『食の歴史 人類はこれまで何を食べてきたのか』 評者・高橋克秀
著者 ジャック・アタリ(経済学者、思想家) 訳者 林昌宏 プレジデント社 2700円
「何でもケチャップ」の大統領 食卓の会話を失った先には…
アメリカのメシはまずい、という評価は世界的に定着している。なぜこうなってしまったのか。本来ならば世界各地からの移民が持ち寄ったバラエティー豊かな料理が融合して美食大国になる可能性もあったはずだ。しかし、現実に食べているものは均一化された工業製品で味は二の次だ。この悪影響は全世界に広まってしまったとフランス人のジャック・アタリは嘆く。
19世紀末からのアメリカの工業化の急速な進展は社会の徹底した効率化を促し、食事の時間は無駄とみなされるようになった。家族や仲間たちとの会話の場としての食卓は失われ、一人で押し黙って素早く食べる個食が始まった。同時に資本家は、自然食品は健康に害があり、工業的に生産された食品の方が安全で栄養があると宣伝し、コーンフレークやコーラを売りまくった。
また、カロリーという概念が広められ、食事は味ではなく熱量の単位で評価されるようになった。まずいものをごまかすために人工調味料も広まった。アタリは「ケチャップはどのような料理であっても味を消すために使われるようになり、とくにまずい料理にはうってつけのソースになった」と揶揄(やゆ)する。トランプ大統領がどんな料理にもケチャップをかけるのはこのせいだろうか。
アタリは、その著『21世紀の歴史』(作品社、2008年)で、時間と場所にとらわれない働き方であるノマドの到来を予言した。これは早くも現実化している。カフェや漫画喫茶でハンバーガーを片手に黙々とキーボードをたたく光景は普通になった。ノマド化が進むとますます個食化が進み、会話は失われる。
古代ギリシャの哲学者は、床のクッションにひじをついて美食とワインに酔いしれながら延々と議論した。アーティストたちはカフェで長々と芸術談義を交わした。革命家たちはレストランでの食事にかこつけて謀議を巡らせた。本書でアタリは「食はすなわち言葉」であると力説する。言葉が消えた社会のあとに到来するのは「沈黙の監視型社会」であるという。その未来は「監視の下で押し黙って暮らす人類は、沈黙に包まれて死ぬだろう」と暗い。
本書は豊富なエピソードで世界の「食」の様態が権力関係、経済発展、アメリカ資本主義による食の工業化と密接に関連してきたことを教えてくれる。今回のコロナ禍で普及が後押しされたテレワークで食はどう変わるのだろうか。家族との食卓は回復するのか、肝心の言葉は回復するのだろうか、と興味は尽きない。
(高橋克秀・国学院大学教授)
Jacques Attali 1943年アルジェリア生まれ。フランス国立行政学院(ENA)卒業後、ミッテラン大統領顧問、欧州復興開発銀行初代総裁などの要職を歴任。『2030年ジャック・アタリの未来予測』など著書多数。