教養・歴史書評

『ゾンビとの論争 経済学、政治、よりよい未来のための戦い』 評者・浜矩子

著者 ポール・クルーグマン(ニューヨーク市立大学大学院センター教授) 訳・解説 山形浩生 早川書房 3300円

復活くり返す旧思想を批判、弱者に優しい提案を展開

「春はあけぼの、夏はばけもの」。これは、かの水木しげる大先生のお言葉だ。先生の『妖怪画談』(岩波書店)に収録されている。

 この夏、流行(はや)っているばけものはゾンビらしい。死んでいるはずなのに生きている。生ける屍(しかばね)。それがゾンビだ。そういえば、経済の世界でも、「ゾンビ企業」という言葉がかなりの頻度でメディアに登場するようになっている。「ゾンビ企業の存続を許すな」。そんな主張をしばしば目にする。言葉そのものは以前からあるが、ここに来て、新型コロナ対応での支援策との関わりで復活してきている。支援のおかげで、淘汰(とうた)されるべき企業が温存されているのではないか。この観点から、ゾンビ企業論が再浮上している。

 そんな夏のさなか、本書に出会った。ただ、著者のクルーグマン先生が問題にしているゾンビはゾンビ企業ではない。ゾンビ思想である。恐らく、著者は、ゾンビ企業という言葉は嫌いだと思う。この点については後述する。ゾンビ思想は、とっくに死に絶えているはずなのに、執拗(しつよう)に生きながらえている思い込みを指す。

 金持ち減税は経済を成長させる。低所得層の若者たちがまともな職につけないのは、所得格差のせいではない。それはモラルの問題だ。人々から職を奪うのは外国人だ。そしてロボットだ。人々の賃金が上がらないのは、彼らの生産性が低いからだ等々。こうしたゾンビ思想は、とうの昔に葬り去られていてしかるべきところだ。だが、まともな論者たちがどんなに批判の弾丸雨あられを浴びせかけても、いったんは揺らぐが、またフラフラと立ち上がり、ヨロヨロと前進してくる。

 しかも、ゾンビ思想は伝染する。ゾンビに噛まれるとゾンビになるのと同じだ。だから、誰かが旧態依然たる思い込みを再び持ち出すと、それが改めて燎原(りょうげん)の火のごとく広がっていく。何とも手ごわい。

 だが、著者のゾンビ退治の舌鋒(ぜっぽう)はそれに負けていない。金持ち減税はナンセンスだ。国民皆保険を社会主義呼ばわりするのは愚の骨頂だ。欧州単一通貨ユーロは、かなう夢だ。目覚めよ、統合欧州。トランプ大統領はトランプ大統領に投票した人々の味方にあらず。世の中をうろつく思い込みのゾンビの群れに果敢に切り込み、歯切れよくなぎ倒していく。

 半面、彼の弱者に対する眼差(まなざ)しは優しい。だから、この人はゾンビ企業という言葉が嫌いだと思う。勝手にゾンビ認定された企業に、死が宣告されることをよしとしないだろう。

(浜矩子・同志社大学大学院教授)


 Paul Krugman 1953年、ニューヨーク州生まれ。エール大学で学士号、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得後、世界銀行経済コンサルタント等を歴任し、現職。2008年にノーベル経済学賞受賞。『格差はつくられた』ほか著書多数。

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