『世界牛魔人 グローバル・ミノタウロス』 評者・後藤康雄
著者 ヤニス・バルファキス(ギリシャ国会議員) 訳者 早川健治 那須里山舎 2640円
世界中から富を吸い続ける「魔獣」 米国資本主義の生成過程を分析
一風変わったタイトルはギリシャ神話に登場する半人半牛の魔獣・牛魔人(ミノタウロス)に由来する。著者は、2015年に生まれたギリシャ急進左派政権下の財務相として、同国の債務再編交渉を担った経済学者で、現在は草の根政治運動を進めている。
本書の主題は、世界経済が育んできた恐ろしい“魔獣”であり、その正体は米国資本主義だ。金融市場を通じて世界中から富を吸い続ける姿を、古代アテネに貢ぎ物を強要したと伝わる魔獣になぞらえている。
著者は、魔獣の生成過程を詳細かつ雄弁に叙述する。1970年代のブレトンウッズ体制崩壊で自由な資本移動の素地が形成され、その後の規制緩和により米国金融機関が債務を自由に増やせるようになったことで魔獣に息が吹き込まれた。金融部門が債務として海外から集める資金を原資に、米国は財政赤字と経常赤字を永続できるようになった、というのが大きな流れである。
そこでは魔獣に仕える“侍女”たちが重要な役割を果たしてきた。自由主義のイデオロギーとグローバル化を理論面で支え、ポストや研究費という分け前を得る(と著者がいう)主流派経済学はその一角をなす。さらに「低価格」という御旗(みはた)のもと、世界規模で労働者を搾取するビジネスモデルも侍女に加わり、米国資本主義、とりわけ金融をはじめとする富裕層に富を導く魔獣の迷宮が築き上げられてきた、とする。魔獣と侍女らを舌鋒(ぜっぽう)鋭く切り捨てる歯切れよさに、ギリシャ知識人ならではの教養とレトリックが加味され、飽きることなく読み進められる。単なるイデオロギストではなく、経済学者として、経済用語の記述も危なげない。
基軸通貨国・米国がシニョレッジ(通貨発行益)を享受しているとの全体構図の認識は、“主流派経済学”と大きく違わない。ただ、そこに至る道筋が、結果的な要素を含むのか、著者がいうように傑出した米国指導層による周到かつ利己的な戦略によるものかは、見方が分かれよう。
巧妙ではあるが、一方的に資金を吸収し続ける仕組みは本質的にもろさを抱える。世界経済に表面上の安定をもたらしてきた魔獣は、幸いにも(?)2008年のリーマン・ショックで瀕死(ひんし)の傷を負ったという。世界観の賛否はあろうが、その後のニューパラダイムを打ち立てる主体がないままにパンデミックを迎えているという危機感は誰しも否定できまい。世界経済のゆくえをめぐる議論に、イデオロギーを超えて本書が投じる一石は小さくない。
(後藤康雄・成城大学教授)
Yanis Varoufakis 1961年アテネ生まれ。2015年に成立したチプラス政権下で財務大臣を務め、国際債権団との債務減免交渉に臨んだ。著書に『黒い匣 密室の権力者たちが狂わせる世界の運命』など。