タクシー運転手から還暦でデビューしたボサノバミュージシャン、タクシー・サウダージさんの流転の人生に迫る=大宮知信
有料記事
日本語で歌う「郷愁」 タクシー・サウダージ ボサノバミュージシャン/20
埼玉県秩父市でタクシー運転手としてハンドルを握ること20年。一人で黙々とボサノバの曲作りに取り組み、還暦を迎えた8年前、CDデビューした。流転の人生が刻まれたその音楽は、聴く人の胸を深く打つ。
(聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)
「タクシー運転手時代が全部肥やしになった」
「キリストやブッダに憧れて一度全部捨てて生活してみようと。放浪しながら音楽にも貪欲だった」
── 2020年に新しいアルバムを2枚出しました(7月に「Homenagem a João Gilberto ジョアンに捧ぐ」、12月に「なみのまにまに」)。これで通算5枚目ですね。
サウダージ 「ジョアンに捧ぐ」は、(“ボサノバの神様”といわれるブラジルのミュージシャン)ジョアン・ジルベルトが19年に亡くなったから出そうと思ったんです。また、20年は世界中で新型コロナウイルスがはやったり、5月に母が亡くなったりしたこともあり、自分でもがらっと変わった1年でした。前から作っていた曲もたまったし、ここでもう1枚出そうかなと思いましてね。それが5枚目の「なみのまにまに」です。(情熱人)
── 「ジョアンに捧ぐ」は、タクシー・サウダージさんのギター1本の弾き語りで収録され、オリジナルだけでなくボサノバの名曲「イパネマの娘」やラテンのスタンダード「ベサメ・ムーチョ」も入っていたりと、楽しいアルバムです。
サウダージ ジョアン・ジルベルトを初めて聴いた時、その人が持っている正直な声で歌っていると感じました。彼自身は自分がやっていることをボサノバだとは思っていない。自分ができる表現を精いっぱいやっているだけ。それを後の人たちが「ボサノバ」といっているんです。僕もボサノバを多角的に捉えていて、スタイルとしてのボサノバをやろうとは思ってはいません。
── 「なみのまにまに」は「ジョアンに捧ぐ」とは打って変わって、ユーモラスだけどちょっと怖い感じのオリジナル曲からサンバ、ヒップホップ、日本の歌曲まで、さまざまなジャンルの曲をボサノバにアレンジした曲が入っています。
サウダージ 「ゲリラ、ゴジラ」なんて歌詞があったりと、それこそ人によっていろんなイメージを持ってもらえればいいんです。歌詞はコロナが流行する前にできていましたが、コロナ禍で起きたさまざまな事件とか不安な空気とか、そうしたことも含めて作りました。20年はそうした材料がまん延していましたね。
還暦で初のアルバム
生まれ育った埼玉県秩父市でタクシー運転手をしながら、独学のギターで一人、黙々とボサノバの曲作りをしていたタクシー・サウダージさん。たまたま乗客となった秩父を拠点に活動する若手ギタリスト、笹久保伸さんとの出会いをきっかけに、還暦を迎えた14年7月、初めてのアルバム「Ja-Bossa」を発表。Ja-Bossaはジャパニーズ・ボサノバの意で、低音の落ち着いた声で日本語の歌詞に思いを込めて歌うのがサウダージさんの真骨頂だ。
── 還暦でのデビュー作は話題になりましたね。
サウダージ 最近、ライブ演奏にようやく慣れてきました。それまではカラオケすら恥ずかしくてできなかったんですよ。人前で歌うなんて、とんでもない。CDデビューして、東京でライブをやらざるを得なくなり、そのためにカラオケに通って慣らしたんです。温泉なんかへ行って、人がいるところでカラオケをやったりしてね。人前での演奏に慣れるのが大変でした。
── タクシー運転手時代も、人に聴かせたりすることはあまりなかった?
サウダージ 全然やっていませんでした。ボサノバのリズムや和音に日本語を乗せられないかと自分なりに研究してはいましたが、ヒマな時間に一人で黙々と練習していただけで、周りに聴かせたいという感じではありませんでしたね。車を運転しながら詞やメロディーを考えたり、ここにどんな曲を入れたらいいかな、とかね。仕事をしながら長年かけてゆっくり熟成させていったという感じです。
田舎のタクシーだからけっこう自由なんです。駅で客が来るのを待っている“駅待ち”で、町を流してないからヒマもけっこうある。車の中で世界中の音楽が聴けるし、トランクにギターを積んで休み時間に練習もできる。他の仕事じゃ考えられません。それで20年続いたようなものです(笑)。
── いろんなお客さんと会話をしたりして、得ることも多かったのでは?
サウダージ すごく勉強になりました。会社の社長から、サラリーマンもいれば医者もいる。政治家やヤクザもいる。じいさんばあさんまで、あら…
残り2637文字(全文4537文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める