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「安くてまずい」低価格プライベートブランド商品が日本に定着したヤバすぎる事情

    ベルギーの輸入ビールをプライベートブランドで投入し、ビール業界で価格破壊を起こした中内功ダイエー会長兼社長1998年1月9日撮影
    ベルギーの輸入ビールをプライベートブランドで投入し、ビール業界で価格破壊を起こした中内功ダイエー会長兼社長1998年1月9日撮影

    ビール業界の「既得権益」

    1990年代、ビール業界は大変動の真っ只中にあった。

    太平洋戦争開戦前夜の1938年に免許制になって以来、ビールは販売免許を持つ酒販店が独占販売していた。

    しかも定価販売が義務付けられ、値引き販売はできなかった。

    こうしたガチガチの規制によって守られたビール業界では、メーカー、卸、小売りの三者が、限られた利益を分けあう構造が定着していた。

    利益の取り分は、メーカー、卸、小売りが「7対1対2」の割合だった。これが建値(たてね)制と呼ばれる仕組みである。

    一見メーカーの利益が大きいように見えるが、日本の高い酒税を支払うのはメーカーのため、見た目ほどうまみはない。

    米国の要求により自由化

    こうした構造は、高度成長期を通じて維持されていた。

    だが、80年代になると、ビール業界にも規制緩和の波が押し寄せる。

    「第2臨調(土光臨調)」「新行革審」が酒類販売の自由化を答申すると、国税庁は89年6月に「酒類販売業免許等取扱要綱」を改正。これによって酒類販売は段階的に自由化されることになった。

    ちなみに、すべての地域において酒類販売が自由化されたのは2006年である。

    販売免許とは別の分野でも、大きな変化が起きつつあった。

    80年代に対米貿易黒字が増加したことで、米国との貿易摩擦が深刻化していた。「双子の赤字」に苦しむ米国は、日本の内需拡大と、市場の開放を日本政府に要求。日米安保条約を軸に国防を米国に依存する日本政府は、米国の強硬姿勢に屈することになる。

    その結果、玩具販売の「トイザらス」といった米国の小売り企業が、日本国内で活動しやすくなるように、大規模小売店舗法が改正される。

    出店の規制が緩和されたことで、米国企業のほか、国内大手流通のスーパーやショッピングモールなど大型店舗の出店が可能になった。

    この影響は大きく、かつて日本各地にあった「地元の商店街」は続々と姿を消してゆくことになる。

    酒販免許の自由化に加え、大型店舗の規制緩和によって、ビール業界の構造にも大きな変化が起きていた。

    かつてビールは免許を持った酒販店でのみ販売されていたが、いまや販売の中心はスーパーやコンビニといった小売りチェーンへと変わってしまった。

    その結果、かつて予想もしなかったような問題が巻き起こる。

    日本初のPB商品

    93年12月、当時スーパー最大手だったダイエーは、ベルギーから直輸入したビール「バーゲンブロー」(330ml缶)を、消費税別128円で発売した。

    PB(プライベートブランド)のはしりである。

    「スーパードライ」や「一番搾り」といった日本のビールは、350ml缶で同220円だったが、その半額近い低価格だった。

    バブル崩壊後、規制緩和と市場開放が急速に進んだ日本では、規制でガチガチに守られていた業界に、新規参入が相次ぐ。

    その結果、さまざまな分野でそれまで考えられないような低価格商品が投入されていた。「価格破壊」が流行語になったほどだった。

    ダイエーのPB「バーゲンブロー」は、そうした「価格破壊」の象徴的な存在となる。

    一方、財政難に苦しむ政府は、翌94年5月にビール税を増税。

    それにともない、ビール大手4社は一斉にビール価格を引き上げる。大瓶(633ml)は10円値上げして税別330円に、また350ml缶は同225円となる。

    増税時、大手4社は足並みを揃えて値上げするのが通例だった。

    ところがダイエーは大手メーカーの通例には従わなかった。

    94年4月、大手メーカーの値上げを狙い撃つかのように、ダイエーは大手4社のビールを逆に値下げしたのである。

    それまで税別213円で売っていたビール4社の350ml缶は、198円になり、「ダイエーショック」とも呼ばれる。

    ダイエー以外の大手スーパーも、この動きに追随、ラガーやスーパードライ、黒ラベルなどを値下げしていく。

    90年代に入り酒販免許が自由化されたことで、酒のディスカウントストアー(DS)が登場、一大勢力として台頭しつつあった。

    ダイエーを筆頭に大手スーパーが値下げ競争に踏み切ったのは、こうしたディスカウントストアーへの対抗策という側面があった。

    こうした変化の中で、キリンの収益構造は「破壊」されていった。

    「ダイエーショック」を境に、ビールは「一物一価」ではなくなる。そうすると、酒販店での定価販売や、建値制といった、ビール業界の既得権構造も崩壊するほかなかった。

    それまでメーカーが持っていたビールの価格決定権は、代わりにスーパーやコンビニといった大手小売りが握るようになる。

    街の酒屋は競争力を失い、コンビニへの業態転換が相次いだ。

    酒屋が配達していたころ、ビールのブランドを気にする消費者は少なかった(主にキリンのラガーが配達されていた)。

    だが、スーパーやコンビニで好きなビールを気軽に買えるようになると、消費者の行動は一変する。

    消費者はビールの価格を他の商品と比較したうえで、気に入ったブランドの商品を選んで買うようになったのである。

    その際、消費者に選ばれた缶ビールが、「スーパードライ」であり、前田の「一番搾り」だったのだろう。

    90年代にはこうした構造変化を背景にしたヒット商品が少なからずあった。

    93年発売の軽自動車スズキ「ワゴンR」や、94年発売のホンダ「オデッセイ」といった、トランクが広いクルマが相次いでヒットするが、これは大店法の改正で増加した大型商業施設に車で買い物に行く消費者が増えたことと無関係ではないだろう。

    発泡酒の登場

    ビール業界の規制緩和はさらに続く。

    同じ94年、メーカーの最低生産数量が緩和される。これによって、「地ビール」、すなわち現在のクラフトビールが登場する。

    また、当時は業界4位に沈んでいたサントリーが、94年10月に、本邦初となる発泡酒を静岡限定で発売したことも、ビール業界の大きな変化を象徴していた。

    酒税が安いため、サントリーの発泡酒「ホップス」は350ml缶で税込180円という低価格だった。

    バブル崩壊後の不況が長引くなか、発泡酒による低価格戦略が功を奏し、サントリーは徐々に持ち直していくことになる。

    94年のビール類市場(ビールの出荷量と発泡酒の販売量)は、当時としては過去最高となる5億7321万5955箱(1箱は大瓶20本=12.66リットル)を記録。

    「スーパードライ」発売前年の1986年時点の3億8866万箱と、最盛期の94年時点の販売量を比較すると、8年間で5割も拡大している。

    だが市場の拡大はそれ以上は続かなかった。

    「コロナ前」の2019年時点の販売量は3億8468万箱。94年時点の販売量と比べ、31%強も縮小している。

    「平成」のあいだに、ビールの市場規模は、「昭和」のサイズに戻ってしまうのである。

    初のPV商品が失敗した理由

    ちなみに、ダイエーの「バーゲンブロー」はその後「大失敗」に終わってしまう。

    需要予測を誤り、大量の在庫を抱えたこと、醸造酒であるビールを、赤道を2回超える過酷なルートの船便で運ばざるを得ないため、味が劣化していたことなどがその理由である。

    ただ、「バーゲンブロー」は時代を先取りした先駆的な試みだったのは間違いない。

    2010年前後より大手流通チェーンは、PBビール類を続々と発売することになるのだから。

    筆者は発売前の「バーゲンブロー」を飲んだことがある。

    1992年5月、場所は当時大田区田園調布にあったダイエー創業者の中内功(正式表記:力→刀)会長兼社長の自宅だった。

    それは中内によるリクルート株の取得を、毎日新聞がスクープした日の夜のことだった。

    当然ながら中内の家には筆者を含めた夜回りの記者が押しかけていたが、中内は冷蔵庫から「バーゲンブロー」を出して、記者たちに振る舞ってくれたのだ。

    ちなみに余談だが、その場になぜかスクープを抜いた毎日の記者もいた。既に書いてしまっていたのに、毎日の記者が来ていたのが意外だった。筆者がその記者に「どうしてここにいるの?」とボソボソとたずねたところ、「あれは大阪本社が抜いたネタだから、自分には関係ないので……」と、歯切れの悪い説明をしていたのを記憶している。

    さて、その時飲んだ「バーゲンブロー」だが、一口飲んで筆者は「うまい」と思った。

    他の記者が「おいしいです」と言うと、中内は嬉しそうな顔を見せた。

    この日出されたビールはおそらく空輸されたものだっただろう。

    この夜の中内は機嫌がよかったことを覚えている。もしかすると、初めてのベルギービール「バーゲンブロー」を飲んだ記者の反応を観察するつもりで振る舞ったのかもしれない。中内は感情の起伏が激しいタイプで、朝令暮改は日常茶飯事だった。何事も恐れずまずはやってみようというスタイルの経営者だった。

    グローバル経済の時代へ

    「なぜ、ベルギービールを中内が振る舞ったのか」に当時の筆者が思い至っていれば、「ダイエーが海外産PBビールを新発売」というスクープを手に入れていたかもしれない。

    ただ、その夜筆者の関心は完全にリクルート株の取得と、リクルートにダイエーから誰を送り込むのかに向いており、スクープを抜くことはできなかった。世の中うまくいかないものである。

    経営者としての中内の代名詞は「価格破壊」。

    パナソニック創業者の松下幸之助と対立しながら家電製品の安売りに乗り出したり、安売り洗剤を販売するなど、生涯にわたって「価格破壊」に挑戦し続けた経営者だった。

    ただ、中内が最後に狙っていたのは、長年にわたって岩盤規制で守られていたビールの価格破壊だったように思えてならない。

    ちなみにバブル崩壊の引き金となった「総量規制」によって、不動産価格が下落したことで、ダイエーやそごう(当時)といった大手流通チェーンはダメージを受けてしまう。

    不動産価格の上昇を見込んで、店舗展開を進めていたからだ。

    その上、95年1月に阪神淡路大震災が発生すると、ダイエーの一大拠点である神戸の店舗が被災、このダメージが経営を直撃する。

    その後ダイエーの経営は急速に悪化、中内自身も志半ばで経営を離れる。

    ちなみに「バーゲンブロー」は、ベルギーのインターブリューが生産していた。90年代半ば以降、M&A(企業の合併買収)を繰り返し、世界NO1の巨大ビール企業となっていた。

    08年に「バドワイザー」を生産する米国のアンハイザー・ブッシュ社を、約5兆8000億円で買収、アンハイザー・ブッシュ・インベブ(ABインベブ=本社はブリュッセル)となる。

    16年には、当時世界2位だった英SABミラーを約10兆1000億円で買収し、世界シェアは約3割まで拡大する。

    ただ、94年当時はインターブリューとキリンの生産量は拮抗していた。

    インターブリュー(ABインベブ)の成功は、ベルギーという小さな市場を見切り、世界市場へと打って出たことにある。各国の中央銀行が金融緩和を実施する中、世界的な「カネ余り」が発生、それを背景にM&Aを繰り返したことが大きな要因だった。

    一方、キリンはABインベブとは180度違う選択肢を取る。

    その頃日本国内では、ビール大手4社の商戦が熾烈を極めていた。キリンは国内の”ビール戦争”に集中、海外投資にはあまり積極的ではなかった。

    そんな中、キリンは「痛恨のミス」を犯してしまうのである。

    永井 隆(ながい・たかし)1958年生まれ。フリージャーナリスト。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動を行う一方、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。 主な著書に『移民解禁』(毎日新聞出版)、『アサヒビール30年目の逆襲』『サントリー対キリン』『EVウォーズ』(日本経済新聞出版社)、『究極にうまいクラフトビールをつくる』(新潮社)など。

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