教養・歴史書評

道徳義務追求のためなら冷徹になれる。メルケル元独首相の核心を読む=評者・浜 矩子

    『アンゲラ・メルケル 東ドイツの物理学者がヨーロッパの母になるまで』 評者・浜矩子

    著者 マリオン・ヴァン・ランテルゲム(ジャーナリスト) 訳者 清水珠代 東京書籍 1980円

    道義に基づくシリアルキラー 独前首相の新たな実相を提示

     本書の原題はフランス語で“C'était Merkel”。「これがメルケルだった」である。

     本書は、2021年12月8日に退任するまでドイツ首相を4期16年務めたアンゲラ・メルケルについて、実に多くの「これ」を語っている。多面的で多層的な「これ」の数々が、メルケルという立体モザイクを作り上げてきた。この立体モザイクのタイルの中で、評者に向かって異彩を放ってきたものが二つある。

     その一が「マキャベリ」。その二が「シリアルキラー」だ。前者は目的のためなら手段を選ばない「マキャベリズム」の語源となったイタリアの政治思想家。後者は異常心理に基づく殺人鬼。強烈な語彙(ごい)で、いずれも、メルケルに関する定番的なイメージからはかなり遠い。彼女についてちまたには、生真面目で、ひたむきで、地味で、忍耐強い信念の人という評価が満ちあふれている。そこにマキャベリとシリアルキラーが突き刺さってきた。ワクワクする。

     評者が「スカノミクス親爺(おやじ)」と命名した菅義偉前首相が、マキャベリを敬愛していた。この点から言えば、メルケル立体モザイクのタイルの中にマキャベリが存在することには、大いに抵抗がある。だが、何しろ、長年にわたってメルケルに密着し、膨大な量の取材を積み重ねてきた本書の著者が、彼女の政治的な動き方について「マキャベリズムここに極まれり」と書いているのである。

     本書は、英国首相だったトニー・ブレアの補佐官を務めたジョナサン・パウエルの言葉を引き、ブレアと結託して政敵であるベルギーのギー・フェルホフスタットを欧州委員会の委員長候補から外したメルケルを「マキャベリ的巧妙さ」を持つ政治家と評している。

     菅氏のマキャベリズムは、理念なき権力追求だ。何かを達成するために権力が欲しいわけではない。マキャベリズムが自己目的化している。メルケル流のマキャベリズムは手段だ。そこにあるのは、「道徳的義務に対するひとつの理想主義」だ。

     道徳的義務を果たそうとするからこそ、彼女はシリアルキラーにもなる。本書はドイツ再統一を果たした偉人で、大恩人のヘルムート・コールを切って捨てた有名な原稿を紹介している。型通りの敬意を一応は書きつつメルケルはこう続けた。「ヘルムート・コールがとった手法は党に害を与えた。(中略)党は、成年に達した子どものごとく生家を出て、自分自身の道を歩まねばならない」。

     やっぱり、スカノミクス親爺とは全然違う。

    (浜矩子・同志社大学大学院教授)


     Marion Van Renterghem 1964年、パリ生まれ。ジャーナリスト。『ル・モンド』元記者。2018年に『アンゲラ・メルケル―政界に降り立ったUFO』)でシモーヌ・ヴェイユ賞を受賞している。

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