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「本当はもっと売れている!」「ライバル社は水増ししている!」……「キリンの天皇」がアサヒに仕掛けた「不正疑惑」の真実

    一番搾り開発関係者の社長賞表彰式。前列左から2番目が福山紫乃氏、前列左から4番目が前田仁氏、前列中央が本山英世社長、2列目右から3番目が舟渡知彦氏、4番目が望月寿城氏、7番目が島田新一氏
    一番搾り開発関係者の社長賞表彰式。前列左から2番目が福山紫乃氏、前列左から4番目が前田仁氏、前列中央が本山英世社長、2列目右から3番目が舟渡知彦氏、4番目が望月寿城氏、7番目が島田新一氏

    「一番搾り」大ヒットで息を吹き返す

    「ふざけるな! どうして品切れなんだ」

    「一番搾り」を少ししか割り当てられないことを、キリン北陸支社で営業を担当する上野哲生が告げると、問屋はそう言って激怒したという。

    「一番搾りは一番搾り麦汁しか使っていない、贅沢なビールです。二番搾り麦汁を使わない分、他のビールよりも生産量は少ない。生産が追いつかないのですよ」

    問屋にはこんな説明で納得してもらうしかなかった。もちろん、在庫が足りないのは予想外の急激な出荷増によるもので、「一番搾り」の特性によるものではない。方便もいいところだった。

    「ラガー」全盛期には、問屋から商品を熱望されることは日常茶飯事だった。だが近年は「スーパードライ」の猛追で、こういうことは絶えて久しい。

    「一番搾り」の発売と大ヒットによって、大きく潮目が変わった。キリンの営業現場はそれまでの劣勢から一転して攻勢へ転じていく。

    87年に東京大学経済学部を卒業しキリンに入社した上野哲生は、岡山工場労務課に3年間勤務した後、90年3月に北陸支社へ異動する。

    それ以降、上野は富山県をテリトリーとして営業活動を始める。

    「営業の先輩からは、『アサヒに押されて防戦一方だ。苦しいぞ』と聞かされていました。ところが、異動と同時期に一番搾りが発売され、これが売れに売れたので、思ったよりも楽でした。むしろ一番搾りが品切れ状態になって、流通対応が大変でした」

    上野は問屋も酒屋も担当するいわゆる地域営業だった。ただ彼がどこに行っても、「一番搾りを、一本でも多くもってきてくれ」と要請されたという。

    当時、京都工場の技術部門にいた松沢幸一は言う。

    「90年、91年と、一番搾りのヒットによって工場はフル操業だった。生産現場の負担は大きかったけれど、メンバーの士気は高まり、増産に応えていました。ヒット商品は会社を変えます」

    ちなみに松沢と前田仁は、73年の同期入社である。

    一番搾り発売当時の新発売用お得意先向けリーフレット(キリンビール提供)
    一番搾り発売当時の新発売用お得意先向けリーフレット(キリンビール提供)

    社長賞受賞も、功労者は左遷……

    モノをつくるメーカーは、自分たちが生み出す製品や技術でしか、変わることはできないとも言える。

    「一番搾り」は発売初年度の90年に3562万箱(1箱は大瓶20本=12・66リットル)売る大ヒットとなる。

    このヒットが牽引し、キリンの90年の販売数量は前年比10・5%増の2億5500万箱に拡大する。この年2桁増を果たしたのはキリンだけだった。

    ちなみにビール大手4社の合計販売数量は同8・2%増の5億1293万2000箱だった。

    結果、販売数量の業界平均を超えたキリンだけがシェアを伸ばす。

    前年の89年に48・8%と22年ぶりに50%を割ったキリンは、0・9ポイント上げて49.7%に拡大。

    アサヒは販売量を7・4%伸ばしたものの、シェアは0・3ポイント落として23・9%に終わる。「スーパードライ」を発売した87年以降でシェアダウンは初めてだった。

    「たかがシェア1%未満の変動じゃないか」と思われるかもしれない。

    ただ、侮るなかれ。90年のビール市場シェア1%は、人口約1億人強(1億259万人)が大瓶(633ミリリットル)を一斉に飲み干した量に匹敵する。

    シェアで見るとたった0・1ポイントでも、販売数量で見ればきわめて大きな数量になる。「たかが1%、されど1%」の世界で、ビール4社は戦っていたと言えよう。

    キリンが90年にシェアアップした原動力は、「一番搾り」に他ならなかった。

    これが評価され、リーダーの前田をはじめとする「一番搾り」開発チームは、当時の本山英世社長から社員表彰、いわゆる社長賞を獲得する。91年6月のことだった。

    前田仁は、このとき41歳。働き盛りのサラリーマンが手にした栄光だった。

    社長賞受賞によって、前田仁の名前はキリン社内で有名になっていく。

    しかし、当の前田は1990年3月、「一番搾り」発売と前後して、マーケティング部の新商品開発チームリーダーから、閑職のワイン部門へ異動させられていた。

    この思いがけない異動により、働きざかりのはずの前田に、突如雌伏の日々が訪れる。

    しかし前田は異動によって腐ることはなかった。

    前田は独学でワインの勉強を始める。ブドウ品種や産地、テロワール(畑の地形などの生育環境)、料理との相性、歴史などについて、ゼロから勉強していった。

    前田がつくった「一番搾り」が、巨大なヒットとなっていくのを、横目で眺めながら。

    1994年の一番搾りポスター。緒形拳を1990年の発売当初から使ったのは、「親しみやすさ」を求めたため
    1994年の一番搾りポスター。緒形拳を1990年の発売当初から使ったのは、「親しみやすさ」を求めたため

    ビール業界を揺るがした「シェアは水増し疑惑」

    一方、91年のビール商戦は、前年の流れのまま、キリン優位で推移する。

    アサヒは「スーパードライ」に代わる大型新商品として3月に「Z」を発売したものの、不発に終わってしまう。

    キリン社長の本山は、90年3月に3期6年で本当は退任する予定だった。しかし、89年のシェア50%割れを憂い、1期2年の続投を決めていた。

    捲土重来(けんどちょうらい)を期して続投した本山にとって、キリン復活こそ至上命題。復活の基準となるのは当然、シェア50%を回復すること。

    ところがアサヒは予想外の粘りを見せる。「スーパードライ」のお歳暮ギフトや、忘年会の飲食店需要を取り込み、予想以上に健闘。年末を迎えた段階でキリンのシェア50%確保が微妙な状況となった。

    ビールの年間シェア争いは過熱し、社会現象にまでなっていた。91年の年末からお正月休暇を挟み、92年の年初にかけて、とある問題が持ち上がる。

    この頃、新聞各紙はビール4社のシェアを毎月掲載していた。

    そのシェア算出のもとになるデータは4社が月初に公表する、自己申告の販売数だった。

    このためキリンは「ライバル社が水増し申告している。本当のキリンのシェアはもっと高い」と、暗にアサヒを批判する。

    キリンを除く3社のなか、最もシェアが高いのはアサヒだった。それゆえアサヒの申告数値はキリンのシェアに大きな影響を与えていた。

    特にキリンは「アサヒの月末の取引量が跳ね上がっているのが怪しい」と指摘していた。12月末の大晦日は休暇の最中であり、キリンの懸念にも一応の理はあった。

    年明けの92年1月6日。大手4社はそれぞれ、91年の年間販売数量を発表した。翌7日の新聞各紙は、キリンのシェアが49.9%だったと報じる。

    しかしキリンは「自社集計では50・1%で、目標を達成した」という主張を繰り返していた。

    キリンのこうした動きを、一部の新聞が「ビール業界、シェアを巡り”場外乱闘”」「背景にキリンのトップ人事・50%花道に社長勇退」などと、本山の写真入りで面白おかしく報道してしまう。

    ビール4社は事態を深刻に受けとめ、業界団体のビール酒造組合(このときはアサヒビール社長の樋口廣太郎が会長)が協議する。

    その結果、92年から従来の自己申告を改め、酒税算出のもとになる工場出荷量の「課税移出数量」(課税出荷量)を公表するよう変更された。

    また同組合に加盟する沖縄のオリオンビール(91年は出荷ベースのシェア0・8%)も、シェア公表の対象企業に加わった。

    91年の本当のシェアはどうだったのだろうか。

    4社が自己申告で報告する販売数量は、1000箱以上の単位だった。しかも、一斉発表ではなく、各紙が個別に問い合わせた情報だった。

    こうした理由で、四捨五入などによって、各紙で微妙な差が出るケースもあった。

    そこで、キリン自身がその後公表した1リットル単位の課税移出数量で、オリオンを除く4社のシェアを改めて計算してみると、キリンのシェアは49・95%。ほんの僅かだが50%には達していなかった。

    92年1月9日、農水省3階の農政クラブに、マスコミ嫌いの本山が姿をみせた。

    社長在任期間が8年にも及んだ自身の退任会見と、新社長のお披露目の会見も兼ねていた。

    会見で本山は次のような発言をした。

    「シェア50%に関して、(メディアの)みなさんをお騒がせさせたが、私は何も指示していません。部下たちが、私を思うあまり動いたことです」

    さらに、本山に続き登壇した新社長は、各メディアが予想もしなかった、意外な人物だった。

    永井 隆(ながい・たかし)1958年生まれ。フリージャーナリスト。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動を行う一方、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。 主な著書に『移民解禁』(毎日新聞出版)、『アサヒビール30年目の逆襲』『サントリー対キリン』『EVウォーズ』(日本経済新聞出版社)、『究極にうまいクラフトビールをつくる』(新潮社)など。

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