教養・歴史書評

『暴君 シェイクスピアの政治学』 評者・将基面貴巳

    著者 スティーブン・グリーンブラット(ハーバード大学教授) 訳者 河合祥一郎 岩波新書 860円

    “トランプのアメリカ”への警告 腐敗した市民との共犯関係

    「暴君」は、現代日本ではあまり見慣れない言葉である。しかも、古代ローマのネロ帝、あるいはヒトラーのような独裁者を思い浮かべることはあっても、日本には時代を問わず「暴君」という存在はいないと考えるのが一般的である。

     一方、トランプ政権下の米国では、本書のように「暴君(タイラント)」や「暴政(ティラニー)」を主題とする書籍が出版されるようになった。欧米政治思想における「暴君」とは、単に暴虐非道な君主ではなく、自己の利益を優先して恣意(しい)的に権力を行使する支配者を意味する。そして、そのような指導者が市民社会の「共通善」を破壊する政治が「暴政」である。

     シェイクスピア劇の多くには、リチャード2世やマクベスをはじめ、さまざまな「暴君」が登場する。シェイクスピア研究の泰斗スティーブン・グリーンブラットは、「どのようにして暴君は政治の表舞台に登場するのか」「なぜ庶民は暴君の登場を許してしまうのか」という視点から、シェイクスピアの作品群を本書で鮮やかに読み解いている。そこには、“トランプのアメリカ”への警告が透けて見えるが、その内容は現代日本人にとっても無関係ではない。

     シェイクスピア劇の解読から浮き彫りになる「暴君」は、「国とは自分のこと」であって「皆のためなんて糞(くそ)くらえ」だと思っている。将来世代のことなど関心外だから、暴君は「未来の敵」なのだ。

     暴君が支配する社会は、それ自体“小暴君”だらけである。市民たち自身も腐敗しているからこそ、暴君の出番となるのだ。その意味で市民たちは暴君と「共犯関係」にある。しかも暴君は社会をさらに分断することでその命脈を保つ。

     ひとたび暴君が権力の座につくと、これを倒すのは容易ではない。庶民は手も足も出せない。「この悲しき時代の重みに耐えるのが我らの務めだ」という『リア王』結末のせりふは、まるで現代日本の若者の慨嘆のように聞こえる。だが、暴君を放っておけば、内戦すら起きかねず、社会は崩壊の危機に直面する。しかし、その一方で、ブルータスは「暴君」シーザーを倒すが、その結果、ローマ共和制まで葬ってしまう。暴政には特効薬がないのだ。

     西洋思想の伝統における「暴君」とは、政治のみならず企業や大学などあらゆる人間組織に登場しうる存在である。現代日本政治はもちろん、我々が属する組織に現れる「暴君」の正体をどのようにして見破り、どう対処すべきか。本書は多くの重要な示唆に満ちている。

    (将基面貴巳、ニュージーランド・オタゴ大学教授)


     Stephen Greenblatt 1943年米国マサチューセッツ州ボストン生まれ。エール大学、ケンブリッジ大学卒業。『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』でピュリツァー賞、全米図書賞受賞。シェイクスピア研究の世界的大家である。

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