通ったのは中学校まで、関取にはなれなかった それでも僕が今ファイナンシャルプランナーとして働くまでを語る=元力士「大神風」、前田一輝
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高校を中退し、大相撲界で28歳まで過ごした前田一輝さんは引退後、ファイナンシャルプランナーの資格を取りビジネス界に身を置く。スポーツ選手が引退した後の「第2のキャリア」形成について人一倍問題意識を持っている。
(聞き手=種市房子・編集部)
「力士のセカンドキャリア、成功例になりたい」
「朝から晩までの厳しい修業は並みの大学生ではできない経験。大学新卒にビジネスで負けない」
── 5年前まで力士の「大神風(だいかみかぜ)」として土俵に上がっていましたが、現在は税理士法人に勤めています。どのような毎日を過ごしていますか。
前田 勤務先の税理士法人は、不動産投資など副収入がある勤め人を主なターゲットにしています。相談に来た人にファイナンシャルプランナーの立場から資産運用や税法上の注意点を助言したり、セミナーの企画を手掛けています。(情熱人)
── 力士のセカンドキャリアでは、ファイナンシャルプランナーという職業は珍しいのでは。
前田 知りうる限り、ビジネス界でセカンドキャリアを積んでいるのは数人です。幕下以下のクラスですと、引退後はちゃんこ店の経営、警備員、トラック運転手、介護など、料理か体力任せの仕事に就くことがほとんどです。これらの職業を決して否定するつもりはありません。しかし、収入は低く不安定で、体に不調を来せば働けなくなる。力士のセカンドキャリア問題は深刻です。私が実際に通ったのは中学までで、通信制で高卒資格を取りました。学歴や角界での成績が十分ではない私のような力士でも、安定した収入を得られる職業に就くことができるんだということを示したいという気持ちがあります。そうは言いながら、私も、引退直後は実家通いの警備員という不安定な立場でしたが。
稀勢の里から「運命の言葉」
── 引退直後はどのような生活を。
前田 2016年に引退後、兵庫県の実家に戻り、ショッピングモールの警備員に就きました。夜勤手当があったので警備員を選んだわけですが、「このままでは実家から経済的自立ができない」と悩んでいました。そんな時、同じ二所ノ関一門で縁のあった当時の横綱・稀勢の里関から「どうしているの? 東京にたまには来たら」と声を掛けられ、会う機会がありました。そこで、人生を変えた言葉を掛けられたのです。
── どのような言葉を。
前田 「君は厳しい修業に耐えてきた経験をまったく生かしていない。他の元力士と同じように職業選択の幅を自分で狭めてしまっている。厳しい修業に耐えた経験を生かして、職業選択の幅を広げるべきだ。力士がなった実例が少ないビジネスパーソンに挑戦してみては」と。その言葉をきっかけに、学歴不問で採用活動をしている企業を片っ端から調べました。その結果、引退1年後には東京の不動産会社に採用されました。
── 未経験の不動産会社でどのような生活を。
前田 マンションなどの投資物件の営業をしていました。当時、私は29歳。22歳の大学を卒業した新人と一緒にスタートを切るわけです。角界しか知らない私は、名刺の渡し方やメールの定型も知りませんでした。ビジネスマナーについては、プライドを捨てて若い人に習っていました。一方で自分には「中学卒業以降、朝から晩まで厳しい修業を重ねてきた。普通の大学生なんかには到底まねできない経験をしてきたんだ」という意地がありました。
── その意地は結実しましたか。
前田 営業成績はトップクラスになり、固定客も30~40人付きました。私の職務は投資用物件を販売することなのですが、運用の仕方についても寄り添いたいと考えて、不動産運用を得意とする今の税理士法人へ移りました。この税理士法人で実務経験を積むかたわら、2級FP技能士の資格を取りました。
── 仕事と試験勉強の両立は大変では。
前田 とにかく1日30分から1時間は絶対に参考書かアプリを開くことを習慣にしました。相撲の現役時代から学ぶことの大切さは身にしみていたので。
社会人5年目の21年には結婚し、都内にマイホームも購入した。
前田 生活はぜいたくではありませんが、人並みに暮らせています。1月末には子どもも生まれます。
幕下で終わった現役時代
── 角界に入ったきっかけは。
前田 相撲が生来好きで、幼稚園のころにはしこ名を漢字で覚えたり、祖母と公園で「相撲ごっこ」をしていました。小学6年の夏ごろ、「相撲を職業にしたい…
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週刊エコノミスト
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