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教養・歴史 書評

中国 陳冠中が描く欲望渦巻く中国=辻康吾

 香港の作家・陳冠中(チンカンチュウ)がこのほど発表した『北京零公里』(Oxford University Press・China)は華字(かじ)(中国の文字)30万字、日本語なら50万字にもなる大作であるだけでなく、中国関係の数多くの歴史書、学術書からうかがうことができない、中国と呼ばれるこの世界で展開されてきた真実のドキュメンタリーとなっている。

 タイトルの『北京零公里』とは、東京の日本橋にある道路元標と同じく、北京天安門広場にある全国道路網の起点のことであり、また1000年にわたる中華の首都で演じられてきた欲望のドラマの原点でもある。

 本書は「内篇」「外篇」「秘篇」の3篇に分かれ、「内篇」は1989年6月4日の天安門事件で流れ弾に当たって死んだ少年の話。少年は死の瞬間に望んでいたように、やがて北京の地下に広がる非業の死を遂げた人々がさ迷う地下都市で歴史家となり、終わることなく歴史を語り続ける。

「外篇」はその少年の兄が、事件後の中国の近代化=欲望化の中ですべての理想や夢を捨てひたすら美食に明け暮れ、6月4日に弟が死んだ街角で線香を立てている。そして「秘篇」は76年に死去した毛沢東の脳が保存されていたというSFで、奇想天外な物語が展開する。

 内・外・秘の3篇はそれぞれまったく異なる物語でありながら、描かれているのは中国の歴史上の過去と現在と未来を通じて、正史で決して記されることはない、各時代の人々の生存、理想、名誉、権力、野心、物欲、食欲など各種欲望の交錯と、それを争う人々の流血の歴史であり、そこではいわゆる古典中国と現代中国の間にはなんの違いもない。一例をあげるなら、毛死去の文革後、鄧小平が主導した近代化政策への転換も、表面的には歴史的大転換のように見えながらも、その本質においてはなんの変わりもなかった。中国を支配し、独裁し、指導するのが皇帝から共産党に変わっただけだとされている。

 ともあれ本書で綿々と語られる北京城の歴史は、公的な革命史や四書五経以来の古典中国になじんできた我々の中国観を大きく改めるものであることは間違いない

(辻康吾・元獨協大学教授)


 この欄は「永江朗の出版業界事情」と隔週で掲載します。

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