教養・歴史書評

『ラマレラ 最後のクジラの民』 評者・池内了

著者 ダグ・ボック・クラーク(ジャーナリスト) 訳者 上原裕美子 NHK出版 3000円

現存する狩猟の民に文明の波 伝統が消えゆく現場に迫る

 数年前、司馬江漢(しばこうかん)について調べていた時、彼が長崎に旅した折りに生月島(いきつきしま)を訪れ、銛(もり)を持った漁師たちが小船に乗って巨大なクジラに襲い掛かる勇壮な鯨勇魚(いさな)取りの一部始終の絵画と、仕留めたクジラを完璧に解体するまでの一連の作業の模様を連作で描いていることを知った。今から230年ほど前のことである。

 ところが、インドネシア東部のレンバタ島ラマレラという小さな海浜の村では、今でも銛を使ってクジラ漁を生業としている海人(あま)の部族が現存している。1年に20頭ほど浜に紛れ込んでくるマッコウクジラを捕獲し、1頭当たり平均約7トンの肉によって、21の氏族の1年間のたんぱく質の需要を満たせるだけでなく、コメや野菜との物々交換にも使える量を確保しているという。米国のジャーナリストがこの村に数年間滞在して人々と暮らし、ルポルタージュとしてまとめたのが本書である。

 ラマレラの民はクジラ漁という典型的な狩猟採集で生きる地球上数少ない民なのだが、無論、文明の波は身近に押し寄せている。電気が通り、スマートフォンが行き渡り、道路が整備されて車が日常の乗り物になり、現金が手に入る都会と直結しているという具合である。クジラが来たとの通報が届くや、漁師は銛を片手に押っ取り刀で浜に駆けつけ、テナと呼ぶ手漕ぎの木造船でクジラに接近するのが通例なのだが、今や高速のモーターボートに先導してもらっている次第なのだ。若者は都会の高校に入って安定した職業に就くことを選ぶようになっており、伝統的な鯨勇魚取りそのものは風前のともしびの状態にある。

 とはいえ、若者たちには葛藤がある。親たちの後を継いでクジラ狩りの銛手(ラマレラの言葉でラマファ)になるという夢を捨てきれないのだ。例えば、ジョンは父親が山の民であるためラマファ役がなかなか回ってこず、都会勤めをし、女友達を妊娠させ、クジラ狩りの手伝いの際に引き綱に巻きこまれて負傷しながらも、やはりラマファになることを諦められずに浜に戻ってくる。巨大なクジラとの壮烈な戦いが快感として心に強く刻印され、銛打ちという主役に就いて勇壮な自分を見せたいのである。本書には、ジョンのような若者や家族が幾人か登場して、それぞれの立場から終わりを迎えつつある文明の姿を伝えている。

 この漁村の変遷に何やら懐かしさのような感懐を覚えるのは、高度成長を経て伝統的な暮らしが一変した、自分の幼い頃に重ね合わせているためなのだろうか。

(池内了・総合研究大学院大学名誉教授)


 Doug Bock Clark 著述家、ニューヨーク大学客員研究員。フルブライト奨学金やピュリツァー危機報道センターの助成金によりルポルタージュ活動を展開。『ジ・アトランティック』『GQ』などのメディアに寄稿多数。

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