教養・歴史書評

『三島由紀夫事件 50年目の証言』 評者・田代秀敏

著者 西 法太郎(文筆家) 新潮社 1800円

計画知りながら静観した警察の謎に迫る丹念な検証の書

 ノーベル文学賞候補であった三島由紀夫は、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で憲法改正のための決起を呼び掛け、割腹自殺した。今年11月25日で、それからちょうど50年となる。

 それに合わせ、三島事件に関する書籍や論説が相次ぐが、「自分の思い」を述べるものばかりで、事実を探るのは本書だけである。

 三島は命を懸け「我々に何を伝えたかったのか」。「なぜ三島は切腹と介錯による自決を、実質が軍隊である自衛隊敷地内の真っ只中で完遂できたのだろうか」。

 それらを確かめるため、著者は、非公開だった裁判資料や、佐々淳行(さっさあつゆき)氏ら事件関係者への取材から、事実を丹念に発掘していく。

 三島が私財を投じて創立運営した学生私兵組織「楯(たて)の会」の隊員で、自決を幇助(ほうじょ)し逮捕された3人の自筆上申書は、発掘成果の一つである。

「徴兵制度はいかん」

「言論の自由を守るには議会制民主主義を守らなければならない」

 こうした三島の「肉声」は、三島の最後の思考を知る最上の手掛かりとなるだろう。

「左翼と右翼との違いは“天皇と死”しかない」 と三島が語ってから50年後、「左翼」はリベラルとなり、「右翼」は保守となり、日本の思想から“天皇と死”は消えた。しかし、三島事件の謎は今も深い。

 自衛隊から警察への第一報は、現場の建物内にいた士官級の自衛官が上官の許可なく勝手に行った110番であった 。

「滑稽(こっけい)きわまりない軍隊です。虎がネズミに襲われて猫を呼んだようなものですから。今もこの状態は変わっていない。歪(ゆが)んだままです」 と、元警察官僚の佐々氏は証言する。

 第一報だけで警察は、機動隊2個中隊(約100人)そして私服警官150人を現場へ急行させた 。

 しかし警察は「せっかく大出動しても、一切手出しをせず、じっと自決するのを静観し“環視”していただけだった」。

 実は「警察は、三島が何かやるだろうということはつかんでいた」。

 この佐々氏の衝撃的な証言に加え本書が示す数々の事実は、「三島事件には見えていない国家権力の意思が秘(ひそ)かにうごめいていた形跡がある」ことを示唆している。

 三島は自決直前に「日本は経済的繁栄にうつつを抜かして、ついに精神的空白状態におちいって、政治はただ謀略、自己保身だけ」と演説した。経済的繁栄が失われ精神的空白状態が残された今、本書の上梓(じょうし)を奇貨とするべきかもしれない。

(田代秀敏、シグマ・キャピタル チーフエコノミスト)


 西法太郎(にし・ほうたろう) 1956年生まれ。東京大学法学部卒業後、総合商社勤務を経て文筆業へ。著書に『死の貌 三島由紀夫の真実』『三島由紀夫は一〇代をどう生きたか あの結末をもたらしたものへ』がある。

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