教養・歴史書評

『なぜ中間層は没落したのか アメリカ二重経済のジレンマ』 評者・高橋克秀

著者 ピーター・テミン(マサチューセッツ工科大学名誉教授) 訳者 栗林寛幸 慶応義塾大学出版会 2700円

二極化に苦しむ米国の実態 経済史の大家が分析・警告

 5月下旬に米国ミネソタ州で起きた白人警官による黒人暴行死事件は、人種と価値観をめぐる激しい対立を引き起こしている。黒人差別と中間層の没落問題は評者が留学していた1980年代からすでに議論されていた。それから30年以上たった今もまったく出口が見えない。暗澹(あんたん)たる気持ちになる。

 日本の読者にはわかりにくい不都合な真実を本書は理論、歴史、制度から解き明かしてくれる。原著は3年前の出版だが今日の混乱を予期していたかのような鋭さがある。読後感は苦いが、生身の米国を知るために読まれるべき本である

 本書の特色は、著名な経済史家であるピーター・テミン教授が米国経済を富裕層と貧困層の「二重経済」とみなし、もともとは開発途上国の経済発展を説明するためのアーサー・ルイスのモデルを適用したことにある。ルイスは黒人初のノーベル賞受賞者(平和賞を除く)である。米国社会の上位20%はFTE(金融・技術・電子工学)部門に属し安定した高収入を保障されている。その他の80%は低賃金部門に属し不安定な雇用環境におかれている。低賃金部門には黒人の大半、ヒスパニックの大部分、そして貧しい白人が含まれる。FTE部門は政治権力と結びつき富裕層に有利に税制を変更してきた。同時に低賃金部門が政治的権利を行使できないような法的な仕掛けをしてきたという。

 ルイスのモデルでは、農民は高賃金を求めて農村から都市へ移動するが、都市ではよい職を見つけられず低所得部門にとどまる。米国では1920年代に南部の農村から北部の大都市へと製造業での職を求めて黒人の大移動が始まり70年代まで続いた。しかし、70年代以降米国の製造業は日本や中国との競争に敗れて雇用は縮小し、黒人と貧しい白人は低所得部門に転落した。

 現実の米国社会では低賃金部門からFTE部門への上昇はきわめて困難だ。部門間移動のカギとなる大学教育のコストは高騰している。都市中心部の黒人地区では財政難で公教育が崩壊している。さらに警察による過剰なまでの黒人の逮捕と投獄が行われてきたために多くの家計は収入源を失い、それが犯罪を誘発するという悪循環に陥っている。

 貧しい白人の一部に残存する黒人蔑視の背景には、奴隷貿易の歴史が横たわる。南北戦争、奴隷解放宣言、公民権運動を経た現在でも差別意識は消えず、抑圧された感情は2016年に噴出してトランプを当選させた。また暗澹とさせられる。

(高橋克秀・国学院大学教授)


 Peter Temin 1937年生まれ。アメリカ経済史の大家として知られる。著書に『大恐慌の教訓』、共著として『リーダーなき経済』『学び直しケインズ経済学』などがある。

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