教養・歴史書評

『ステレオタイプの科学』 評者・浜矩子

    著者 クロード・スティール(スタンフォード大学心理学教授) 訳者 藤原朝子 英治出版 2200円

    レッテル貼り、刷り込みの心理的脅威を徹底解明

     ある時、新聞のお悩み相談欄が目に留まった。フワフワと目を通し始めて、びっくりした。相談員を務める芸人さんが、「女性のあなたに向かってプロ野球の例えを使うのは申し訳ないが」という枕ことばから入って助言を展開している。こういうカビの生えたようなステレオタイプ頭の人に、お悩み相談の受け手は向かない。芸人のくせに、お前はカープ女子を知らないのか。

     そんな記憶が、本書を読みだしてよみがえったのは、本書のテーマが、「レッテル貼り」の脅威がどう人間の心理と行動に影響するか──だからだ。お悩み相談欄の例では、「芸人のくせに何を有識者づらしているのか」と思われてしまうかもしれない恐怖心が、芸人さんの言動を狂わせた。そして、今にして思う。筆者の「芸人のくせに」も、本書が言う「ステレオタイプ脅威」かもしれない。

     著者は、多くの研究仲間とともに数多くの実験を通じてこの問題の解明を試みている。難しい数学の問題を成績優秀な理系女子たちに解いてもらう。その直前に、「女子は数学が苦手」というステレオタイプを彼女たちにさりげなく刷り込む。すると、彼女たちはこのステレオタイプを実証してしまったらどうしようという不安に駆られる。だから、解ける問題も解けなくなってしまう。

     同じことを、2組のアジア人理系女子を対象にも行う。片方の組には、「女子は数学が苦手」を刷り込む。もう一方の組には「アジア人は数学が得意」を刷り込む。成績を見ると前者が不良だったのに対し、後者は良かった。また、「アフリカ系米国人の政治学」の講義を受講した白人学生は、並みいる黒人学生の冷たい目の総攻撃の中で萎縮し切る。意見も言えず質問もできないダメ学生と化してしまう。「人種差別主義者にみられてしまう」というステレオタイプ脅威が、白人学生を思考停止状態に追い込んだ。

     まじめで頑張り屋で負けず嫌いの人間ほど、ステレオタイプ脅威との闘いに疲れ果て、心が擦り切れていく。キャンパスでも、職場でも、地域社会の中でも。本書は研究成果を語る書でありながら、そこには胸に突き刺さる人間ドラマがある。社会科学の醍醐味(だいごみ)を満喫できる快著だ。

     ただ一つ残念なのが、原題の“Whistling Vivaldi”が邦訳のタイトルに生かされていないことだ。「こんな人がビバルディを口笛で吹くのか!」。その衝撃でステレオタイプ脅威をぶっ飛ばそう。そんな感じなのだと思う。何とか取り込めなかったものか。

    (浜矩子・同志社大学大学院教授)


     Claude M.Steele 社会心理学者。「ステレオタイプ脅威」「自己肯定化理論」が研究領域。米国科学アカデミー、米国教育アカデミーのメンバー。カリフォルニア大学バークレー校副学長、コロンビア大学副学長を経て現職。

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