「人生は演劇そのものだ」。自意識を克服し他者に共感する=将基面貴巳
『演劇入門 生きることは演じること』 評者・将基面貴巳
著者 鴻上尚史(作家、演出家) 集英社新書 968円
人と人がいれば演劇がある 演じることは他者から学ぶこと
「人生は演劇そのものだ」。この根本命題を論じる本書は、ありきたりの処世訓を演劇作品から拾い上げるようなものではない。人は人生を生きる中で常に何らかの役割を演じている。子供に対しては親、社員に対しては上司などのように役割を果たすことは、英語でいえば「play a role」であり、その表現はそっくりそのまま演劇の役を演じることをも意味する。演劇は「行為する人とそれを見る人がいれば成立する」と定義されるという。ならば、人々が共有する空間で誰かが行為すれば、そこには必ず演劇が展開されるのである。
演劇の面白さは、著者によれば、俳優があるキャラクターとして生きること、その役になり切ることにある。その役が感じる通りに心を動かすことは、俳優個人の自分とは違った生き方をすることでもある。俳優は一人で何人もの役を「生きる」ことで他者と共感する経験を重ねる。その際、役の真実味を表現するためには、自意識を克服しなければならない。「自分」が役をうまく演じようと思った瞬間に、すでにその役になり切っていない。俳優は「自分」の心ではなく「役」の心を持たねばならないからだ。「演劇はセリフの決まったアドリブ」だと著者は言う。
他者の人生を演じることは、他者の視点や感情の持ち方を学ぶことでもある。演劇を通じて人生を生きるすべを学ぶことのメリットを、著者は強調する。たとえば、俳優は間違いを犯したからといって劇そのものを休止するわけにはいかない。人生と同様、ポーズボタンはないのである。場数を踏むことで、間違いを犯してもそこからどう立ち直るかを学ぶほかはない。また、俳優は劇を共同で作り上げてゆく上で納得がゆくまで議論を重ねる。納得のゆかないセリフは口に出せないのである。したがって、演劇に参加することは、こじれてもなんとかやってゆくコミュニケーション能力を育てるという。私の勤務校の場合、法律学科が演劇学科と共同で、法律家の法廷での「演劇」能力を開発する試みをしたことがある。当然、演劇的手法は、ビジネスの場面でも応用が利くことだろう。
「役を演じること」についての著者の豊かな洞察は、必ずしも俳優ではない我々が、日々の生活でさまざまな役割を生き生きと演じるために有益なヒントを提供する。演劇というレンズを通して人生を語る本書は、思わず書き留めておきたくなる寸言が随所にちりばめられ、通読後、何とも形容しがたい充実感をもたらす作品である。
(ニュージーランド・オタゴ大学教授)
鴻上尚史(こうかみ・しょうじ) 1958年生まれ。早稲田大学在学中の81年、劇団「第三舞台」を結成。『スナフキンの手紙』で岸田國士戯曲賞、『グローブ・ジャングル』で読売文学賞受賞。舞台演出のほかエッセー集なども多数。