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教養・歴史 書評

『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』 評者・柳川範之

著者 アビジット・V・バナジー(MITフォード財団国際記念教授) エステル・デュフロ(MITアブドゥル・ラティフ・ジャミール記念教授) 訳者 村井章子 日本経済新聞出版 2400円

ノーベル経済学賞の2人が人を幸福にする経済を模索

 新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界経済が戦後最大ともいえる困難に直面している今、なんとタイムリーな本の出版だろうか。もちろん、本書はコロナ禍が生じるずっと前に書かれたものだ。しかし、本書が扱っている主題は、我々が今抱えている、例えば、経済的ダメージを受けた人にどこまで補償すべきなのか、この先、格差や成長はどうなるのかなどの課題に直結していて、まさに「希望に変えたい」ものだ。著者は、昨年のノーベル経済学賞受賞の2人。そんなスタープレーヤーが、現代経済学の成果を駆使して、今、世界が抱えている問題に深く切り込んでいく。しかし、ここでは世界を驚かせるような解決策が提示されるわけではない。

 著者は序文で、「見てくれのいい対策や特効薬的な解決を疑ってかかり」「事実から目をそらさず、自分の知識や理解につねに謙虚で誠実である」ことが重要と述べる。そして、その目的は「より人間らしく生きられる世界をつくるという目標に近づくため」だと。この文章に本書のスタンスと意義が凝縮されている。著者の専門は開発経済学であり、いかに、より人間らしく生きられる社会にするかを長年研究してきた。それは何も発展途上国だけの問題ではなく、先進国も抱える課題だ。

 その課題に対して、現場で起きている事実を直視し、データを重視する。市場は過去に理論家が考えていたようにきれいには機能しない実態がある。その事実を直視したうえで、望ましい処方箋をデータと最新の経済学の分析結果に基づいて考える。その姿勢が貫かれている。たとえば、成長を扱った章では、いかにすれば成長率を高められるかを多くの政策当局や学者が検討してきたが、残念ながら成長率を押し上げる方法はデータでは確認できない。しかし、最貧層の幸福に焦点をあてて、具体的に行えることを考えれば、何百万人もの生活を抜本的に変える可能性も開けると主張する。

 そのほかにも貿易自由化の問題や環境問題、そしてフェイクニュースという言葉に代表されるような、人々の選好がメディアによって左右される問題等が、詳細に検討されている。そこには今のアメリカ、特にトランプ政権が抱える課題に対する著者の強い問題意識がうかがえる。

 市場は善であり、自由は素晴らしい、そんな単純な主張を繰り返しているのではなく、現実とデータに真摯(しんし)に向き合い、人の幸福を考えるのが現代の経済学なのだ。その事実を本書でぜひ実感していただきたい。

(柳川範之・東京大学大学院教授)


 Abhijit V.Banerjee 専門は開発経済学と経済理論。2019年ノーベル経済学賞受賞。

 Esther Duflo 貧困削減および開発経済学を担当。同じく2019年ノーベル経済学賞を史上最年少で受賞。

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