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人間をロボット視する専門家たち シン・東京2021/31=石戸諭〈サンデー毎日〉

各地に設けられた大規模接種センター
各地に設けられた大規模接種センター

 新型コロナ対策 感染防ぐため「家に閉じこもれ」

 ワクチン接種が進む。生命と生活を脅かす新型コロナウイルスへの大きな武器だ。しかし、行政が主導する緊急事態宣言をはじめとする対策は、どこまで効果があるのだろうか。ワクチンのリスクに対する考え方をめぐる分断も危惧される。見落としてきた視点はないだろうか。

「緊急事態宣言というのは、限りなく感染者をゼロに近づけないといけないのです。新型コロナウイルスを封じ込めることは、決して難しいことではないですよ。理論的に考えれば、この国に住む人々が1カ月外に出歩かなければ、感染は広がらず、ゼロコロナは実現できる」

 都内のある会議室で、国の対策にも影響を与える立場にある感染症専門家が、私の取材中に言い放った一言だ。年明け早々に出された緊急事態宣言が解除された2021年4月のことである。大量の資料や書籍、そして古いパソコンが並んでいる部屋の中で、私はこの発言を内心、呆(あき)れ果てながら聞いていた。

 2020年から始まった新型コロナ禍で、私にとって大きな変化は医療従事者を取材することが多くなったことにある。その中で一つわかったことがある。あらゆる発言で大事なのは、「人間」という存在をどう捉えるか。価値観が問われるということだ。

 この専門家の発言は、正しすぎると言いたくなるくらい正しい。多少の犠牲を払ってでも、感染者数は確かに抑制したほうがいいのだろう。対策を徹底したいのならば、全員が外に出ることなく人と人の交流を断ち切ることがベストであろうし、この間も散々主張されていたように「人流」をすべて制限するよう施策を打ち続けることが良い。理論的にはその通りである。では誰が感染症対策のために生活を犠牲にするような行動を取るのか。

 往々にして彼らが理想としているのは、あまりにも「理性的な人間」だ。感染症対策を呼びかけられれば、きちんと言うことを聞いて家にこもり、情報を丁寧に集めて、リスクのない生活を徹底する。しかし、これは科学的に明らかになっている「人間」像からは、かけ離れている。

 人は見たいものを見たいように見て、共通点のある人とつながりたがり、SNSを含む周囲の人たちの感情の影響を受ける。少なくない人々は、明確な間違いを指摘されても、自分の世界観にあわなければ、自らの世界観にさらに固執するというバイアスを持ち合わせている。情報は常に発信側の想定通りには受け取られない。現実の人間を知って、対策を立てているのはやはり現場ということになるだろう。

 世代で異なるワクチンへの意識

 堀成美という感染症対策のプロフェッショナルがいる。聖路加国際大助教、国立国際医療研究センターなどで感染症看護の最前線に立ち、新型コロナ禍でも保健所の支援に入ったり、インターネット番組で視聴者からの疑問に答えたり、地上波のテレビで発信したりと多方面で活躍している。HIVや子宮頸(けい)がんワクチン問題の取材で知り合い、それ以来、時折連絡を取り合ってきた。この間も、取材先のアドバイスをもらったり、最前線で起きていることをレクチャーしてもらったりした。私が彼女を信頼している理由の一つに、徹底した現場主義を貫いていることにある。マクロなデータやエビデンスをきちんと押さえた上で、現場で起きたことを知ろうとする。

「現場主義」で肝心なのは、現場の多様性を理解することだ。大学病院や国立の大病院と保健所、民間病院でも大きなところと中堅、都市と地方、医師と看護師でも立場ごとに「現場」の問題は大きく異なる。多様性を踏まえ、個別に、かつ具体的に語ることが大切であるということを、私は彼女から学んだ。

 先日、堀も登壇した東京都看護協会のオンラインセミナーを取材した。ここで浮かび上がった問題の一つがコミュニケーションだ。

 新型コロナ禍を収束させるための現実的な手段は、どうにもワクチン接種くらいしかない。6月20日までだらだらと続いていた緊急事態宣言などの施策は、ワクチンを効率よく接種するための時間稼ぎでもあった。日本も当初は出遅れてはいたが、多くの医療従事者の協力があり、5~6月にかけてようやく高齢者のワクチン接種は進んできた。さらに接種率を上げるために、職場での集団接種という取り組みも始まっている。

 多くの人が勘違いしてしまっているのは、高齢者とその他の年代で、ワクチンに対して、決定的と言ってもいい温度差があるということだ。高齢者はとにかく早く打ちたいという人が多かったし、家族や周囲に望まれる形で打つという人もいた。それも当然である。1年以上、ずっとハイリスクと言われ、「感染したらいかに危険か。どれだけ命にかかわるか」という情報ばかりを浴びせられれば、危機感も強まるだろう。では、若年層はどうだろうか。

 私のように制限がかかった生活は嫌だし、多くの人と接する可能性がある仕事である以上、早く打ちたいという人もいれば、そうではない人もいる。感染のリスクよりも、副反応のリスクのほうを恐れるという人たちも当然いる。

 目標は「流行を最小限に抑える」

 つまり、問題は高齢者を相手にした「いかに効率的に早く打つか」だけでない。ロジスティクスや、会場や打ち手の確保に難点があるという問題はすべて改善されたのに、肝心の人がやってこないために接種率が上がらないという問題に直面する。そのための備えが必要で、今後はコミュニケーションの問題や、ワクチンに不安を持つ人たちへ「理解」という問題が根深くかかわってくる。

「打つのが当たり前」「打たない人がおかしい」では、コミュニケーションはずれていく。今の社会で往々にして起こりがちなのは「ワクチンを拒んでいる人は、知識が足りないから、知恵をつける情報を送ろう」となることだ。それは結果的に、接種から足を遠ざけることになる。ではどうしたらいいのか。

 ここからはセミナーを聞いての私見だが、第一にメディアを含めて、目標の共有は欠かせない。これまで積み上がっている知見を踏まえる限り、副反応のリスクはあるにせよ、メリットも十分にある。ざっとあげられるだけでも、感染リスクの軽減、感染させるリスクも低くなり、さらに仮に感染したとしても軽症で済むという効果も期待できる。ワクチンが作れない感染症もある中で、これだけのスピードで実用化が進んだというのは、朗報だ。

 堀が紹介していた医療界の格言でいえば「予防に勝る治療なし」。メディアや記者によっては、ワクチンの副反応にばかり注目してしまい、不必要なまでに不安を煽(あお)ることを仕事だと思っている。だが、それでは感染症対策は進まない。打ちたくない人が打たなかったとしても、広くかつ早くワクチン接種が進むことで、感染症の流行を最小限に抑えることができる。これが目標だろう。100%の人が接種することも、新型コロナウイルスをゼロにすることもありえない目標だが、流行を最小限に抑えることは現実的かつ目指せるものだ。

 第二にデフォルト(初期設定)を変更することだ。私の手元にも自治体から届いたワクチンの接種券がある。ここから解禁される日時にあわせて予約を取るように指示されていたが、このやり方ではこれ以上、接種率は上がらないだろう。人間はよほどの危機感がない限り、自ら行動することをコストがかかると感じてしまう。言い換えれば、面倒なことを積極的にやりたがらないのが人間である。「ワクチンを拒否するほどではないが、さほど危機感も抱いていない」という層には届かないやり方になってしまっている。

 もう発送が終わった自治体は仕方ないにしても、職域ではコストを下げる工夫はいる。例えば、あらかじめ全員に日時と場所を指定した通知を出す。その際に、どうしても日程の調整がつかないとか、接種を希望しないという人は変更を認めるといったものだ。

 堀がセミナーでも強調していたが、子供のワクチンと違って、大人のワクチン接種は少しばかり意味合いが異なる。風疹のように本当ならワクチンで防げるはずの病気もワクチン接種が進んでいないばかりに、いまだに流行が繰り返される病気が日本にはある。新型コロナだけが感染症ではない。大人のワクチンは個人を守るだけでなく、自分が所属するコミュニティーや、さまざまな価値観の人々が共存する社会を守るためのものであり、次世代を守る。それは何らかの理由で、ワクチン接種を受けていない人々も守ることにつながる。

 多くの人が打ちやすい仕組みを作ることは、結果的に「ワクチンを接種しない」人たちの利益にもつながる。ワクチンを打たないと決めた人たちを不当に扱うわけではなく、不必要な分断も生まなくて済む。

 パブの閉店で悪化した生活条件

 ワクチンという武器を使って感染症の流行を最小限に抑えるという目標は、地域のハブになっていた飲食店を守るということにもつながるのかもしれない。法哲学者の谷口功一による「『夜の街』の憲法論―飲食店は自粛要請に従うべきなのか」(『Voice』21年7月号掲載)に興味深い知見が紹介されている。

「ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのダイアン=ボレット氏は、最近『孤独な呑んべえ/地域の社会文化的荒廃と極右の伸張――廃業に追い込まれるイギリスのパブを事例に(Bolet, Drinking Alone)』という論文を比較政治学の国際ジャーナルに投稿し、評判を博した。

 その内容は、地域におけるパブの閉店は、人びとの社会的孤立を引き起こし、イギリスの労働者階級の生活条件の悪化のシグナルになっているというものだ。 じつに興味深いことに、パブが地域から姿を消すことによってコミュニティーのハブとなる場所が失われ、その帰結としてイギリス独立党(UKIP、右翼政党)への投票行動が促進されるというのである」

 この間の取材で印象に残っている対話がある。大病院、そして支援で入った地域の病院で新型コロナ患者を診察してきたある医師は、「人間をピンボール、ロボットと同じように扱う専門家」を批判した。

「感染症や疫学の専門家たちは人間を人間として認識していないのではないでしょうかね。人間はときに食事を共にし、酒を酌み交わして親交を深めてきたわけです。学校や職場といった家以外の環境が必要なのは、そこに社会的な意味があるからで、感染症が流行したから人間を家に閉じ込めておけばいいという発想は家畜を管理する発想に近いんですよ」

「家にずっといたり、交流しなかったりするのは健康的な暮らしとは言えない?」

「そうですね。飲食店や学校を閉じることによって生じるリスクは見ないで、感染者数を下げることばかりを考えている。国が強いメッセージを発すれば社会が言うことを聞くというのは、人間をロボットだと思っているのではないかな。私とは人間観が違いすぎますね」と。

(文中敬称略)

いしど・さとる

 1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大法学部を卒業し、同年毎日新聞社に入社。2016年1月にインターネットメディア「BuzzFeed Japan」に移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして雑誌、ウェブ媒体に寄稿し、テレビ、ラジオなどでコメンテーターも務める。ニューズウィーク日本版「百田尚樹現象」で、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞した。受賞作をベースに安倍政権に最も近い作家を生み出した、平成右派運動の源流と盛衰を描く新著『ルポ 百田尚樹現象―愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)を発売。

「サンデー毎日7月11日号」表紙
「サンデー毎日7月11日号」表紙

 6月29日発売の「サンデー毎日7月11日号」には、他にも「衆院選 菅自民20減、都議選 都民フ1ケタも 選挙のプロがダブル予測」「家計埋蔵金36兆円が狙われる 経済のプロ座談会」「短期集中シリーズ しなくていいお葬式」などの記事も掲載されています。

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