知識人が擁護したくなる権威主義の甘い誘惑=上川孝夫
『権威主義の誘惑 民主政治の黄昏』 評者・上川孝夫
著者 アン・アプルボーム(歴史家、ジャーナリスト) 訳者 三浦元博 白水社 2420円
移民、反差別、国際協調を攻撃 「知識人」までも転向する危機
今年1月、米大統領選の結果をめぐり、トランプ前大統領の支持者が連邦議会議事堂を襲撃した事件は記憶に新しい。民主政治に背を向け、権威を絶対視する政権は東欧でも誕生している。また英国はEU(欧州連合)を離脱した。なぜ、このようなことが起きているのか。米国のジャーナリストが欧米の現場から伝えている。
権威主義の台頭は、経済危機や格差の拡大などで鬱積した人々の不満を、既成政党が受け止め切れなかったことが背景にあるといわれる。しかし、事態はもう少し複雑である。本書が焦点を当てているのは、この権威主義を擁護する「知識人」たちである。ジャーナリスト、言論人、弁護士などが、自らの考えを変えて権威主義的理念を擁護する側に回り、それを社会に広めていく様子が生々しく描かれている。
東欧では主にポーランドとハンガリーが取り上げられている。1989年の旧体制崩壊後、民主化へ踏み出したが、やがて政権批判が顕在化する。そこでは民主化の下で不遇な扱いを受けたことに怨念を持つマスコミ関係者や、「民主制は個人主義的すぎる」「欧米の模倣にすぎない」と語る歴史家などが現れる。権威主義が台頭するのは、ここ10年のことである。政権はメディアや司法を支配し、移民を排斥し、社会の分断を強めた。
米英の動きもほぼ時を同じくする。ソ連崩壊後、ユーフォリア(陶酔感)が広がったが、やがて保守派の一部に、過去を懐かしむノスタルジアが生まれる。トランプ前大統領が2016年の大統領選で訴えたのも、米国の偉大な地位を取り戻すための「復古的ノスタルジア」だったという。本書には、欧米文明は今や絶望的だとして、移民、反差別、文化などを攻撃する番組キャスターや、礼儀正しい対話は終わり、全面戦争になるだろうと語る保守派弁護士がメディアに登場する。
一方、英国では、大英帝国の象徴だった通貨ポンドが欧州統合により消滅しかねないという懸念が浮上する。欧州との協調ではなく、自国の主権のもとにルールを決めたいという願望が、EU離脱運動の基盤にあったと見る。
著者も指摘するように、哲学者プラトンや米国建国の父ハミルトンは、民主政治が常に機能不全に陥る可能性を認識していた。サブタイトルにある「民主政治の黄昏」には、そうした懸念を取り除いて将来に希望を託したいという著者の願いが込められている。
(上川孝夫・横浜国立大学名誉教授)
Anne Applebaum 1964年生まれ。米国出身。『グラーグ ソ連集中収容所の歴史』でピュリツァー賞受賞。また、『鉄のカーテン 東欧の壊滅1944-56(上下)』でクンディル歴史賞を受賞。