「医療的ケア児」ルポを出版 野辺明子 「先天性四肢障害児父母の会」元会長/10
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たんの吸引など日常的な医療的ケアが欠かせない子どもは日本に約2万人いるとされる。野辺明子さんは、そうした「医療的ケア児」の日常を丹念に取材し、『命あるがままに』として出版した。執筆に込めた思いなどを聞いた。
(聞き手=井上志津・ライター)
「家族は話し出すと止まらない。私も同じだった」
「あなた1人じゃない。きっと仲間はいます。どんなに小さくてもいいから仲間と出会うために声を上げてください」
── 「医療的ケア児」6人とその家族を取材した『命あるがままに』(中央法規出版)を昨年12月に刊行しました。本を書いたきっかけを教えてください。
野辺 「医療的ケア児と家族をテーマにした本を書きませんか」と出版社から提案がありました。医療的ケア児とは人工呼吸器やたんの吸引などの「医療的ケア」が常に必要な子どものことで、 会長を務めた「先天性四肢障害児父母の会」の会員にも医療的ケア児に該当する子がいたので、ちゅうちょなく引き受けました。ただ、取材に協力してくれる人がいるのかどうかが不安でした。匿名ではなく実名で登場してほしかったので。(情熱人)
── 実名にこだわったのはなぜですか。
野辺 どこどこに何々ちゃんが、お母さん、お父さん、きょうだいと一緒に暮らしていますよ、という普通の生活リポートにしたかったからです。たまたま病気や障害があるために医療的ケアが必要なだけであって、あなたの街の身近なところにもこうした家族がいるかもしれない。散歩の途中であいさつできるといいですね、という本にしたかった。病名を記載したのも、その病独自の疾患の現れ方や生活の苦労があるため、必要だと考えました。そうした希望を受け入れた6家族が登場してくれました。
厚生労働省によると、日本の医療的ケア児は現在、全国に約2万人いると推計される。小児医療の進歩により、超未熟児や先天的な疾病を持って生まれた子どもも、NICU(新生児集中治療室)に長期入院したりすることで、命が助かるようになった。ただ、退院後もたんの吸引や経管栄養(のどを経由せず体外から必要な栄養を注入する胃ろうなどの措置)が必要な子どもは少なくなく、そうした医療的ケアを家族が担ってきた。
医療的ケア児はこの10年で倍増しているとされ、野辺さんの著書でも超低出生体重児として生まれた後、人工呼吸器をつけて退院した子、出生前に先天性水頭症と診断された子、人工呼吸器をつけたまま大学を卒業し、社会人として活躍する先天性ミオパチー(先天的に筋力が弱い難病) の青年ら6人が登場し、家族との生活ぶりが紹介されている。小児在宅医療の専門家である前田浩利さんが解説を担当した。
書き上げるまで3年
── 取材を通して印象に残ったことは?
野辺 皆さん、自分たちに育てられるか、初めは自信がなかったとおっしゃっていました。それが、例えば夜間に何度も吸引が必要で熟睡できず、ダウン寸前の生活の中でも、ちょっとした赤ちゃんの表情の変化に成長の兆しを見いだして、子育ての楽しさや喜びを感じるようになったと。健常児の子育てと同じですよね。お話を聞くたび、すごいなあと脱帽しました。小児在宅医療の医師や訪問看護師、訪問リハビリテーションのスタッフなど、さまざまな人たちが関わって支えていることにも胸を打たれました。そういう意味では、健常児の子育ての環境よりも人のつながりは濃密だなとも感じました。
── 2018年1月に取材を開始し、書き上げるまでに3年かかったそうですね。
野辺 ご家族が伝えたいと思っていることをきちっと文章にできているか、気になりました。ご家族はいったん話し始めると、これも話したい、あれも話したいという感じ。私も娘が右手指欠損で生まれた時、同じ気持ちだったことを思い出しました。この苦しみをこの人は分かってくれるのだろうかと、最初は話す相手を選びましたからね。お母さんやお父さんたちが思いの丈をざっくばらんに話せる場が、もっとあるといいなと思いました。
野辺さんの長女は1972年、右手の指がない障害を持って生まれた。75年、3歳になった感慨をつづった文章を毎日新聞に投稿したのがきっかけで同じ悩みを抱えた家族が集まり、同年夏に「先天性四肢障害児父母の会」を結成。野辺さんは会長となった。95年に会長を退いた後も、執筆活動などを通じて障害児や障害者の支援活動に携わっている。…
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週刊エコノミスト
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