『信用貨幣の生成と展開 近世~現代の歴史的実証』 評者・平山賢一
編著者 鎮目雅人(早稲田大学政治経済学術院教授) 慶応義塾大学出版会 6500円
権力者の「強制」ではなく民間決済の革新を「追認」
本書は、信用貨幣の「これまで」と「これから」に関する10人の研究者の成果を凝縮したものである。20世紀初頭の中国、両大戦間期のインドも視角に入れ、議論の幅を広げている点は興味深い。前近代を含むその歴史の足取りは、商人を主体とする伝統的・地域分散的なものから、近現代的・画一的なものへと、ある一時期を境にパッと移行したものではないことを明らかにしている。
我々は歴史を、「A→B→C」という具合にステップを踏んで発展してきたと整理したい欲望にかられるが、現実は異なる。貨幣の歴史は、従来の仕組みと働きの伝統を引きずりつつ、常に新しい革新の動きと重複しながら変化してきたのだろう。
我が国では、金や銀といった金属貨幣などに加え、割符(さいふ)(遠隔地送金用の為替手形型と約束手形型)、利札(りさつ)(クーポン)、藩札(はんさつ)(江戸時代に各藩内で流通した紙幣)、掛取引(かけとりひき)(代金後払いの商品売買)などの信用貨幣が決済手段として併存・利用されてきたことが明らかにされている。
その上で、各時代の規制者たちは、金貨などの画一化された貨幣を強制してきたのではなく、社会の混乱を招かないように民間の仕組みを「追認」してきた点を強調する。寛政年間(1789〜1801年)の大坂町奉行所が、「市場参加者との対話」を深め、堂島米市場の先物価格混乱を収めた事例は特筆に値する。規制者が、商人たちの利便性に配慮しつつ、市場の安定性や信頼性の確保を図ろうとしているからである。こわもての権力者の姿は感じられない。
ところで、現代日本の「民間銀行と中央銀行からなる二層構造の専業銀行システム」が形づくられるまでの紆余(うよ)曲折は意外と知られていない。専業銀行は、藩札発行技術を含む商人の知見を活用した国立銀行の設立や、自己資本を資金原資とする合本(ごうほん)銀行が主軸の時代を経た後に、預金を原資とする預金銀行化が進み、現在の姿になったという。
規制者が最初から意図してできたものでない点は注意すべきだろう。情報技術の発展によって生まれた暗号資産は今、規制者(金融当局)から貨幣としての機能を否定されているが、利便性に貢献する決済やコミュニケーションの手段になれば、今後追認される可能性もあるからだ。
膨大な取引をこなせる多元的な貨幣が併存するシステムは従来不可能と考えられていたが、情報技術の発展はそうしたシステムの信頼性が確保できる社会の到来を予感させる。それは信用貨幣が繰り返してきた伝統と革新の歴史そのものでもある。
(平山賢一・東京海上アセットマネジメント執行役員運用本部長)
鎮目雅人(しずめ・まさと) 1963年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、日本銀行入行。神戸大学経済経営研究所教授、日本銀行金融研究所勤務などを経て2014年より現職。著書に『世界恐慌と経済政策』など。