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「月末の数字が足りないんです」「もっとリベートを」90年代ビール商戦の真実

    キリンは健康系ビール「ラガースペシャルライト」を1999年1月14日に発売した
    キリンは健康系ビール「ラガースペシャルライト」を1999年1月14日に発売した

    安売り合戦

    さて、ビール・発泡酒系の商戦は、激化の一途を辿っていった。

    99年、キリンは前年よりシェアを0.5ポイント落として39.8%に。キリンがシェア40%を切ったのは1955年以来44年ぶりだった。アサヒは98年より1.0ポイント上げて35.2%に。2000年はキリン38.4%に対し、アサヒは35.5%。

    アサヒはキリンをヒタヒタと、追い上げていた。

    こうしたなか、2000年12月19日、ついにアサヒも発泡酒の発売を発表する。

    アサヒ社内ではそれまで「発泡酒は邪道」という雰囲気が強く、まだ参入していなかった。

    サントリー、サッポロに続き、キリンが「淡麗」を大ヒットさせた後での「最後発」の参入だった。

    ただ、アサヒが2001年2月21日に発売した発泡酒「本生」は、いきなり売れ始める。

    「本生」は発酵を促進する海洋深層水を使うなど、醸造に工夫を加えていた。

    さらに、スーパーなどの売り場を、「本生」の赤色で染める「赤い嵐キャンペーン」を展開し、消費者にインパクトを与えることに成功。好調なスタートを切っていた。

    「今月ピンチなんです。お願いします、できる限り淡麗を入れてください」

    キリンのある20代女性営業マンが、こう言って頭を下げる。

    ただ、営業を受けている酒類問屋のバイヤーはそれを聞いて渋い表情を浮かべた。

    「そう言われても無理だよ。倉庫がもう一杯だ」

    「そこをなんとか、お願いします」

    「おたくさあ、いつも月末にそう言って押し込んでくるじゃないか。あんたも営業なら、売り方の提案とか、もっとほかの提案をしてくれよ」

    「おっしゃる通りなんですが、こうでもしないとアサヒに負けてしまいます。淡麗を入れてもらえたら、できるだけリベートを出しますので……」

    当時、キリンの営業現場ではこうした光景が日常だった。

    キリンに限らず、大手4社の営業現場は、どこも白兵戦の様相を呈していた。

    商戦に勝つため、各メーカーは卸に「販売奨励金(リベート)」を積む。

    これが原資となり、小売店での「安売り合戦」が激化する。

    リベートだけではなく、卸に対し「20箱を買ってくれたら、1箱は無料でつけます」という取り引きも横行していた。

    特に月末には、メーカーによる卸への押し込み営業が過熱していた。

    肝の据わったリーダー

    一方、キリンは社長交代に踏み切っていた。

    アサヒが「本生」を発売したほぼ一カ月後の2001年3月、キリン社長の佐藤安弘は社長を降板し、会長となった。

    3期目の途中という、突然の辞任だった。

    バブル崩壊後の不況の中、佐藤はリストラを断行。4工場の閉鎖を実行していた。

    「リストラをした自分が、いつまでも社長に残るわけにはいかない」

    佐藤はそう考え、自身の進退を決断したのだった。

    新たに社長に就任したのは、医薬事業出身の荒蒔康一郎だった。

    東大農学部を卒業し、キリンには64年に入社していた。

    「キリンの天皇」と呼ばれた本山の社長時代に、「天皇の前でポケットに手を突っ込んだまま話をする唯一の男」と、社内で呼ばれていたという。

    本山は医薬事業の門外漢だった点を差し引いても、荒蒔は肝の据わったタイプだった。

    社長交代直後の2001年4月、前田はマーケティング部の強化をはかる。

    人事部の協力を仰いで新商品開発を担当するマーケターを、社内から広く公募することにしたのである。

    それまでマーケティング部に来るのは、営業成績が優れている人材が多かった。

    だが、営業とマーケティングでは、担当する仕事も、期待される能力も異なる。

    「営業と新商品開発では、必要なセンスが全く違うんや」

    と、前田は人事部を説き伏せたという。

    もともとキリンには「社内公募」の仕組みがあった。

    ただ、マーケティング部は本社の花形部署。特に新商品開発の仕事は、多くの社員が一度はやってみたいと思っている仕事である。

    そのため、マーケティング部が社内公募を実施すると、応募が殺到してしまう。そういった配慮もあって、マーケティング部ではそれまで社内公募を実施していなかった。

    一方、前田が求めたのは、社員の働きやすさではなかった。

    あくまで、キリンが他社に勝つための取り組みだった。

    「今までにない、斬新な新商品を開発できる人材」を探すために、前田は社内公募を始めたのである。

    まず、書類審査のほか、小論文による1次試験が行われた。

    その後、5月の連休明けに前田と人事部の幹部が面接官となった面接試験が行われ、結果4人が採用された。

    そのうちの1人、92年入社で静岡支店の土屋義徳は、のちにある大ヒット商品を手掛けることになる。前田の狙いが的中した形だった。

    「俺たちのほうがいいものを作れる」

    そのころ、山田精二はマーケティング部での3年目を迎えていた。

    「使えなかったらすぐ代える」と前田に言われていたものの、幸いまだ「使えない」と判断されていなかった。

    ただ、目覚ましい活躍を見せていた、というわけでもなかった。

    当時、マーケティング部には5つの組織があった。

    新商品を開発するのは、「商品開発研究所(通称・商開研)」と呼ばれるチーム。

    ほか、「ラガー」を担当する第1チーム、「一番搾り」の第2チーム、「淡麗」の第3チームがあった。

    それらの「メイン3商品」以外の、「その他の商品」は、第4チームで扱っていた。

    その第4チームを率いていたのは、管理職(キリンでは経営職と呼ぶ)になったばかりの上野哲生。上野は第1チームから移っていて、山田の2期上に当たる。

    「ラガースペシャルライト」を担当する山田は、この第4チームに所属していた。

    第4チームは、上野を含め4人という小さな組織だった。

    終売する商品の管理や、サッカー日本代表応援商品など、通常商品のパッケージを変えたデザイン缶の管理といった、地味な仕事が多い。

    そのため、上野や山田たちは、出社しても、やることがあまりない。

    「朝会社に行っても、大した仕事はありません。そういう状況が正直苦痛でした」

    と、上野は当時を振り返る。

    危機感を覚えた上野は、ある蒸し暑い日の夜、山田を場末の居酒屋に誘ってこんな話をした。

    「このままだと第4チームはいずれ無くなってしまう。マーケティング部に残りたければ、何か仕事を作るしかない」

    上野が危機感を打ち明けると、同じように考えていたのか、山田は神妙な顔でうなずいた。

    「そこで考えたんだが、ライト系発泡酒の新商品を、第4チームでもつくってみたらどうだろう」

    上野がそう言うと、山田は怪訝な表情を浮かべた。

    「でも、ライト系発泡酒は、いま商開研がつくっているはずですが……」

    「しかし、まだ完成していないだろう。俺たちにはラガースペシャルライトのノウハウがある。むしろ俺たちのほうが、いい商品を作れるんじゃないか」

    「確かに、そうですね……」

    「ライト系と言うと、低アルコールビールを連想しがちだが、俺がいま考えているのは、もっと健康系を打ち出した商品だ。糖質をカットしながら、アルコール度数はできるだけ高めにした発泡酒をつくる」

    「ライト系ではなく、あくまで健康にいい発泡酒、ということですか」

    「その通りだ。淡麗のブランドエクステンション(派生商品)で発売したら売れるはずだ。ラガースペシャルライトは終売し、その予算をこの新製品にまわす。とにかく、俺は企画書を書いて、前田さんに直訴しようと思う」

    上野の行動は素早かった。さっそく新しい商品のアイディアを企画書にまとめると、前田に提出した。

    その企画書には、発泡酒市場の現状や、糖質が低い健康系商品にどれほど大きなニーズがあるかといった内容が、連綿と綴られていた。

    上野が手渡した企画書を、前田はすぐ読み終えると、上野を見上げて言った。

    「ええんちゃうか。やりたいんやろ?」

    前田はその場に商開研の責任者を呼び出し、次のように言った。

    「ライト系発泡酒は、もうやらんでええ。上野に任すわ。商開研から第4チームに人をまわしたってくれ」

    商開研の責任者は前田の信奉者で、前田の指示に逆らうことはなかった。

    すぐ、ライト系発泡酒の開発チームが結成される。

    メンバーはリーダーの上野と、山田。そして公募でマーケ部にやってきたばかりの村上麻弥古が商開研からやって来た。

    「世の中の流れは、元には戻らん。健康志向が今後変わることはない。多少揺り戻しがあっても、一過性のもんやろ。

    アメリカではバドワイザーよりバドライトが売れているというやないか。

    日本でも、健康系はきっと売れる。次のヒット商品は健康系商品しかありえん」

    前田はそう上野らに言っていたという。

    永井 隆(ながい・たかし)1958年生まれ。フリージャーナリスト。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動を行う一方、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。 主な著書に『移民解禁』(毎日新聞出版)、『アサヒビール30年目の逆襲』『サントリー対キリン』『EVウォーズ』(日本経済新聞出版社)、『究極にうまいクラフトビールをつくる』(新潮社)など。

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