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小説 高橋是清 第105話 シフの来日=板谷敏彦

(前号まで)

 ポーツマス講和条約調印後、小村寿太郎外務大臣は満州権益の保持を目的に、日米間で交わされつつあった南満州鉄道の共同開発をめぐる協定を差し止める。

 明治39(1906)年1月23日、是清と深井英五は公債発行としては第5回目に当たる日露戦後の整理公債発行の仕事を終え、サンフランシスコから帰路についた。

 その約1カ月後の2月22日、今度はヤコブ・シフが家族を引きつれて鉄道でニューヨークを発ちサンフランシスコへと向かった。最終目的地は日本である。シフは毎年欧州に旅行していたが、この年の休暇は日本だったのだ。

 さらに、いまだ進展のないハリマンによる南満州鉄道への資本参加、日米シンジケートの案件がどうなったのか調べる目的もあった。

 サンフランシスコからは定期船に乗り横浜到着は出発から約1カ月後の3月25日だった。

鉄道国有化

 26日、シフは横浜で是清と会った。またこの日シフは明治帝から28日の午餐(ごさん)会(昼食会)の招待を受けた。これは皇族以外の外国人としては初めて、極めて異例なもてなしである。

 翌日は東京へ出て帝国ホテルに投宿、午餐会にそなえた。

 この日は是清とランチを食べた後、深井の案内で西園寺公望首相はじめ多くの政財界の要人を訪問、日本銀行にあいさつに行った後で、貴族院で開催中の議会を見学した。

 是清は昨年貴族院議員に勅撰(ちょくせん)され、帰朝後この年の第22回帝国議会に出席していた。シフが見学したこの日は「鉄道国有化法案」の採決の日だった。

 なぜ日本は日露戦争後のこの時期に鉄道を国有化したのか。帝国陸軍がいつもお手本とするドイツでさえこの時国有化を果たしてはいなかった。

 もともと日露戦争前の日本の法律では、外国人は不動産や鉱山を保有することができなかった。そのために日本が鉄道や鉱山を担保とする債券を発行しても、外国人は担保を確保できないという問題を抱えていた。これでは日本に外国の資本が入ってこない。

 このため昨年の第21回帝国議会では、英国ベアリング商会などの協力を得て作成された「担保付社債信託法案」が立法化されたのだった。これで外国人が信託を利用して間接的に担保を確保して投資ができるようになった。

 しかし、こうなると債券だけではなく株式も信託を利用して外国人に購入され、軍部や政府としては当時の産業の基盤であり、非常時には兵站(へいたん)を担う鉄道が外国人に買収されるのではないかと心配したのだった。

 それともう一つ、当時の日本の各社バラバラに分断された路線網では長距離列車の運営が難しく運賃が高くなる傾向があった。軍や利用者から不平が出ていたのだ。そうした理由で政府としては国内の主要鉄道を買収することにしたのだった。

 もちろんこの法案に反対する者は多かった。渋沢栄一や三菱財閥をはじめ、資源が少ない日本は貿易こそ命だと考える者。当時マンチェスター学派と呼ばれた自由放任、自由貿易、経済からの政府の撤収などを信奉する政治家、官僚、産業人たち、それに加えて日本国内の資本不足を懸念する者たちだった。

 加藤高明外務大臣、元老の伊藤博文や井上馨、阪谷芳郎大蔵大臣など、これは昨年ハリマンを歓迎した人たちとも重なった。

 2月初めに帰朝した是清などは、この法案を耳にするやこれ以上の国債発行を避けたい財政健全主義の立場からこの法案に猛反対した。

 もちろんそこには自身が手配したハリマンによる南満州鉄道資本参加への思いも交じっていたに違いない。国内の鉄道を軍事上の理由で国有化する以上、南満州鉄道も外資を拒絶するに違いないと考えたはずだ。

 これに対し、首相の西園寺公望は元老の井上、阪谷大蔵大臣、寺内正毅陸軍大臣、それに是清など政治的影響力の強いメンバーを招集すると内々に鉄道国有化法案に賛成するように説得した。

 鉄道は将来性があるので買収しても決して政府の財政上の重荷とはならないこと、また買収資金用に発行する債券は買収される株式と入れ替わるだけで、金融市場から資金が引き揚げられるわけではないこと、債券は外国には売らず内国債とすることなどを諄々(じゅんじゅん)と説いた。

「高橋君のような立場の人が反対してはいかん」

 是清はこのメンバーの会合に呼ばれたことによって、自身の政財界での影響力が大きくなったことを自覚したのだった。もちろんそれは日露戦争における資金調達の成功という実績のおかげである。

 言いたいことを遠慮なく発言する「直言居士」、是清にはそういう評判がある。

 しかし、さまざまな職業を変転し、挫折を繰り返してきては学んできた是清である。現実主義に徹し、物事に則した柔軟な態度が資金調達の大仕事を成し遂げさせたのだ。是清はこの時自身の主張を控えた。その後、国有化反対論は霧散した。

 当時ただ一人反対論を貫き外務大臣の職責を投げ出したのが、後に首相になる加藤高明であった。

 ロスチャイルドの英仏間の手紙の交換記録にも書かれているが、国債金融市場では、資金面から日本の鉄道国有化は難しいとみていた。しかし法案はすでに衆議院を圧倒的多数で通過していたのだった。

「日本は鉄道を国有化するのですか?」

 この貴族院での採決を自分の目で見ていたシフは、この時ハリマンによる南満州鉄道の資本参加は同様の理由で難しいだろうと考えた。シフは日本滞在記を残しているが、鉄道国有化に関してはなぜか議会の見学に行ったことだけを淡々と記している。

長女の留学

 翌28日、阪谷大蔵大臣の出迎えで皇居に参内、明治帝から午餐会に招かれた。

 午餐会には井上馨、金子堅太郎、末松謙澄、阪谷大蔵大臣、松尾臣善(しげよし)日銀総裁などに交じって是清の姿もあった。

「日本の危機に際して重要な貢献をしたと聞いています。こうして直接会って感謝する機会を与えられたことは喜ばしい」

 シフは明治帝のこの言葉とともに勲二等旭日重光章を賜った。

 シフは昨年のハリマンと同じルートで大連を見学するかと思われたが、結局朝鮮半島だけを観光した。ハリマンによる南満州鉄道への出資はこの時点ですでにあきらめていたのではないだろうか。

 ただしシフが会う日本の要人たちは皆、満州の欧米に対する門戸開放について積極的な発言をしていた。ならば日露戦争資金調達の見返りはそれで良いではないか。

 この訪日中にシフは是清との固い友情を確認し、是清は15歳の長女和喜子の米国での2年間の教育をシフ夫妻に委ねた。是清はシフの訪問中、応接に大活躍を見せた大山巌夫人、米国名門女子大バッサー出身の捨松の姿に、娘もそうあってほしいと影響を受けたのではないだろうか。

 5月18日、シフの一行は和喜子を連れて横浜を離れた。

(挿絵・菊池倫之)

(題字・今泉岐葉)

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