『民主主義の壊れ方 クーデタ・大惨事・テクノロジー』 評者・浜矩子
著者 デイヴィッド・ランシマン(ケンブリッジ大学教授) 訳者 若林茂樹 白水社 2400円
若さを失った民主主義の 形骸化が進む21世紀
本書の原題が“How Democracy Ends”である。直訳すれば、「民主主義の終わり方」だ。ところが、邦題は「民主主義の壊れ方」になっている。当初、違和感を覚えた。「壊れる」と「終わる」は違う。壊れたものは直せる。だが、終わったものは直せない。一巻の終わりである。
この点が引っ掛かりながら読み始めると、ほどなく、邦題に込められたイメージが見えてきた。本書の考察対象となっているのは、民主主義の自壊現象だ。民主主義が内側から崩れていく。本書が解明しようとしているのは、そのプロセスだ。「壊れ方」は、このことをとてもよく表現している。当初の疑念は撤回。
著者によれば、今日、民主主義を自壊の危機に追い込んでいるのは、民主主義自体の高齢化だ。20世紀初頭、まだ民主主義が若かった時、危機は外からやって来た。武力を伴うクーデターが民主主義体制を突き崩した。若い民主主義はそうした暴挙に対して反撃し、結果的に強化され、成長した。この一連のプロセスは、完全に可視的だ。何が起こり、どうなったのかが誰にもよく見える。
だが、高齢化した民主主義は「外形的には無傷のまま、破綻することになる」のだという。これは実に恐ろしいことだ。外形的には無傷なら、破綻過程に入ったことが誰にも見えない。見えない破綻過程には、誰も気づかない。元気そうに見えていても、認知症にかかっているかもしれない。外見上はピンピンしていても、内臓疾患が深刻化しているかもしれない。高齢者はこれが怖い。
もっと怖いのが、高齢民主主義をむしばむ内なる病弊の正体だ。それについて著者いわく、「民主主義が浸透している時、それを崩壊させずとも転覆することは可能だ。これは、政府上層部の権限強化の例が顕著である。選挙で選ばれた権力者は口では民主主義と言いながら、実際にはそれと大きく異なる体制にする」。
これは今の日本のことだ。評者は強い衝撃とともにそう確信した。日本学術会議への新会員の任命拒否。国会軽視。意に添わない者には「異動してもらう」と言い切る政治責任者。上記の引用箇所には次のくだりが続く。「これは民主主義にとって21世紀最大の危機であり、インド、トルコ、フィリピン、エクアドル、ハンガリー、ポーランドなどの国に見られる」。
この国々のリストに、日本を加えるべきだ。現に、著者は本書の終章で、日本を「今や民主主義の終焉(しゅうえん)について最良の道先案内人である」と言っている。限りなく怖い。
(浜矩子・同志社大学大学院教授)
David Runciman ケンブリッジ大学の政治・国際関係学科(POLIS)長を歴任し、現在は同大政治学教授。政治学の世界的権威。『The Confidence Trap : A History of Democracy in Crisis from World War I to the present』などの著作がある。