教養・歴史書評

中国 赤裸々に描かれる人間像と台湾のすべて=辻康吾

 台湾の人気作家というより、今や大御所ともいうべき李昂(リー・アン)の新作『密室殺人』(有鹿文化)が発表された。そのタイトル通り推理小説のような形を取りながらも、内容は作者自身とその全作品、作者が置かれた台湾や世界のすべてについての思いが注ぎこまれている。台北のランドマークとして知られる101ビル近くの高層マンションの一室で殺され、内臓を取り出された男の死体とともに、絶望した女性作家の壮絶な心象風景が展開される。欲望の極地である食人として、男の内臓のそれぞれは中華料理の材料となり、その調理法の詳細が語られ、最後には中国伝統の祭祀(さいし)における盛大な供物となる。

 その代表作とされる1983年の『殺夫』(邦訳は藤井省三訳『夫殺し』、宝島社)で差別問題、性描写、人間性への飽くなき追求など、数々のタブーを破って大きな話題となっている。この最新作『密室殺人』においても人間性をより深く追求し、人間の欲望と愛情を余すことなく描き出している。

 同時に作者がおかれた故郷の港町・台北、さらに留学先の米国、そして近代化した今の台北の街という環境、さらに国民党による弾圧と虐殺の二・二八事件や美麗島事件などの歴史、作者を巡る世界のすべてを書き込もうとしている。その中心にいる作者は最後の作品とも言われるこの『密室殺人』の最初と最後で大意次のように述べている。

「私の体、最初は四肢の皮膚に赤斑(せきはん)ができ、やがて赤く腫れあがり膿(うみ)を流す」「やがて傷は広がり、それほど大きなものではないが、その痕を残す」「薬を塗れば治るが、また必ず出てくる」「傷が治り、赤斑が消えるのはうれしいが、傷痕の穴は残り、私の体は襤褸(ぼろ)になる」「着衣ではなく私の体が襤褸となるのだ」

 角度を変えて考えれば台湾─古くは中華圏の一角、日本統治の時代、国民党支配、民主化、そして今や米中間のホットスポットという希有(けう)の歴史を経てきた台湾は、その政治、経済、社会、文化において独自の世界をつくりあげ多くの人々に愛されている。だがその混沌(こんとん)の表裏、内外、明暗を突き詰めたところに、より普遍的な人間像が描き出されているのかもしれない。

(辻康吾・元獨協大学教授)


 この欄は「永江朗の出版業界事情」と隔週で掲載します。

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