景気真っただ中の86年に三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行した。日比谷支店や銀座支店で融資や営業などに奔走していたが、6代目の祖父・達三さんが病に倒れたことをきっかけに、「家業に携わりたい」と決意した。

    ── 93年に船橋屋へ入社した直後はどのような仕事を?

    渡辺 専務として入社したんですが、出社直後の掃除に始まり、工場でくず餅の作り方を一から学ぶところからスタートしました。くず餅は、小麦粉を練って水洗いし、必要なでんぷん質だけを沈殿させ、発酵させたもの。でんぷん質を木の貯蔵庫に入れて450日間じっくりと熟成すると、貯蔵槽に付着した乳酸菌による発酵で独特な歯ごたえと風味が生まれます。

     これを蒸し上げて食べやすいサイズに切るのですが、一つ一つの工程には緻密さが必要。くず餅にかけるきな粉や黒蜜の製造も同様です。しかも、熟成に450日間かかるのに、消費期限はわずか2日。私たちは、ほんの短い時間に味わえる幸せという意味を込め、「刹那(せつな)の口福(こうふく)」と呼んでいますが、215年にわたって代々、守り抜いてきたくず餅乳酸菌と製造技術の重みをひしひしと感じました。

    職人の8割が辞める

    ── 当時の会社の様子は?

    渡辺 昔ながらの職人社会でしたね。清潔感のない髪形をしたスタッフが何人もいて、元銀行員の自分には受け入れられませんでした。何十年も取引している業者との関係はなあなあ。当時のメイン銀行の金利も決して低くなかった。そういう状況を最初の1年は観察していましたが、2年目から思い切った改革に踏み切りました。

     7代目の父(孝至さん)が経営してきた高度成長期は「いいものを作れば売れる」という考え方だったんでしょうが、バブル崩壊後の当時はそういうわけにはいかない。自分の強硬なやり方に職人も反発し、気づいたら8割が辞めていました。私は「自分のやり方が正しい」と信じていたし、「お前らはダメなんだ」としょっちゅう罵倒していて、周りから見たら「暴君」だったでしょうね。

    ── 先代ともぶつかった?

    渡辺 そうですね。特に正面衝突したのが、品質マネジメントシステムの国際規格「ISO9001」取得を提案した00年代初頭です。私は恒常的な品質管理のために必要不可欠な資格だと考えていましたけれど、父は「古い職人社会の船橋屋にパソコン作業の伴う難しい資格を導入しても社員がついてこない」と思っていた。それでも私は一歩も引かず、徐々に父も理解してくれるようになりました。社員の中には捨てぜりふを吐いて去った人もいましたが、03年にISOに認定された時には心から安堵(あんど)した。会社の一体感も高まったように感じましたね。

    ── 渡辺さん自身が変わる転機になったのは?

    渡辺 船橋屋のコンサルティングをお願いしているアッシュ・マネジメント・コンサルティングの小川晴寿さんとの出会いです。07年4月に初めて会議に参加してもらった後、「いい会社を作ろうと思うなら社員に『あんたら』とか『あいつら』とか言うのをやめた方がいい」と言われてハッとしました。一生懸命働いてくれているスタッフを上から目線で見下ろしているような経営者じゃ会社は良くならない。「俺ってダメな経営者だな」と痛感させられたんです。

     08年の社長就任に当たって、渡辺さんは二つの目標を掲げた。一つは尊敬する経営学者、坂本光司・元法政大学教授の著書『日本でいちばん大切にしたい会社』に取り上げてもらうこと。もう一つは、活躍する経営者が作家・村上龍さんらとトークを繰り広げるテレビ東京系の番組「カンブリア宮殿」に出演すること。そのために明確なビジョンの打ち出しと、それを落とし込んだ強い組織作りに注力した。すべては、「皆が幸せを感じ、ワクワクする会社を作る」という思いからだ。

    ── 渡辺社長の取り組みの第一歩は?

    渡辺 自分がいいと思った自己啓発や管理職セミナー、コスト管理の勉強会などを社員に勧めて、積極的に行ってもらうようにしたことですね。やはり人材は会社の宝。そういう自覚が日に日に強まっていきました。

    「リーダーズ総選挙」

    ── 新卒採用の強化に着手したのもこの頃ですね。

    渡辺 私が入った当時の船橋屋は人の紹介で職人を雇い、技術をたたき込むという昔ながらのやり方でしたが、若い力を借りて活力ある組織を構築していくことが重要だと考えました。大手就活サイトなどで社員を募集して会社説明会を実施し、現場の部課長クラスを面接官にすることで「自分が選んだ人を大切にしなければいけない」という意識が生まれるように努めました。ピーク時は毎年数人の新卒採用枠に1万7000人超のエントリーが来るようにもなりました。「働きがいのある会社」と学生に認識してもらえるのはうれしい限りです。

    ── 執行役員を従業員の選挙で選ぶ斬新なアプローチも取り入れたそうですね。

    渡辺 15〜16年に実施した「リーダーズ総選挙」です。すべてを社長が指示するトップダウン型の組織ではいずれ限界が来ると考え、掲げたビジョンをみんなで共有して働く組織に変えることが目的でした。正社員と勤続5年以上のパート従業員に匿名で投票してもらった結果、組織のナンバー2である執行役員に選ばれたのは、当時33歳の若い女性。これには年配のベテラン社員もショックだったようです。

     しかし「自分も努力次第で上のポジションに行けるかもしれない」「自分の意見が反映される可能性がある」といった機運は確実に高まりました。今後も総選挙をやりたいと思っていますが、それは組織体制を変えるタイミング。いつになるかは今のところ決まっていません。

    ── 18年8月には「元祖くず餅 カップくず餅」がJR東日本の「おみやげグランプリ2018」で総合グランプリを受賞します。

    渡辺 船橋屋の存在を広く知ってもらういいきっかけになりました。今は「くず餅プリン」など新商品も展開していますし、くず餅乳酸菌を使ったサプリメントなどの健康食品を購入できるカフェを今夏、表参道にオープン予定です。中期計画でも六つのテーマの中で「くず餅乳酸菌で健康に貢献する」と掲げており、それを広く認知させたいですね。

    ── 渡辺さんが社長就任時に掲げた二つの夢も実現しました。

    渡辺 坂本教授が12年ごろ、直々に本店を訪れ、調査をしてくれたのはうれしかったですね。その後、共同で講演会を実施しました。「カンブリア宮殿」にも18年11月に出演しました。ただ、コロナの影響もあって、経営をさらに構造的に進化させていく必要性を感じています。まだまだトライすることは無限です。

     私にとっての老舗は「高速で回るコマ」。理念やビジョンといった「ぶれない軸」と組織力という「遠心力」が重なり合って成り立っています。その状態が機能していれば、どんな困難でも乗り越えられる。今こそ経営者の手腕が問われる時。会社のみんなと手を携えて、懸命に頑張っていきます。


     ●プロフィール●

    わたなべ・まさし

     1964年千葉県船橋市生まれ。立教大学卒業後の86年に三和銀行に入行。93年に家業の船橋屋に専務として入り、ISO9001取得など職人至上主義から評価を可視化できる組織へ改革を断行。2008年に先代の父・孝至氏から経営を受け継ぎ、新卒定期採用の導入、執行役員を社員が選ぶ「リーダーズ総選挙」など斬新な試みを次々と実施する。著書に『Being Management』(PHP研究所)。家族は妻と子供2人。自称・健康オタク。

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