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「プレミアムな価値をスタンダードな価格で」キリン「淡麗」が大麦にこだわった理由

    淡麗は部長になった前田仁が半年でつくりあげた
    淡麗は部長になった前田仁が半年でつくりあげた

    「うまみ」を追加する

    こうして「淡麗」のネーミングが決まった。

    ただ、問題は中身だった。

    発泡酒市場ではサントリーとサッポロが先行していた。

    キリンはビールではシェアNO1だが、発泡酒では後発組に過ぎない。

    2社を逆転するためには、先行する商品にはない「新しい価値」が必要になってくる。

    「何かええ方法はないか」

    前田は技術部門に質問をぶつけた。

    「すっきりした味わいの酒」というコンセプトに合う、新しいアイディアが欲しい。

    麦芽の使用量を減らし、ライトな味に仕上げつつ、消費者が納得するような「本格感」を残したかった。

    前田の呼びかけに答えて、キリンの技術部門はあるアイディアを投げかえしてきた。

    それが、「副原料に大麦を使う」という提案だった。

    ビールと違い、発泡酒は原料に占める麦芽比率が低い。

    そのため、麦芽100%ビールや「ラガー」のような「コクと味わいの酒」を目指すのは無理があった。

    コクや味わいの元となる「うまみ」成分は、麦芽に含まれるタンパク質やアミノ酸に由来する。麦芽を減らせばその分「うまみ」も減ってしまう。

    しかも発泡酒では、麦芽比率が低い分、原材料の糖化を徹底させてアルコールを得る。

    そのため、たくさん糖を食べる「食いしん坊」の酵母を使うことになる。

    そうした「食いしん坊」の酵母は、「糖化液」の糖をほとんど食べ尽くしてしまう。

    そうした工程を経た、「発酵度が高い」発泡酒には、「うまみ」もほとんど残っていない。

    逆に「コクと味わいの酒」である麦芽100%ビールでは、発酵度を抑えて原材料のうまみを残している。そもそも、糖化時間を短くして原材料のエキス分をできるだけ残している。

    「糖化スターチ」を主原料とする発泡酒にはこうした「弱点」があったのである。

    そこでキリンの技術部門が提案したのが、大麦を加える方法だった。

    ビールに使う麦芽は、もともと大麦を発芽させて乾燥し、根を切除したもの。

    そのため、粉砕した大麦を加えることで、麦芽由来の「うまみ」を補うことができる。

    ただし、大麦そのものは通常のビール作りでは使わない。そのため調達が難しく、値段も高かった。

    しかも、工場での取り扱いが難しいという問題もあった。

    それでも前田は、「淡麗」には大麦を使うことにした。

    国産のビール大麦を調達し、工場には大麦用の粉砕機を新たに導入する。

    そうまでして、発泡酒の「新しい価値」を作ろうとしたのである。

    原価をあえて上げる

    「大麦を使った淡麗は、『本格感』のある味になりました。どういうことか。『淡麗』は従来の発泡酒とは違うカテゴリーの酒になったということです」

    02年4月に筆者が取材した際、前田はこのように発言していた。

    ここに、前田のヒット商品に共通する「特徴」がある。

    麦芽100%で、しかも専用のグリーンボトルを使った「ハートランド」(86年)、一番搾り麦汁だけを使う「一番搾り」(90年)、そして高コストな大麦を使った「淡麗」(98年)と、いずれも前田は「プレミアムな価値」を「スタンダードな価格」で提供することにこだわっている。

    「一番搾り」の開発時、前田のチームは、次の「ヒットの5つの条件」をあげていた。

    ①企業の思い入れ

    ②オリジナリティー

    ③本物感

    ④経済性(お得感)

    ⑤親しみやすさ

    この5条件を踏まえながらも、特に③と④の要素を前田は大事にしていた。

    広告については、「一番搾り」と同じスタッフを前田は躊躇なく起用した。

    「淡麗」のアートディレクターは宮田識(さとる)、パッケージデザインは佐藤昭夫が担当したが、いずれも前田とともに「巨匠」になっていく。

    「一番搾り」の広告代理店は電通だったが、「淡麗」では第一企画(現在のアサツーディ・ケイ)を使う。

    ただ、佐藤が宣言した期限は「1998年早々」。

    普通、ビール会社の新商品開発は「どんなに急いでも1年間はかかる」(キリンのマーケティング担当者)。

    いかに前田といえども、本当に間に合うのか。

    周囲が危惧する中、「淡麗」の開発は圧倒的なスピード感で進んでいく。

    もともとキリンの商品開発部では「ラガー」や「一番搾り」と「発泡酒」が競合しないように腐心していた。

    一方、前田は、

    「ビールが減っても、それ以上に淡麗が伸びればいい」

    という方針を打ち出し、「淡麗」が「ラガー」「一番搾り」と競合することもいとわなかった。

    アサヒの猛追を受ける前のキリンでは考えられない「発想の転換」だった。

    この前田の判断について、「マーケットの創造的破壊に挑んだ」と評したマーケターもいたほどだった。

    ただ、前田には勝算があった。

    当時、景気が拡大していたアメリカでも、価格の安いエコノミー商品が販売量の6割を占めていた。

    ましてや、不況にあえぐ日本で、発泡酒が売れないはずがなかった。

    90年代も終わりを迎え、人々の意識やライフスタイルは大きく変化しつつあった。

    仕事が終わった後、上司が部下を連れて縄暖簾をくぐり、「とりあえずビール」で乾杯する光景もだんだん減っていった。

    そんな中、特に若い世代には、お酒は「プライベートで楽しむもの」という考え方が広がりつつあった。自腹で飲むなら、少しでも安いお酒のほうがありがたい。

    安い「淡麗」は、そうしたニーズに答える商品だったのである。

    トップ逆転

    迎えた1998年2月3日。

    この日開かれた「淡麗」の発表会では、完成していたサンプル品が配布されていた。

    アナウンスされた発売日は2月25日。

    他の開発チームが束になっても、まるで進まなかった発泡酒の新商品を、前田はたった4カ月で開発してみせたのである。

    しかも、子会社から本社に復帰してすぐの出来事だった。

    なぜこんなことが可能だったのだろうか。

    その理由について、上野は次のように語る。

    「淡麗の開発では、上司に確認をとる必要がありませんでした。前田さんは商品開発部の部長であり、一人のマーケターでもありました。

    だから、自分でプランを考え、自分で決裁することが可能だったのです。

    逆に、こうした方法でもなければ、たった4カ月で新商品を開発するのは不可能だったと思います」

    猛スピードで商品化された「淡麗」だったが、いざ発売してみると、消費者から熱狂的な支持を受ける。

    当初の販売目標は、98年12月末までに1600万箱(1箱は大瓶20本=12.66リットル)だったが、実際には目標をはるかに上回る3979万箱を売る。

    「淡麗」は価格の安い発泡酒であり、単純比較はできないが、初年度の販売数としては、「スーパードライ」の1350万箱(87年)、「キリンドライ」の3964万箱(88年・その後終売)、「一番搾り」の3562万箱(90年)を上回る、「最多記録」だった。

    発泡酒カテゴリーで見ても、「淡麗」はサントリーの「スーパーホップス」を抜き、いきなりトップブランドに躍進する。

    また「淡麗」の人気が発泡酒市場全体を牽引する。98年のビール・発泡酒市場に占める発泡酒の構成比は、97年の5・8%から跳ね上がり、98年は13・5%と初めて1割を超えた。

    「淡麗」のヒットは、窮地のキリンにとってまさに恵みの雨となった。

    98年のキリンの出荷量は前年比0.5%増。微増だが、前年度を上回ったのは94年以来、実に4年ぶりのことだった。

    この年のビール・発泡酒市場におけるキリンのシェアも、40.3%と前年比で0.1ポイントの増加。

    ただ「淡麗」は躍進したものの、98年のビールの出荷量は前年比17.2%減と、大きく下がってしまう。

    ビールから発泡酒へ乗り換える動きが生まれ、結果的に「淡麗」と「ラガー」などビール商品が競合してしまった。

    一方、アサヒは98年の段階で、まだ発泡酒を発売していなかった。

    発泡酒・ビール市場でのアサヒのシェアは前年より2.2ポイント増の34.2%。

    ただし、発泡酒を除いた、ビールだけのシェアにおいては、キリン38.4%に対しアサヒは39.5%となる。

    あくまでビール単体での話だが、この年アサヒはついにキリンからシェアNO1の座を奪ったのである。

    「淡麗」は戦後のキリンにとって、「一番搾り」に続くヒット商品となった。

    その「一番搾り」「淡麗」ともに、前田仁の作品だったのである。

    永井 隆(ながい・たかし)1958年生まれ。フリージャーナリスト。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動を行う一方、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。 主な著書に『移民解禁』(毎日新聞出版)、『アサヒビール30年目の逆襲』『サントリー対キリン』『EVウォーズ』(日本経済新聞出版社)、『究極にうまいクラフトビールをつくる』(新潮社)など。

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