週刊エコノミスト Online

消費者はなぜ「安物」を嫌うのか……キリン「淡麗」開発秘話

    キリン初の発泡酒「淡麗」は、1998年2月25日に発売された。現在も売っているロングセラー
    キリン初の発泡酒「淡麗」は、1998年2月25日に発売された。現在も売っているロングセラー

    「天才」の帰還

    たった4カ月で、開発が難航する発泡酒の新商品を開発する――

    そんな難題に答えを出せるのは、「あの男」しかいなかった。

    中期経営計画発表直後の97年9月末。

    キリン社長の佐藤は、前田仁を子会社のキリンシーグラムから呼び戻した。

    「一番搾り」の大ヒットという実績を買った佐藤は、発泡酒の商品開発を急ぐため、前田に賭けたのである。

    前田仁はキリンビールのマーケティング本部商品開発部長に就任する。

    96年に佐藤がビール事業本部を解体し、名前こそ「商品開発部」へ変わっていたが、かつて前田が辣腕を振るった「マーケティング部」に戻ってきたのである。しかも部長として。

    キリンの人事制度では、職能資格の「理事」に昇格しなければ、部長には就けない。だが前田の職能資格は「副理事」。本来、部長にはなれない。

    佐藤はそれまでの人事の秩序を超え、強引に副理事の前田を部長に据えたのだ。

    キリンの通常の人事異動は春と秋。ただ、ラインの部長の場合は春に異動するのが通例だった。

    なのに前田の異動は秋。しかもいきなり50人もの大所帯である商品開発部のトップとして戻ってきた。この異動がいかに特別扱いだったかが分かる。

    ちなみに、成果給の部分を除けば、前田は当分のあいだ副理事の基本賃金のまま、部長の仕事を担うことになった。ただそれも半年後の98年春には無事に理事へと昇格する。

    部長に就いた97年9月、前田は47歳。当時のキリンで40代の部長は前田ただ一人だった。

    子会社への「左遷」から一転、本社の「最年少部長」になったのである。

    キリン商品開発部のマーケターたちは、戻ってきた前田を熱狂的に歓迎した。

    前田は戦後のキリン最大のヒット商品「一番搾り」の開発者である。

    商品開発部にとって、いやキリン全体にとって、前田は唯一無二のヒットメーカーだった。

    できる人間を使う

    前田が商品開発部長に着任したばかりの、97年10月初め。

    入社11年目の上野哲生も、この秋に商品開発部へ異動したばかりだった。

    その上野は、同じく部長に着任したばかりの前田の席へ行くと、次のように挨拶した。

    「リサーチから商品開発部に今日から異動になりました、上野と申します」

    「ハァ、そうか。まぁ、宜しく頼むわ……」

    デスクに座ったまま、読んでいた資料から目を上げると、前田はそう素っ気なく返事をした。

    その様子を見て、上野は不安に思ったという。

    「自分はあまり期待されていないのかと思いました」

    前田の印象を、上野は次のように語る。

    「背が高く、身体も細い。まるで鶴のようでした。髪は短く刈り上げていたので、少し怖そうな感じもありました。最年少部長という肩書もさることながら、雰囲気からして前田さんは異彩を放っていました。キリンにはあまりいないタイプでした」

    印象だけではなかった。実際、前田は厳しく怖い部長だった。

    時には、「ドアホウ!」と怒鳴りつけられることもあったという。

    ただ、前田はただ怖いだけの上司ではなかった。ひとたび仕事を離れると、「人間」の部分を垣間見せることもあった。

    酒が入ると、前田はよくぼやいていたという。

    「こう見えて俺は苦労しとんのや」

    90年3月にワイン部門へ「左遷」され、93年3月には子会社のキリンシーグラムへ出向している。

    部長として戻ってきたのも、発泡酒開発という困難な仕事をあてがうため。しかも当分のあいだは副理事の立場で部長より安い基本給で働くことになる。

    上野の目から見ても、前田はいかにも苦労が多そうだった。

    別の酒席では、部下たちに「ウチは子供が3人おる。稼がないと、大変なんや」と、本音を吐露していた。

    一方の上野はピカピカのエリートだった。

    千葉県出身の上野は東京大学経済学部を卒業したのち、87年にキリンに入社。岡山工場労務課に3年間勤務し、その後営業として富山で6年半を過ごす。

    96年秋に本社へ戻ってくると、消費者調査の実施や分析を担当するリサーチ部門に所属。

    前田が商品開発部の部長に就任すると、上野も商品開発部へ異動。「一番搾り」チームでマーケターとしての第一歩を踏み出していた。

    この二人の出会いが、いずれキリンを震撼させる大事件につながるとは、この時はまだ誰も予想できなかった。

    「発泡酒の商品開発は、死屍累々(ししるいるい)でした」

    上野はそう当時を振り返る。

    複数のチームが発泡酒の商品開発に取り組んでいたものの、うまく進んでいるものは皆無にひとしかった。

    マーケティング部に復帰した前田は、さっそく次のように呼びかけた。

    「発泡酒でも基本は同じだ。『一番搾り』の発泡酒版をつくろう」

    開発チームのメンバーは「一番搾り」開発チームで唯一マーケティング部に残っていた舟渡知彦のほか、和田美郎、キリンシーグラムから前田が連れてきた和田徹らが集まった。

     キリンに限らずメーカーにとって新商品開発は最重要ミッションであり、マーケ部は多くの社員が異動を希望する花形の部署である。しかも、会社の命運が掛かる大型商品の開発に、子会社の社員を抜擢するのは異例だった。しかし、前田は「できる人間を使うのは当然」と意に介さなかった。

    「没ネタ」を活用

    例によって、前田はまずコンセプト作りから始めた。

    しかし、発泡酒発売のメドである98年年明けまで、4カ月を切っている。「一番搾り」の時のように、ゆっくり時間をかけてコンセプトを検討する余裕はない。

    そこで前田が活用したのは、キリンシーグラム時代の「没ネタ」だった。

    前田が出向していた間、キリンシーグラムでは「ボストンクラブ豊醇原酒」というウイスキーを発売していた。

    ただこの時、商品化しなかったもう一つの新商品があった。

    その幻の新商品のコンセプトこそ、「淡麗」そのものだったのである。

    「ボストンクラブ豊醇原酒」は、「豊かなコクと味わいの酒」というコンセプトで、まずまず売れたウイスキーだった。

    一方、前田をはじめとするキリンシーグラムのマーケティング部隊は、まったく逆のコンセプトも作っていた。

    「すっきりした味わいの酒」あるいは「アッサリしているけれど、水っぽくない酒」というのがそれだった。

    「豊かなコクと味わいの酒」に比べ、「すっきりした味わいの酒」というコンセプトは、むしろ「万人受け」が期待できた。

    「スーパードライ」以降、ビールの売れ筋は「苦くないライトビール」だった。

    「脂っこい料理にあう、さっぱりしたビール」こそ、消費者が求める味だった。

    「すっきりした味わいの酒」は、おそらくそれを念頭に置き、マス層を狙うためのコンセプトだったのだろう。

    マーケティングの本質

    そもそも発泡酒の流行は、バブル崩壊にともなう、消費者心理の冷え込みによる要素は大きかった。

    リストラに怯えるサラリーマンは、少しでも安いビール系飲料を求めた。

    発泡酒はその性質上、麦芽の使用量を大幅に落としている。代わりに糖化スターチを使うなど、美味しさを落とさない工夫が施されていたものの、かつての「ラガー」や「麦芽100%の本格派ドイツビール」の重厚感は、どうやっても再現不可能だ。

    だったら、それを逆手にとればいい。前田はそう発想したのである。

    「スーパードライ」発売当初、キリン社内はこう言っていた。

    「あんな水っぽいビールが売れるはずがない」

    だが予想に反して、いまや「スーパードライ」は「ラガー」を圧倒していた。キリンはシェア1位の座を明け渡すところまで追い詰められている。

    一方、発泡酒ブームを前に、キリン社内では次のように言っていた。

    「発泡酒はビールではない。まがいものだ」「胡散(うさん)臭い。品質は大丈夫か」「アサヒに負けたらどうする」…。」

    キリンの人間は、ビールのプロだ。キリン社内の意見は、「ビールのプロ」らしい意見である。

    もちろん、プロの意見が間違っているというわけではない。

    問題は正しいか間違っているかではなかった。

    消費者の感覚と一致しているかどうか、そこにあった。

    一般の消費者は「ビールのプロ」ではない。

    それゆえ、消費者の意見は、往々にして、「ビールのプロ」の意見とはズレる。

    こうした「ズレ」を捉えることこそ、消費者理解の核心であり、ヒットを生むコツだ。

    前田はそう捉えていた。

    「淡麗」というネーミングに、そうした前田の狙いが最高度に発揮されている。

    「発泡酒は本来使うべき麦芽をケチった、安いビールだ」

    キリン社内の人間も、当時の消費者も、発泡酒のことをこう考えていた。

    その一方で前田は、「消費者は『安物』を求めていない」ことを見抜いていた。

    「安売り王」ダイエーの「バーゲンブロー」をはじめ、「安いだけのビール」は軒並み大失敗に終わっていた。

    消費者は確かに安いビールを買っている。

    だが、「安物」を買いたいわけではない。

    「お得な商品」を買いたいのだ。

    「ビールにあまりお金をかけたくないが、できるだけ本格派のビールが飲みたい」

    それが当時の消費者心理だと、この時の前田は洞察していたのである。

    前田はあえて、「淡麗」という、カジュアルさを排した漢字2文字の商品名を採用する。

    「淡麗」のネーミングを決める際、前田は次のような消費者調査を行っている。

    中身は同じだが、「カジュアルな商品名」の発泡酒と、「淡麗」のラベルの発泡酒の2種類を飲み比べてもらい、それぞれ「飲みたいかどうか(飲用意向)」「買いたいかどうか(購買意向)」をたずねたのである。

    その結果、「カジュアルな商品名」の発泡酒は、飲用意向、購買意向ともに振るわなかった。

    一方、「淡麗」のラベルを貼られた発泡酒は、飲用意向、購買意向、ともに満点だったのである。

    中身は同じにもかかわらず、ネーミングによって消費者の受ける印象が大きく違う。

    「完璧」と言っていいほど、予想通りの調査結果を前に、前田は会心の笑みを浮かべていた。

    永井 隆(ながい・たかし)1958年生まれ。フリージャーナリスト。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動を行う一方、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。 主な著書に『移民解禁』(毎日新聞出版)、『アサヒビール30年目の逆襲』『サントリー対キリン』『EVウォーズ』(日本経済新聞出版社)、『究極にうまいクラフトビールをつくる』(新潮社)など。

    インタビュー

    週刊エコノミスト最新号のご案内

    週刊エコノミスト最新号

    1月25日号

    投資、保険、相続まで お金の王道Q&A16 「資産形成」を高校家庭科で 大人も人生を考える好機に ■中園 敦二18 インタビュー 村上世彰氏 投資家「お金は道具、決めるのは自分 それを伝えるのが金融教育」 19 Q1 「投資」と「ギャンブル」の違いは? お金を投じる目的で考える ■愛宕 伸康 [目次を見る]

    デジタル紙面ビューアーで読む

    おすすめ情報

    編集部からのおすすめ

    最新の注目記事