教養・歴史書評

『ジョージ・オーウェル 「人間らしさ」への讃歌』 評者・将基面貴巳

著者 川端康雄(日本女子大学教授) 岩波新書 880円

「まっとうさ」への信頼軸に 思想家の生涯追う傑作評伝

 ディストピア小説の傑作『一九八四年』や全体主義を寓話(ぐうわ)仕立てにした『動物農場』で有名な英国作家ジョージ・オーウェル。その評伝であるこの作品を読んだら最後、オーウェルがますます好きになること、請け合いの快著である。

 あまり裕福とは言えない中流階級出身で、奨学金を頼りに名門イートン校で学んだ悪夢の日々。卒業後、大学に進学せずインド帝国警察に就職し、赴任先で目撃したイギリス帝国主義に起因する不正義の数々。辞職して小説家を目指したもののロンドンやパリの貧民街をさまよい、肉体労働に汗した苦労の毎日。そうした中で『パリ・ロンドン放浪記』を著すが、「自慢できるものではない」という理由で、本名のエリック・ブレアでなくジョージ・オーウェルという筆名を用いるようになったという。

 全体主義に鋭い批判の眼差しを向け、社会主義に傾倒したオーウェルは、人民戦線政府とフランコ将軍派との間に起こったスペイン内戦に、人民戦線の義勇兵として参加した。際立って背が高かったオーウェルは喉を撃ち抜かれ、すんでのところで死を免れている。こうした最前線での体験は、ルポルタージュ『カタロニア讃歌』に結実するが、この他にも、オーウェルは第二次世界大戦中に魅力ある評論などを数多く残している。

 オーウェルの思想世界は、もはや“あの世”における救済に期待できず“この世”を「人生を生きるに値するものにすること」に専心すべきだという意味での人間主義(ヒューマニズム)を基礎としている。その上で、“この世”におけるあらゆる不正義に対して不断に怒りを表しているのだが、その半面、「民衆に備わるまっとうな感覚(コモン・ディーセンシー)」にオーウェルが寄せる信頼と希望は揺らぐことがなかった。この「ディーセンシー(decency)」という英語は日本語に訳しにくく、著者もさまざまな訳語を与えているが、道徳的にも社会的にも中庸で「まとも」、品格もある状態を意味する。このいかにも英国人好みの概念を中心にオーウェルの思想を読み解く本書の試みは成功を収めている。

「オーウェリアン」という、彼の筆名に因む形容詞は、現代英語圏では、全体主義的な特徴を示す世界を表現する上で広く用いられるまでになっている。そんな彼の政治思想がどのような人生体験に根差しているかを、実にいきいきと描き出した本書は、民主主義の危機が世界的に叫ばれる今日、ぜひ一読をお勧めしたい作品である。

(将基面貴巳、ニュージーランド・オタゴ大学教授)


 かわばた・やすお 1955年生まれ。明治大学大学院文学研究科博士後期課程中退。専門は近現代のイギリス文化、イギリス文学。著書に『オーウェルのマザー・グース』『ジョージ・ベストがいた』など。

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