「ガンバ時代から『大学生+サッカー』だった。生粋の“複業家”なのかもしれない」 橋本英郎さん(プロサッカー選手)インタビュー=元川悦子
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もう一つの「起業家」の顔 橋本英郎 プロサッカー選手/16
平均引退年齢25~26歳と言われるJリーガー。厳しい世界で40代まで現役を続ける傍ら、サッカースクールから子ども向けのデイサービスなど、さまざまな事業を手掛ける起業家としての顔も持つのが、元日本代表の橋本英郎さんだ。
(聞き手=元川悦子・ライター)
「僕は生粋の“複業家”なのかもしれません」
「同じ高校の先輩・岡田武史さんは実業家として視野の広い人。経営ノウハウを学んで生かしたい」
── 2021年末に3年間プレーしたJ3のFC今治を退団しました。
橋本 21年シーズンの開幕のロアッソ熊本戦から14試合先発出場し、5月2日のテゲバジャーロ宮崎戦ではJ3最年長となる41歳11カ月11日でのゴールも決めるなど、自分としては好調でした。でも、9月12日の藤枝MYFC戦で右鎖骨骨折の重傷を負ってしまい、シーズン終盤は出場できなかった。クラブもJ2昇格を目標にしていたのに、11位で終わってしまった。僕自身も主力として責任を感じました。契約満了になったのも「戦力」として見られたからこその判断だと冷静に受け止めています。(情熱人)
── かつて日本代表で一緒にプレーした少し年下の阿部勇樹さん(現浦和レッズユースコーチ)、大久保嘉人さん(元セレッソ大阪)は21年シーズン限りで引退を決断しましたが、橋本さんは?
橋本 僕はピッチで倒れるまでサッカーを続けたいですね。プレーする楽しさは何物にも代えがたいものがあります。16年夏にJ3・AC長野パルセイロへレンタルで行った時点でプライドは捨てたので、プロ契約してくれるならカテゴリーは問いません(笑)。5部相当の地域リーグに行けば、JFL(4部相当)昇格の懸かる全国地域サッカーチャンピオンズリーグ参戦の可能性もある。そういう未知なる体験もしてみたい。関東1部なんかはかなりレベルが高いようですし、オファーが来れば、前向きに考えたいと思っています。
00年代のガンバ大阪でミッドフィールダーの主力選手として活躍してきた橋本選手。ボランチを中心にどのポジションも的確な位置取りで柔軟にこなすクレバーなプレースタイルが特徴で、05年のJ1初制覇など数々のタイトル獲得に貢献。07~10年には日本代表にも選ばれ、国際Aマッチに15試合出場している。
そんな橋本選手も現在42歳。54歳で現役続行を表明している三浦知良選手(JFL・鈴鹿ポイントゲッターズ)と同じ価値観を持つタイプで、とことんまでピッチに立ち続ける覚悟だ。昨年5月にはJリーグ歴代2位の最年長得点記録も作った。その傍らで、彼にはもう一つ、「起業家」としての顔がある。
7拠点のサッカースクール
── 橋本さんの事業の手始めは、12年に発足させたサッカースクール「PUENTE(プエンテ) FC」で、現在は神戸市を中心に7拠点で展開しています。そもそも事業を始めたきっかけは?
橋本 起業やビジネス構築にはもともと興味を持っていて、「いずれ自分も何かしら事業を立ち上げたい」と考えていました。そこで、フットサル選手やメンタルトレーナーの仲間と3人で設立に踏み切ったのがプエンテFCです。コンセプトは「トップでない子どもの能力を引き上げ、ランクアップさせること」。ガンバ大阪のジュニアユースにいた中学1年の時、100人中90番だった自分が練習生を経てプロになり、代表入りした経験から、子どもたちの秘めた才能を大きく開花させる手伝いをしたいなと考えたんです。
── 発足当初は大変だったでしょう。
橋本 はい。神戸には実績ある育成クラブが多いので、人集めは簡単ではなかったですね。自分も試合や練習の合間を縫ってチラシを作って配布したり、口コミで情報を広げたりしながら、少しずつ参加者を募りました。現在はジュニア(小学生)のスクールが110人、20年から立ち上げたジュニアユース(中学生)が36人在籍しています。経営面も赤字基調から採算ラインが見えてきた。近い将来には小学生150人・中学生60人もクリアできると思います。
── サッカースクール以外にもビジネスを広げていますね。
橋本 サッカー専門誌に現役目線のコラムを定期的に執筆しているのが二つ目ですね。いずれは関西以西エリアをベースに解説業も手掛けたり、指導者になったりすることも視野に入れているので、すごくい…
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週刊エコノミスト
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